どこが「人」

22:35から。

僕と話したい人、多すぎないか。

弟主人公が本日僕とゲームセンターCXを見ながら語りたかったという話を犬型新人に雑談したら、「硯さん、色んな人に好かれますよね、おじいちゃんとかおばあちゃんとか」と。

僕は別に誰かに好かれることによって自分のエゴに自信が付くようにはしていないから、実は、誰からの好意なんて、口を悪くすると「どうでも良い」。

物理時間が限られているもんで、関わって楽しくない人は放っておくしかない。

もちろん、申し訳ねぇ気分はある。

本日、大学時代に関わっていた人からLINEが来た。

「懐かしい」という気分が起こったら返信するのだが、僕、この人にそんなに良い印象が無いもんで、正直なところ、「うわ、これを返したらまた僕の時間が削られる」と感じてしまった。

いや、たわいのないやり取りなんてそんな時間は遣わないだろうというのが主流なのは分かる。折角旧友が僕の安否を確かめるためにわざわざ送ってくれるのに、これを返さないのは「血が通っていない」と言われても仕方ない。

反論があるとすれば、僕は思い出(過去)で暖め合わないといけないほど、人生が淋しくないもんでとなる。過去に縁があったからと言って、今も縁があると思えない。今は縁が無いし、時間をかけて会う人でも無い。情が薄くてごめんなさいだが、僕の情は過去には向かないもんで。

一昨日母親と話しているときも思ったのだが、過去に固執する感覚ってなんなのだろうな。

親とて、今となっては対等な個人。

「私、しんどかったよ」ってやたらと言う。

ここには子育ても含まれていて、僕を育てることがしんどかったと主張して、僕からの見返りを期待している。僕はこういう精神性の人、とんと苦手。当事者意識がある姉と妹がこの人から離れたのはしょうがないと思う。だって、当人達が生きて育ってきた過程を親に否定されるんだから。姉と妹はせめてそういう親になりませんように。

僕はこういうインナーチャイルドは解消済みだから、僕のことを言われているというよりは、母親が設定した僕という息子のことを言っているのだろうなとしか感じなくなってしまった。

これ、僕のお客様だったらこのズレを解消しても良いかなぁと想っちゃうのだが、当事者だから、登場人物としての役をあんまりズラセナイとも思う。

だって、後悔の対象が子供達であって、僕も含まれているもんで、精神回路によっては、生まれて来てごめんなさいと思わせられるようなことを無邪気に語る母。

凄いよね、僕に対しては「これを言ったら僕がどういう気持ちになるのか」を全く気にしていない。

別にどれだけ人格否定されても気にしないのだが、行動を求められると、「その物理時間があるのか」という話になる。

僕は、母親だからみたいな枕詞でその人に何かをしようとは思わない。

僕が生き延びたことにはこの人に寄与があるのは確かだが、だからといって、子育て失敗したと言われながら感謝するまでの器は無い。

僕の感謝は、変な話、お金ではなく、身動きの話。

母親、子育ては仕事として捉えていたみたいで、お金についてはなんとかしようと思っていたらしい。お金かつかつでも、なんとか工面しようというのが母親としての仕事だったと。

まぁ、家族ってぶっちゃけ自分達で選んだ縁ではない、他人同士だからそういう一方通行はありうるけども、だからといって、その一方通行に勝手に後悔されても、子供としてはだから何なの? としかならない。

ごめんけど、本質的には我が家庭の問題の本質は、そういう客観的な話ではなく、単に腹を割って話せない繋がりでしか無かったこと。母親が暴君で、父親が酔いどれ(好きだった)で、姉は僕への劣等感で僕を奴隷として扱おうとし、妹は奔放でちょっと不良。

僕はこの家庭で、空気のように過ごしたい中、存在感が否めない。

僕の今の精神で当時にタイムリープしたら、父親の退場も母親のヒステリーも回避できるような気がする。当時、両者とも受け皿が無かったからこじれた。

こういうのが、過去との付き合い方だと思うのだが、いかがだろう。

僕なら、過去について「しんどかった」というときは、めっちゃ笑顔だと思う。

笑い話で語れないんだったら、その人にとってはまだ「いま」。

やれやれ。

お仕事の話を書こうと思ったのだが、ここまで書いたところからすると濃度が薄い。

刹那の縁でも人をたらす僕ってなんぞや。

正直不動産の漫画を読んで、正直であることは損みたいな感じだけど、そもそも正直ってなんだろうなって。

行動経済学が言っているように、そもそも人が選択するときに完璧な前情報は無い。

だから、情報量が多すぎないように説明をしないという選択もある。

全部を話すのは論文形式だし、そんな言語量を人は記憶できないし、だから相手が聞き取れる量で話すしかない。

これが恣意的だと言われたそうだけど、もともと世界は恣意的なものだから、客観的な世界があると信じている人は、サンタクロースを信じている人と同じ感じなのかも。

みたいなこと考えている。

それでもまぁまぁ人に嫌われないのは、僕がそんなに人を嫌ってないからなのかなって。

上層部のことを滅茶苦茶ディスっている気がするが、これは人間の話ではなくて仕事振りの話。仕事振りが悪い人とは仲良くなれないなというのが主観だけど、主観を仕事に持って行ってないし。

もうちょっと書きたい気がするのだが、ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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