境界線

22:58から。

昨日の話。美容院で、明日は満月さんが飲み会だもんで夜ご飯を準備しなくて良いという話をしたら、そしたらおすすめのお店ありますよって言われ、よくよく聞いたら、事務所から徒歩3分のお好み焼き屋さんだった。

これも縁だと想い、1人外食してきた。

全然勝手も知らない店に1人で行くことなんて昔はできなかったけど、なんの躊躇も無く入れるようになっている。

もんじゃ焼きを頼んだのだが、「作りましょうか?」という声かけもなかったもんで、セルフかと察し、この前東京で行ったもんじゃ焼き屋さんのやり方を見よう見まねでやった。

店員さんからアドバイスがやってきたが、へいへい聞いた。

普段は自炊派だし、美味しいご飯はだいたい作れるし、ご飯食べながら1人で日記を書く方が楽しい。

これって何だろうなって思うと、自己と他者の境界線をきちんと引けるようになってきているからかもしれない。これは現在進行形の変化だから、あんまり客観的に言語化できるところではないのだがもうちょっと書いてみる。

「物怖じ」って、経験を正にして未知を悪とすることで起こる感情。

これは人間が原始的に持っているDNAに刻まれている情報だから、良いも悪いも無い。

個人的には、もう経験に固執していたら、新しい時代に着いていけないと思っているが、これは個人の選択だから、どちらでも良いと思う。

この延長で、自己=経験、他者=未知となるとして。

もうちょっと細かく言うと、この自己の中には、経験してきた「他者」も含まれる。

たしかに、もともとの経験として自己と他者の振り分けが無いと、他者って認識できない。もっと言えば、これは伝わるかわからない、「自己」も経験によって創り出された、偶像みたいなもの。ある憲法学者さんが、宗教の自由の項目について、「信仰」とは、内心ではなくて、それに基づいて行動することだと評していたのだが、「自己」を信仰対象と捉えたら、基づく行動によって、自己という偶像が再生成されている。

だから、未知は怖いし、自分が今までやってきていないことに抵抗ができる。

「自己」と「他者」の境界性って、2択の話ではなくて、もうちょっと入り組んでいる。
自己からみた他者とか、他者からみた自己とか、そういう偶像(宗教?)に境界線を引けるようになること。

そうして。

お仕事の話。

むちゃくちゃやる気が出ない。

これもきっと境界線の話。

ちょっと、強制終了。

おやすみなさい。

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