世界のズレ

22:03から。

言語化ガール(のお母様)からいただいた、ただ茶豆を茹でた。

責任重大。満月さんは仕事が忙しいから調理できずに悪くなっちゃう未来が見えたもんで、その前に介入した。

仕上げは上々、めっちゃ美味い。

たぶん言語化ガールは読んでいると思うので、この場でお礼をば。

お母様に、ちょうど良く茹でられました、ありがとうございますとお伝えください。

満月さんのリクエストは「冷たいめん!」

讃岐ひやむぎなるものを茹でて冷蔵庫で冷やしている。

ズッキーニと茄子の輪切りを炒めたのも冷蔵庫。おつゆは市販品のぶっかけつゆと、オリーブオイルとレモンのたれみたいなので良いかなと。いかんせん、自家製で作ると冷やすのに時間がかかるもんで。

後は、サラダ用に買ってきた豚しゃぶを組み合わせて完成。

僕の料理上の理想は、作った料理で満腹にはならないけれど、満足になる感じ。

この時代、ほとんどの「食」は娯楽領域なんだから、毎日満腹になる必要は無い。

満腹とは、僕の中では飲み過ぎより「毒」。

昨日、日記を書けなかったのは、この毒が回っていて活動できなかったから。

職場のご飯会があった。

会社の経費でいっぱい食べられる、ちょっと高級な回転寿司屋さん。

僕としては、寿司は好きな物だけ食べて、あとはおつまみメニューでちょこちょこ食べようかなという感じだったのだが、男性陣の注文主が、丼勘定だったもんで、別に食べたくない物を食べることになる。その時点で僕の胃はMAX。

てきとーに選ばれるくらいなら、食べない方が良いのよ。

だって、冬眠前の熊みたいにカロリー補給しとかないといけないような生存への危機感がある訳でもないし。

でも、一般的な価値観だと、いっぱい食べることが「善」なんだよな。

僕は、ここに対しては、共感も共有もあんまりできない。もう、今の感じ、満腹ために食べなくても良いと思っている。

男性陣の下腹、だいたい同じようにぷっくりしていて、この業種ってそういうスタイルになるのが「売れる」ということなのかとちょっと観測した。すんげぇ蓄えている。

いや、もともとの身体として胃腸が山根君(ちびまる子ちゃんネタは通じるのだろうか?)だから、「いっぱい食べたら元気」みたいな感覚が分からないだけ。ちゃんと消化できるなら、いっぱい食べても問題ないと思う。

だた、毎日、空腹を満たすこと目的として生きるのであれば、無間地獄な気がしただけ。

他にもっと楽しめる「人間」はあるような。

「食」は、「何をどれだけ食べるか」ではなく、「誰といつ食べるか」が大事。

さておき。

お仕事。

エリア全体の店舗が苦戦している項目が優秀だったもんで、我が店舗が、社内掲示板で槍玉に上がっている。アドバイスをくれ~みたいな。

僕にもコメントをしろと言われたもんで、やったのだが、我ながらちょっとズレていると思う。営業トークとしてどうやったら良いかという問いに対して、営業トークをなるべくしないように済ませるように意識している、みたいな。

個人的には、ここが全てだと思うのだが、たぶん、誰でもできることではない。

普通は、自分の「知」が邪魔して、これは悪いことをしている、みたいな罪悪感が出てくる。

でも、これって、当人の決めつけであって、瞬間てきな時空において、相手の良いか分かるかは不可知。安上りで安心なのか、お金を足さないと不安なのか、とか、この人が言っているからそういうもんなんだとなるか、は、こちらが選択できる世界ではない。

安上りを求める人は、きちんとした論理と利益があると感じれば、お金をかけちゃうし、本当はかけなくても良いお金なんだろうなと内心思っていても、まぁこの人好きになっちゃったからちょっとくらい課金しても良いかということもありうる。

お客様を客観的なデータとして見てしまえば、こんな細々した機微を感じるなんてできない。これが人間とAIの違いだと思う。人間は、数値換算できない情報を「情緒」として感得することができる。

