23:11から。
3連休明けは残務が大変。押して押して今の業務ができなくて明日は早めに行かないといけない。
これを構造改革の産みの苦しみと考えれば、まだやろうかなと思うのだが、僕に業務偏り過ぎではないかと思っている。
僕以上にてんちょーがばりばり働いていたら、これは甘えだなと認識するのだが、どう観測しても、てんちょー、業務時間が余っているように見える。
「ばりばり働く」の定義を通勤時間が長いとか残業時間が長いとしたら。尊敬対象になるのだが、僕としては、どちらも自己満足領域だと思っちゃう。「私はしんどくしているから働いて居る、だからえらい」みたいな。
仕事時間が長いだけで何をやっているんだろうという観測。
しんどいことに同情して欲しいっていう卑下ムーブだったら同情の余地はあるし、ちゃんと寄り添ってあげるのだが、プライド的にそういうことは求めていないと思われる。
しんどい自分が好きなんだろうなと。
僕は、しんどい自分に同情するのは20代でやめたもんで、そんなの身動きできない動機にはならないような。
そうか、卑下ムーブの世界の人とはあんまり対等に本音を話せなくなっているのか。
誰かと比べて、優劣を測って自分の方がマシみたいな話を聞いたところで面白くない。
そんなことより、貴方はどうなんだ、みたいな。
では、僕はどうなんだろう?
そろそろ、資格収集しても良いかもしれない。
宅建は、間違い探しに面白みを感じれば取れると思われる。その分1人時間が長くなるけども、ここは赦してもらうしかない。別時間も大事にしてもらうしか。
相手の時間に寄り添い過ぎている説。
そういう性質だからそういう性質の人が集まって来るのは仕方ないのか。
やれやれ。
また仕事に戻る。
本日、てんちょーがそんなにウザくなかったため、ちょっと仲良さげに雑談をしてあげた。
この「あげた」というのは、この人の中の「歓談」が、薄っぺらい浅瀬でばしゃばしゃでしか無いのが、僕の中で確定しているから。
INFJの性質だとされている、人のことを「カウント」している。
足し算引き算みたいな客観ではなくて、主観的な観測でしかないのだが、言動が不一致していることをカウントして、この人もう駄目だなって思ったら、僕の相手に対する言動もちゃらんぽらんになる。
僕のちゃらんぽらん性は、一般的にどうでも良くないところをどうでも良さそうにしているという「真」もある。例えば、嫁の実家で無駄に寛げるとか、営業マンだったら売上が全てだろうというものさしに従って居ないとか。
でも、言葉としては、結構「擬態」している。
ほんとは洞察とか観測していることは日記で書いている以上にあるのだが、ここまでの言語量を受け取れる人は居ないと思って居るから。言語化するためには脳の回転を遅くしないといけない。
だから、会話しててちぐはぐになることがある。
遅くするのもエネルギー遣うもんで。
例えば、てんちょーで言えば、上から下りて来たからやらないといけないと言いながら、サボっている領域があるのは明らかなことが洞察できる。これをぶっちゃけるのが素直なのだが、これをしたところで、僕は嬉しくもなんともない。
「自分に素直であること」が、「自由」だとは思っていないし、余計な衝突は避けて良い。
ほんとに分かり合えるなら、衝突は不要だと思う。喧嘩がじゃれ合いなら良いけれど、人と分かり合う為に、喧嘩が必要というものさしは良くワカラナイ。
僕が本気で喧嘩するとしたら、終わりの時だし、そんなさよならの間際に無駄なエネルギーを遣う気が無い。
僕が職場に絶望したのが、三連休の初日に来ていたお客様からのメールに、何も返信をせずに放置していたこと。犬型新人は余裕が無いし、いっぱい僕の休みの日の業務を進めてくれるから、ここを放置したところで、自分の業務が忙しいのだなという理由が分かる。
上層部に対しては、理由無く放置したんだろうなという、猜疑心。
これで、休日はきちんと休めなんて、できない。
要は、生活をサボっているちゃらんぽらんの人に、本音は話せないというだけ。
僕は観測上、ちゃらんぽらんに見えるかもしれないが、視力も良いし読み取り力もあるので、人が言っていることが、自分の為なのか相手の為なのかということは観測している。
どれだけ良いような言葉を言ったところで、地はどうしようもない。
明日も早いのでここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。