可哀そう

23:03から。

起きても眠い。

活力が落ちているというより、また世界線がズレるのかもという感じ。

眠気って、きっと今の世界(線)への「飽き」が強い。

あくまで、思索的解釈だけど、体調はそんなに悪くないもんで。

ついでに、仕事日なのに朝ごはんが食べたくなっている。

切り分けが無くなってきているのかもしれない。お客様応対中にお腹がぐーぐー鳴るのは失礼な気持ち。

そうして、お仕事。

上層部2人と僕の3人。

個人的に、我が職場で考え得る最悪の組み合わせ。

何が駄目かというと、人間性というより、指揮系統が混戦するところ。

2人とも人の上に立つような器を持っていないと観測されるから、どちらかが出社している時点で乱れている(この職場は始まる前から終わっている)のだが、器の狭さのサンダーボルト化学変化を僕が一手に請け負わないといけなくなる。

僕は上層部のスキルとか能力とか知識とか経験とか認めているのだが、「教育」ができない時点で、上層部の職位としては終わっていると思っている。

人を育てられない。

なんか、凄い毒親ちっく。我が母も毒親だったから経験済みなのだが、端的に言うと、「他者の自己肯定観を向上できない」。

これって、他人を自分から離れたところで肯定できないっていう意味合いもあるけれど、本質は、当人に自己肯定観が無いところにある。だから社会性はあるのだが、ほんとうは自己肯定観のために「それをするしかない」ということ。なかなか寂しい人だと思う。

僕は、「自己肯定観」については自己でご機嫌取れるので、誰から何か言われたところで、嬉しいことはあっても、自分ダメダメじゃんとはならない。なんなら、僕の目が僕に対して一番教育者だから、変に駄目出ししかしてこない年長者のことは聞く耳を持っていない。まぁ、自分世界から観測して、ちょっと違う人に対して「正しさ」を指摘したい気持ちは分かるのだが、観測者と観測対象者は、まずもって存在が違うし、同じような方法論で上手くいくとも思わない。

この「正しさ指摘者」って、その指摘に従って相手が失敗したとしても、責任は取ってくれない。「貴方が決めたんでしょ」って梯子を平気で外す。あくまで当人の世界での違和感を解消したいだけ。

僕はだいたいの世界において異物だから、色々言われる。

本日も上層部からそれぞれ色々言われたのだが、本来は感じてはいけない感情を抱く。

「この人達、『愚か』だな」って。というのも、本来だったら、何かが拙くても成果を持って返って来る人材は囲うべきであって、もっと褒めでコントロールしないといけないのに、自分の世界からの違和感の方を大事にして、僕にやたらと駄目出ししてくる。

当人達には絶対言わない反論だけど、僕としては、貴方達の仕事がてきとーな世界線に合わせて仕事しているだけなんですけどいう気分になっている。まじ、もっと教育と統制きちんとしてくれよって。居ない時の方が上手くいくって下から思われている時点で終わっている。犬型新人も共通見解だから、こちらも1人称ではない。

僕が「愚か」だと思ったのは、もうちょっと具体的なエピソードがあるのだが、詳細は書けないので、ざっくり。「仕事をしていない」と言われる。僕の仕事の履歴とか失敗を取り上げて、もっとこうやった方が良いよって。

いや、正直、素直にキモチワルイです。

としか思わない。何がキモチワルイかって、こういうことを言う人って、自分のことが全く観測されていない。これを言ったら自分がどう思われるかみたいな、相対的視界が無いんだよな。いや言っても良い人だと見下されているだけか。

この世界というか、言語野しかない人に僕が話せることはほとんどないんだよな。

ここで、話すような自己主張の辞書はもう捨てている。僕はもう、そんなに話さなくても分かる人には変人だと認知される存在感をかもしているもんで、あんまりこの階層のことは気にならない。

こういう文脈で、かつて言語化ガールがモテ無双したという話も分かる。

彼女、意図してか無意識かは分からないが、やたらと人の美点を指摘する言葉を発して相手を褒めるもんで。これはこれで凄い視界。僕も見えているけど、あえて垂れ流さないところ。

だって、人に無駄に好かるのって困らないか?

って。僕はやり取りが面倒なもんで、人の美点を観測しても、あんまり言わない。

やり取りしたい人にしかしない。

言語化ガールが単純に良い人であるとするのはちょっと違う気がする。

なんなら、ちょっと暗がりを感じなくもない。

まぁ、僕も暗がりで生きている人だから、「暗がり民」として、ちょっと共感しているくらい。「良い人である」って評価されたら、相手に対して、「全然見る目無いよね」って感じてそう。

僕は、僕のことを「優しい」と言う人は、ほとんどが見る目無いよなと思っている。

ただ余力でまき散らかしているだけ。僕の本質は、優しさではない。

知らんけど。

やれやれ。

本の話。

本日、もう昨日か、僕の1人時間が減ってお風呂読書がシャワーになったのだが、その後に読書はちゃんとした。

僕にとって読書は娯楽じゃなくて、調律みたいな意味合い。

戻るべき「自分」は幻想だと思っているけど、それでも、なにか整う。

だもんで、読んだことを垂れ流して読書アカウントとして拡散する欲求もない。

個人的には、読書って個人的な体験だから、あんまり共有できるものではないようなという感じ。文字情報では無くて、小説に感応する体験は、その人だけのもの。

例えば、僕が昔「流星ワゴン」を読んだとき、たまたま父親が亡くなったあとで、なかなか感動したんだけど、この感動を、感想文として共有できるのかというと、書けるけど、読んだ人は共有ではなく、「同情」になりそう。

同情って、僕の解釈だと「見下し」の味がある。

僕はどういう人に対しても同情はしない。対等だから。

あぁ、でも、我が職場の上層部にはちょっと同情する。

「人間」が可哀そうなもんで。

僕を下にしないといけないほど、世界が狭い。

感謝して欲しいとか、褒めて欲しいとかは全く無い。

念のため。ただ、可哀そうな世界で生きているなって思うだけ。

ここまで。

おやすみさい。

良い夢を。

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