22:54から。
なんだか、世界に毒素を蒔くのが時間的に勿体無い気がしてきた。
アレコレ言われるのも分かるし、ちゃんと言語的な意味は分かるのだが、この言語、あくまで当人の世界の語用でしかないなぁって。
社会規範としては聞かないといけないのだろうけども、というまともな価値観はあるのだが、「これを聞いたところで、僕は良い感じになれるのあろうか」となると、心が拒否する。
例えば、この仕事場で居る限り、「自分のことを最優先しないといけない」となると、ほんと嫌だなぁという気分になる。てんちょーは、そっちに成長したら僕はもっと良くなると思い込んでいるのだが、僕はどの時系列でも自分を関係の中で最優先した時代が無いもので。
自分を最優先にするためには、僕は1人にならないといけないし、それが世界として良いとも思っていない。僕は主張が無いのでは無くて、関係においては譲れる余白があるだけ。
競合他社を蹴落とせるようになってなんぼみたいなのは、たぶん、やろうとしたらできるのだろうけども、心がやりたがっていない。
同業他社でも無く、職場の中でも取り合いの業務があって、ほんと嫌。
本日も、この業務をスルーした犬型新人をてんちょーが残業時間中に引き留めて、やれというだけで、譲れない。
居たたまれなくなって、僕も時間ギリギリだけど、見つけて回した。
犬型新人だから、ではなくて、せめてまともな人間は居ますよ、というか。
僕の世界観だと、人間として合う合わないはともかく、協力できない職場がちゃんちゃらおかしい。この協力できない軸で動いている上司が何を言ってきたとしても、言語的な意味は理解できたとして、この相手が言っている言葉が、きちんと僕に向いて話された言葉なのかという「場」で捉えたら違うよなって。
なんだか凄く毒素が溜まる、気持ち悪い場所だなぁと思っているだけで、あんまり個々人はどうでも良くなってきた。てんちょーも経年女子も、僕を環境としてか捉えていないもんで。
もちろん、普通は他人を環境として捉えるのが当たり前。
誰かに何かを言われて刺激されるのは自分の闇だし。
てんちょー、犬型新人に対して、貴方は足りないよってディスりまくりなのだが、それをしたところで、職場が回ると思っているの、頭がオカシイと思いながら聞いている。
人に厳しくできるのは、自分に厳しくしていないと、イマドキ通用しない。
僕が違うのは、他人はコントロールできないし、するもんじゃないと認識しているのと、自分を調整する方が早いと思っているから。
他人があーだこーだより、自分をどうするかが、人生の命題だと思う。
僕はこっちの方向で生きるのが好き。
腹筋バキバキ運動も然り、本日、帰ってから炒め物を作っていて、この料理、「火入れ」が奥深いなと「探究?、研究?」みたいな試行錯誤モード。
安全を重視して焼き過ぎると、豚肉さんはゴムのような食感になる。
本日の炒め物の豚肉さんは、火入れが上手くいった。
僕の人生、これで良い。
探究モードというか。
関係性の中で、自分が最優先の人達の気持ち悪さはあるけれど、その世界の標準に生きる気がないという覚悟はできた。
僕のお裾分けで暖を取る人がおんぶにだっこで僕とどれだけ過ごせるか。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。