20:44から。
色々と考える。
所有の概念と共有の概念の帰結って書いたっけ。
所有の概念の人が多い場だと、共有の人は食いつぶされて、精神を病む。
共有の人が増えて来ると、所有の人はその場ではいたたまれなくなる。
僕の世界は、共有だし、やっと共有の人がやってきたなぁと思って盛り上がってきた。
共有の概念の本質は、「自分世界を全て」としないこと。
自分の存在を守るためにボランティアする人は、普通に所有の人。
自分の存在の為に慈善的なことをするか、自分がぱんぱんだから垂れ流すか。
僕は後者だもんで、誰かからの感謝を、自分の存在を保つ道具としては扱っていない。
感謝は感謝で、僕が当人の世界にそういう意味で介入できて良かったなぁという感じ。
僕、こういう言う意味合いで、人の人生を守った案件が多い。
別に、それで感謝が欲しかった訳でも無いし、仕事だからやった訳でも無い。
単なる、自分の性向として。
これって、別にこの業界でなくても関係ないなと思っているから、あんまり気にしていない。
ただ、我が店舗のてんちょーが所有の世界マックスなもんで、そういう意味でも仕事がしづらい。
僕は、別に僕の売上になるために仕事してないもんで、僕の営業の時間が失われるより、場が調和的になったほうが、全体の売上になると思っている。
この意味で、調和を害するてんちょーと経年女子はぶっころと思っているだけ。
この人達、合理的な仕事をしてくれない。マジで、仕事上、どんな人も歯車でしかないんだから、経年しているからっていって自分を持ってくるなよと。
持って来るんだったら、もっと良い仕事しなさい。
とかいう僕は、仕事上に持っていっている自分と、プライベートな自分はそんなに変わらない。すんげぇ家庭時間でも稼働している。
僕、1人時間は欲しいのだが、家庭時間を確保できないほどのお子ちゃまではない、
休みの日には、1人で散歩しに行って、夜ご飯時に帰ってきて、パートナーにご飯を作るのが、僕の普通の夫婦生活。
この文脈で、僕に愛が無いってどういうことなのか。
へい。
いや、色々と人の概念はある。
僕は、死ぬまで自分の認識を更新し続けるという意味で自己肯定観が無いから、着いて来れない人はしょうがないと思う。
腹筋ばきばき運動も寝る前にするし。
動けない人を、どこまで「人間」と認識するか。
ここまで。
おやすみなさい。