マトリックス(映画)が描きたかったこと

21:21から。

本日はお休み。

独りの時間でごろごろと諸々と思索する。

もちろん、家事は怠らない。

満月さんのリクエストのローストビーフの低温調理があと2分で終わるし、豆苗とシーチキンのサラときゅうりの塩昆布ごま油和え、あと、日中満月さんが送ってきたズッキーニの美味しい食べ方も実践している。縦に2つに切って身の方に切れ目をつけて焼くだけ。

あ、ローストビーフの低温調理が終わったので、塩を加えて放置時間。

こういうのが家庭時間。

別に全くしんどくないし、義務と思っていない。

ふと、「束縛」の概念について考えた。

「人」が一番影響を受けて変化しうる対象は「人間」だから、更新して価値観が変わってしまったら一緒の世界線がズレるから、てっとり早いのは、人との関係をなるべく断つようにコントロールすること。

好きだから拘束したいということが愛だって思っている人は多そうだが、個人的には、これってお互いを時間に影響されない「物質」と捉えている所業だと思う。

たしかに、もともと日本のパートナー観は1対1だし、パートーナー=財産みたいな価値観がある。瞬間というか、当人の人生時間で人を把握する価値観。

満月さんと、時間の概念が社会において変わってきているという話をした。

「時間」って、距離とか速度と相関している。例えば、誰かに会うためには、車で何分とか、かつてはお手紙のやり取りに数日かかるとか。

交信は通信技術でもう時間を気にしなくて良くなった。

公的なところは追いついて居ない。ここは拙くてつまらない。ともあれ。少なくとも、個人間の交信は、手紙がちゃんと届いたのか、ちゃんと読んでくれているのか、返してくれるのかという、焦がれ情緒の間は無くなった。

今やLINEで相手が読んだかも分かるし、返って来なければ相手は自分に関心が無いとのとの読み取りもできる。普通は。

あんまり情緒が無くてつまらないなと思うのだが、そんな間を味わえるほど、現代人、時間が無い。ぽんぽんとレスポンスを求める。反応が無いのは、ほんとうは咀嚼しているかもしれない。僕は、ここを待てる。だって、相手の世界は相手のものだから。

という感じで仕事の話。

あんまり面白くないのだが、人によって影響されることを辞めた人は、自他を舞台装置にした欲しがりさんになる。

上層部との関係性として、居ない方がマシだと思っているのは、僕の像がこの人達に規定されているから。

僕が真面目だという当人のものさしで僕を観測している。

ここをぶっ壊す意味が無いのでやらない。僕が真面目に見える奴は、僕のことを見ていない。

僕の正直世界観だと、上層部、マウントを取りたいだけの無能だから、仕事の采配に矛盾がある。でも、この矛盾、自他を舞台装置にしている世界観だと当たり前。だって、自分はそのままでは、世界が足りないとしか認識できない。

僕はそういう世界では生きられなくなったもんで、行動が更新しない人って、僕の世界の住民なのかなと思っている。

僕のことを舞台装置とする人は、僕に舞台装置にされても仕方ない。

でも、僕は、他人の存在気にしぃなので、ちゃんと相手の世界に付き合ってあげちゃう。

てんちょーは時代遅れで可哀そうな人だと思うけど、この世界に付き合う謂れが無い。

仕事としてどうかはなく、人間としてどうか。僕の話を聞く気が無い人には僕の裏話を語れないという意味。

聞く気があって、行動する気があるのだったら、もっと話せることはあるけど、僕の話を聞いても行動が変化しない人に、僕が本音を話す意味ってあるかなって。

ほぼほぼない・

僕の世界への語りは、もう自分の闇を解放したもんで、「誰かと居ないといけない」みたいな世界じゃない、

僕と一緒に居るために、何にもしなくて、僕の愛で暖を取っているのはどういう語りなんだろうな。自分がほんとんど生活時間で何もしなくても、僕と一緒に居られるって、どういう論理か分からない。

舞台装置なのか、愛によって自分の行動ができない領域を相手がしてくれると想っている世界観なのか。

だとしたら、一緒に生きていて全く楽しくないんですが、ということをここであえて書いておく。

僕の価値観とか行動の更新に時間的に全然着いて来られてないけど、それでも一緒に過ごせるんかなぁって。

これ以上書くと取っ組み合いが始まるかもしれないからやめておく。

おやすみなさい。

良い夢を。

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