感覚できるかどうか

23:23から。

やっとこさ日記時間。

別に不満は無い。むしろ、ちょっと面白くなっている。

できることが増え過ぎて。僕の対人許容範囲が広がり過ぎている。

これは、僕の正しい方向性だから、後は僕と関係している人の器の話。

負荷がかかるほど、適応力が増加すると考えれば、どんな人でも環境でもご飯にしかならない。

これ、ポジティブ思考だと思うのだが、この思考による試行を続けていると、人と話が通じなくなる。

1例。

本日、結婚して一緒に住む家を探しているお客様とお話しをした。

実家暮らしで自炊したことが無い女性が、ご飯を作っていくことに対して不安があると言う。「仕事が終わって帰ってきて、ご飯を作るモチベーションがあるかどうか」みたいな。

この流れで、僕がだいたい晩御飯作ってます、某ユーチューバーのバズレシピがリクエストされたもんで、本日は素麺作ってあげます、だいたいレシピ見たら作れます、みたいな話をしたのだが、こんなの、自慢にしか聞こえないよなって。

一応補足として、一人暮らし期間が長かったので、毎日弁当を作る機会があってとかごにょごにょ言い訳したが、「私、一人暮らしになったとしたら、なるべくご飯は時短して、フライパン使いたくないです」とか、2番目に長く過ごしたパートナーさんと同じようなことを返された。

これに対して、僕は、ケータリングサービスの良いご飯を届けてくれるのが良いのではと思いつつ、「自炊もそんなに安く済むものではないから、もはや趣味の領域です」と言っておいた。

たしかに、普通は、フル残業した後に、ご飯を作る余力なんて無いよな、と、まともな感覚を懐かしく感じる。

僕も最初の料理はカップラーメンとか、値引き弁当の方が、お腹が膨らむのと労力の天秤でお腹が楽に膨らむことを選ぶのが人間。僕で言うところの酔い明けて胃がバグって炭水化物をやたらと欲するのと同じ感じ。

流石に、もうこのお客様には僕を開示できない。

僕が料理を作っているのは、節約みたいな人間的な感じでは無くて、必要に迫られてという環境に適応する為だった。

たしかにお金は無かったのだが、そんなことより、自作のたこわさを作ってみたかっただけだし、いちいちご飯買うより、自分が作った方が身体に合いそうだなという試行だった。

これ、義務では無いから、仕事が忙しいからサボって良いみたいな領域とはしていない。

しないことに対して、いちいち言い訳する人とは話が通じない。

僕がしていることと、貴方がしていないことは、全然連動してない。

面倒くさいから時間がある時にしかしないというのは、「生活」ではないような気がする。

まぁ、これが普通でないというのは分かってきた。

僕は生粋の変人なので、この、「したいけど、できない」という気分の感覚も分かる。

ちゃんとここも通ってきたから。

料理できない人が、料理できるようになりたいってアドバイスを求めてきたら。当人のレベルに合わせて教えることはできそう。

感覚派だから、調味料は目分量なのだが、ちゃんと計りたい人には、なんとかできそう。

料理って、義務じゃなくて、愛だから。

やべ、寝る時間。

ここまで。

おやすみなさい。

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