22:41から。
昨日は精神的に不安定で醜態を晒した模様。
不安定だと不安定な事象が目に入る。
休日。ゆっくり休めた。
ちょっと仕事が残っていたのだが、犬型新人が上手く処理をしてくれて、すぐ終わった。
助かった。
久々に仕事のことを考えなくて良い日だったもんで、やたらとごろごろしてしまった。
なんなら森に出かけた方が良かったかもしれない。満月さんも休みだったが、こんな寒い日に森に行きたい変人に付き合うような、変人性を持ち合わせていないからそもそも欲求として思考に上がって来ない。
無意識でやっているのはこれか。
相手に合わせて欲求の引き出しを変えているから、1人にならないと素の欲求が出てこない。
遠慮しぃかよ。まぁ、所詮本読みたいとか、自然に触れたい(還りたい)とか、納豆、梅干し、そうめん食べたいとか、そんな慎ましい欲求。
ビールは人生だから、欲求があって発動するものではない。
さておき。
本日はどうでもいい話を書こう。
カウンセリングの本を読み終えた。
カウンセリングとはなんだったかという概念の話で、「人生のある時期を終えること」という解釈が面白い。あれ、この話書いたことがある気がする。まぁええか。
社会的というか私生活も含めて、自分の存在の支障が大きくなり過ぎると遭遇してしまうのがカウンセリングであって、その物語の共同編集者みたいな感じなのだなって。
どんな人にも物語があるという著者の感覚はとても共感できる。
物語に辻褄が合わないところがあるから何かしら不具合が出る訳であって、その空白を遡って埋めていきましょうという作業(編集)の専門家がカウンセラーなんだなって。
この話を読んでいたのと、本日満月さんから「硯さんのお父さんはよく話したの?」みたいなことを聞かれたことの組み合わせ。
ついでに満月さんがここ2日くらいで見ている、「じゃあ、あんたがつくってみろよ」というドラマもアラカルト。固定観念からの脱却がテーマみたい。家族像とか恋人像とか結婚観とか。
僕の物語の中には、そんなに明確な父親像とか母親像みたいなものが無くなってしまった。
我が家の父母は、夫婦としては全くよろしくなく、この関係のストレスの為に父親が自己退場みたいな感じで離脱したことになったと解釈しているが、この歳になると、母親が一方的に悪いとも思わない。
もう時代は変わっているし、父は「威厳」、母は「慈愛」でもない。なんなら我が家の母親は、性質的にもしかしたらバリキャリで自分の人生劇場を全うした方が楽しかったかもなとか。
父親については情報が無さ過ぎて、解釈も何も無い。
満月さんに、「優しい人だったか」と聞かれたが、どうなのだろう。僕の幼少期には一緒に楽しんでくれていたかもしれない。カブトムシとかクワガタの飼育の為に、犬小屋より大きな虫箱作ってくれたり、僕が中学校で軟式野球部に入ったとき、試合を見に来てくれたり。僕は注目されると運動能力落ちるから、野球部に向いておらず補欠だったが。
たしかに、当時、テレビは食卓に1台しかなくて、チャンネル争いだったのだが、母親もそこは父親に譲っていて、金曜ロードショーの前の野球中継が延びるのが嫌だったことを想い出した。こちとら当時、そんなに夜更かしできる習慣が無い。「となりのトトロ」も最後まで見られずに寝落ちする。
あんまり読んで面白い話ではないと思うが、父親が亡くなる前日のことを思い出した。
何かで起きて、2階の自分の部屋から水分補給に1階に降りたら、酔っぱらった父親がこたつで寝ころんでいた。目が合ったのだが、特に会話は無い。何があの目に何が写っていたのかは、僕が退場する頃には読み取れるのだろうか、というくらい。
この下りで、何年前か忘れた、6年前くらいかな、いや、もっと前のような気もする。大阪にいるときに自然巡りしていたときに、当時、某禍で閉鎖された岡山の鬼の城周辺を数時間歩いた変態的所業をしていた時に考えたことを思い出した。
僕も父親と同じ時代と場所に生まれていたら同じような人生劇場を送っていたのだろうなと。地方の権力者の長男として生まれ、お見合いみたいに結婚し、PTA会長になり、みたいな。
僕は土壌が無いところで開拓者にはなれないし、風習に縛られることを当たり前としがちだったから。
満月さんが見ている某ドラマの主人公が料理をしだして、帰省したとき、母親の料理ってどうやって作られているかをキッチンに見に行くシーン、僕もやったわ。
いま、ここまで自由になれているのは、産まれ落ちた時代が父親とは30年程ずれていたから。今風に言うとガチャだけど、個人的には、自分が選んで産まれてきたという説の方が好き。
僕の物語は一生かけてこうやって編集していくもの。
共同編集者は特に求めていない。
やれやれ。
自分語りが過ぎた。こんなの需要ないに違いない。
いや、需要と関係ないところで書く場だから良いのか。
坂口安吾さんの探偵譚、読んでいると、初見ではない記憶が蘇ってきた。
初見よりは読めるようになっている。
ミステリーとして面白いというよりは、僕は安吾さんの文章が好きなんだんなという感じ。
僕が言う「好き」は、相性が良いという意味であって、僕が独り占めしたいとか、主観の話ではなく、趣向の話。
最後にどうでも良い話。
「怒っているのか」みたいなことを聞かれることがあるのだが、僕がほんとに怒ったら、もう関係が終わっているということ。
冷静に記録して完膚なきまで叩き潰すと思う。
やったことないけど。
怒りの表現は感情じゃないし。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。