ありん

22:25から。

満月さんは「できる奴」。

どうも、読者に何もしていない印象を与えているから、印象を現実に合わせろとクレームが入った。

本日は、スンドゥブと、ビビンバをこさえ、洗濯をしてから仕事に行ってくれました。

ありがたや。

「できる奴」。

さておき。

お仕事。

なんとなくこの職場でクッションになっているロマンスおじいちゃんと犬型新人が休みの日は、なんというか、中の空気が阿鼻叫喚。

経年女子と2人、のちに休日の店長。

いや、僕がこの2人のことが単純に嫌いだから、そう感じるだけ。

居る方が仕事しにくい。タスクの優先順位を変えて来るし、局所的な指示ばかりだから、全体が見えなくなる。

まぁここはもともと。

この指示とか指摘の感覚なんだろうなと思うと、「時間軸」が自分しかない、あるいは優位過ぎるから、他者に流れている時間を慮れないことによるという説。

お二方、あれやった?、これやった?って部下の進捗を確認してくるのだが、いやいや、こちとら休日やらお客様応対とかで、そんな時間無かったですけどという、客観的な事情すらしん酌できない。スケジュールは共有されているのに、単純な時間経過だけで「仕事が遅い」という評価になる。

もちろん、共有されるまで上がっていない案件もあるから、それにかかっていて遅くなったら言われても仕方ないとは思う。ここは言い訳しないとけない領域だが、僕はそういうのどうでも良いもんで、どんどんと上層部の中に「仕事ができない人」とレッテルが貼り重なっている気がする。

別に自分の立ち位置守るために仕事していないから、こうなるのは必然なんだろうな。

つまり、このお仕事、適性はあるけれど、このお仕事をする人の価値観に合わないということ。

上層部の価値観、というかお仕事の考え方、2人の雑談を聞いていて、「しょーもな」と思ってしまう。尊敬すべき先輩方なのに、しょーもな過ぎて、僕の素朴があんまり話したくない。だって、この人達と話したところで、お仕事上の成長ができるという直感がもう無くってしまった。

本日の雑談の中で、僕の当月の売上がこのエリアで一番悪いという話題で、経年女子が、「せめて系列店の新人よりは売上ないとプライドが、、」みたいなことを言って、てんちょーが、「1年もやってない人に負けたら、、、」この間(ま)の間(あいだ)に「引退ですね」ってよほど言おうと思ったのだが、ちょっと待つ。「切腹ですね」と言った。

この価値観がしょーもないと思ってしまう僕は、もうこの業界には居られないのだと思った。そもそも系列店は市場規模も違うし、この店舗には大店長みたいなスタッフの業務上の重荷を一緒に担いでくれる人も居ない。売上作れば作るほど重荷ばっかりスタッフに担がせる人が上から目線で語る話じゃないのよ。

満月さんも僕の休日出勤に良い加減爆発しますわ。

まぁこれは苦言というよりも、「この世界には付き合えないな」という発見という意味合い。

僕がいちいち怒ったら、精神がこの世界に落ちてしまうもんで。

僕は、勝ち負けの話をされてすんげぇモチベーションが落ちた。

他者に負けたくない、見下されたくないという価値観は昭和由来というか、負けないように頑張ったら、結果が付いてきた高度成長期のものさしだと思う。かといって、上層部、僕が入社して数年経ったけど、何にも成長(変化)しているように見受けられない。もうお仕事上、経年して見下されない立ち位置を得ちゃったから、もはやご意見番みたいな気分なんだろうなって。

もう付き合えないなと思っていたら、ふと、教育とはなんぞやという発想が出てきた。

僕の中で教育上一番よろしくないのは、「他人と比べること」。

学校教育って、それを地でやっているのだが、これでは人は育たない。

じゃあ何をやっているのだろうと考えたら、これは教育ではなく「管理」の概念だなって。

ちょっと昔に遡って、我が家の僕が小学生から中学生の頃。

僕は長男だったし、割と勉強ができた。

僕から見たお祖父ちゃんは、厳しさを感じたことが無いのだが、姉からすれば、叔父ちゃんは全然褒めてくれなかった人だったらしい。そんだけ頑張っても成績三番目かよ、みたいなことを言われたとか。

こういうことを言われたら、そりゃあ相手に勝たなければ自分の位置が確保できないという話になる。

その劣等感が、思春期の姉からの僕に対する当たりの強さになったストーリー。

そんなに暴力は無かったが、なんとか僕を屈服させたいみたいな感じはあった。

この過去のストーリーは全然改変可能性はある。

姉の証言を元に書きつけているだけであって、僕は別にこの過去がそうであるべきみたいな執着は無いし、いくらでも変わって問題ない。

この話を挿入したのは、「教育上、誰かと比べるのは悪手」ということ。

お祖父ちゃんは、僕のことを教育しなかったけど、姉のことは「管理対象」だったんだろうなって。

人って観測対象によっていくらでも変わる。

誰に観測されるか、誰から観測されるかという意味。

自分が一定の存在だと思える人は、きっと主観が過ぎる。

僕の存在は、薬にも毒にもなりうるという自己認識。僕が本音で人と話したらメタ的になるからこのメタに付いて来れる人としか話せないし。

やれやれ。

「管理」と「教育」の違い。

「管理」って相対的な指標。

貴方、あの子より足りてないよみたいな言い方をしたとき、それを言った人は、当人の存在そのものはどうでも良くて、自分の世界において、相手を比べている。

これを言う人が悪いとかではなくて、この人そうやって不安の中で生きてきたんだなといいうだけ。誰かより秀でてないと認めらないと思い込んでいる価値観。

で、僕が想うところだと、「教育」は、もっと絶対的なもので、比べるべき対象は他者では無く、過去のその人。

これを会社で言えば、入社当時からその人がどれだけできるようになったのかを褒めるのが「教育」で、いつまで経っても他の社員と比べてできないよねっていうのが「管理」。

我が店舗の上層部は、スタッフを管理しかできないから、なんのモチベーションも上がらない。足りてないことしか言わない。いや、成長方面でも何か言及されているかもしれないが、魂がこもっている発言ではないから、全然響かない。

「管理」と「教育」は、個人の人生劇場にも適用できる概念だと思われる。

自己意識の中で、誰かと自分を相対的に把握するのが「管理」で、絶対的な意味で自分を気にすることができるのが「教育」。

自分を「教育」できない人は、当人の人生劇場でもはややる気無いんだなって。

啓発系の話では無く、自分を教育できる人は、他人に対しても余裕あるよなっていうだけ。

ここまで。

おやすみなさい。

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