逆もしかり、ちゃんとしたというと語弊があるけれど、人間は、僕の人間性を情報(現実)ではないところで直感できる。

で、ちょっと面白いと思ったところ。

僕がものぐさで(語彙がズレているから返信しにくいが真実)、返信を怠っていたら、替え玉で、経年女子が返信の草案を作ってくれていた。

意外とちゃんと僕のこと観測している。

こりゃあ、てんちょーだけでなく、経年女子も僕のファンなのかもしれない。

僕がコメントした、「相手に意識させないように意識している」の返信で、それはどうしたら良いんですかって他店の店長からコメントがあったのに対して、「無を意識することです」と。

枕詞で、「男性苦手な女性のお客様から成約とっちゃう硯です」という文言があって、なかなか秀逸なコメント(文章)だなって読んだ。

文章外の発言で、男性苦手な女性が大丈夫なのは「男」を「無に」しているからって。

なかなか解像度高い。男性が苦手な人って、男性性を抽象化して、「男性とはこういうもんだ」という世界に生きている。一般的に考えられるのは、高圧的なマウントを取るとか、視線がエロいとか、そもそも女性を馬鹿にしているとか。

たしかに、僕はこういう意味ではあんまり「男」ではない。

変な話、解像度によっては、あんまり「人間」とみなされないかもしれない。

この「無」とお客様に営業だと意識させない「無」は繋がっている。

草稿が面白かったもんで、コピペしつつ、僕がやっている技も加えてコメントを返しておいた。

まだ、心理学上の名前は付いていないけれど。

僕は心理学上の、人の心理が動く現象の名前(概念)をあんまり信用していない。

だって、そもそも心理学って、人を動かすことを研究している学問ではない。人一般が動いた現象の理由に名前を付ける学問だという認識。個別の人にむやみやたらに適用できる道具ではない。統計の母数が全人類でもないし。

もちろん、馬鹿にしている訳でも無い。

心理学はAIの集計が加わったら、もっと人間の深みに辿りつけそう。

全てではないにしろ。

お仕事場のてんちょーの機嫌が悪いときの振る舞いが、暴君ではなく、赤ちゃんのぐずりみたいに思えて来た。

本日、僕がお客様応対をしながら聞きみみを立てつつ、犬型新人が定時で帰ったんだけど、俺が課したノルマをこなしてないーとかやたらと引き留めようとしていた。

いや、このノルマ無理ゲーだから。

なんならてんちょー自身も終わってないと思う。

とすれば、もう、淋しいだけなんだよな笑

この淋しさに付き合えちゃう、僕と犬型新人。

でも、もう、知ったこっちゃない。

僕は仕事をしに出勤している訳で、誰かの機嫌なんて知ならない。

お前ら、もっとちゃんと仕事しろや。

という流れで、YouTubeで流れてきた「思考の階段」という話が面白かった。

この「階段」は、概念上、便宜的に分けているだけで、貴賤は無いらしい。

「反応」、「論理」、「批判」、「認知」、「構造」、「戦略」。

矛先がやっと自分に向くの4段階目らしい。

ここで、やっと自分のバイアスに向き合えるとか、なんとか。

自分に向き合うことの代償として世界のせいにする人は多い。

自分が培ってきた人生が無駄だとはしたくない人達。

個人的には、もうこの階段思考では生きていない気がする。

もっと上なのか、下なのか、横なのか、斜めなのかもどうでも良い思考回路で生きている。

相手に合わせるために、階層を移動できるというのはあるけれど、移動にもエネルギー遣うもんで。

ここで面白いなと思ったのが、「自己認識の階層」。

何事もないときにはこの階段が上の方で思考できる人でも、有事の時(怒ったとき)には反応的な思考になるという話。

人間って、最低限の時を捉えるべきだよなって思っていたら、こんな動画が流れて来た。

怒った時、不安な時みたいな極限状態の時がその人の最低限だから、自他として見るべきは、「整っていない時の人」なんだよなと。

整っていないとできないことは、きっとする気が無いこと。

僕は今、あんまり整っていなくて、本があんまり読めていない。

したいんだけど、物理的な時間があんまりない。隙間時間で読むのはできるけど、隙間がマジでない。

まぁそれでも小説は読んでいる、最低限。

他人と生きるって、当人の最低限を見られることだから、最低限を底上げできないと、見捨てられてしまう。

ここまで。

おやすみなさい。

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