どうもこうも

22:35から。

本日の晩御飯。

満月さんが体調不良とのこと。微熱。

リクエスト、うどん。消化に良く体調が回復しそうな感じで作った。

白菜、長ネギ、椎茸に焼き目をつけて、鍋に入れて、鶏もも肉も焼き目を付けてから加える。出汁パック2個で濃い目のだしを作り、醤油と砂糖を加え、最後に溶き卵。

僕用のメインとして、鶏もも肉を流用し、冷蔵庫で悪くなりそうになっているキャベツ、人参、玉ねぎ、セロリの葉で洋風煮込みを作った。味付けはコンソメ、ケチャップ、ウスターソース、ハーブソルト。あと、にんにくも使ってる。洋風薬膳みたいな味わい。細かいレシピは非公開というか、時間という意味の手間無く、手順という手間をかけているから、あんまり公開できないような。

最近、食材の火入れを肉と野菜で分けることを実験している。

炒め物でも、火の通り易さで順番を分けるではなくて、そもそも炒めるのを食材毎に分ける。

いちいち取り出す手間って、メンドクサイだけで、時間的にはそんなに変わらない。

本日の食卓にはもう3品。

マグロのぶつ切り?の半額を買ってきて、オリジナル調味料で漬けをした。

酢、ごま油、醤油、マヨネーズ、わさび、とかそんな感じ。

よくわからないのが、この漬けの味、なんかマグロに火入れしている味わいがあること。
なんの化学変化だろう。

あとは、2日くらい前に作った、もやしときゅうりのナムル。

中華料理屋さんの味わい。もう一個は、えのきとしめじとしいたけのマリネ(常備菜)。

料理の話はいくらでも細かく書ける。

これでもざっくり。

なんとなく文字数を割いたのは、僕はこれだけ「できる」もんで、本来は外食の概念があんまりないのだと思ったから。

人の動きって、だいたいメンドクサイが原動力になっている。

もうちょっと言えば「時間をかける手間」。僕からすれば、注文して料理が来るまでの待ち時間の方が手間と感じる。他のことができるから、お金かけて時間を買っているつもりだろうけど、ざっくりご飯時間だから、使えているようで使えてないような。

自炊の手間は、料理の練度が上がるし、ちゃんとその日の自分が美味しく感じられるよう作れるし、なにより、食材が自分で確認できる。

これ、ちょっと「報われ」の感覚と近い。

料理のスキルが上がることを、自己認証とするみたいな。
僕の中では料理は人生劇場の付け合わせみたいなものだけども。

「報われ」の本質を持っている若者って、職場に成長を求めるらしい。

これはこれで良いと思うけど、なんというか、主観だけだったら、もう自分が主人公で、世界も相手も舞台装置というか環境になるだけだから、逆から見れば、当人があんまり人間としては見られなくなるかもなって。

相手を環境と見る人は、相手からも環境と見られる。

自然な話。

そうして、お仕事。

もはや虚無。

無になっているのとは意味が違う、虚無。

自分の案件が増えるのがしんどいから、キャンセルの連絡が来るとほっとしてしまう。

という感覚がスタッフに醸成されている時点で、職場として終わっている。

僕としては、お客様に向かうというアクセルを踏めば、案件は増えるという認識。

ただ、案件を増やすと、業務量が過多になるし、上層部とのやり取りが増えてメンドクサイ(手間)。その手間賃が給料に還元されるかというと、そんなこともないから、メンドクサイけどやろうかというモチベーションも無い。

仕事自体は楽しいから、全力でアクセルを踏みたいのだが、アクセル踏んで進行した後のことを考えると全力でブレーキを踏むしかない我が職場。

上層部が僕の進行を妨げないように仕事してくれたら、毎月もう何十万くらいの成果はできそうなんだけど、そんな器は、上層部には無い。僕がアクセル踏めば、店舗の売上は増えるけど、僕の業務量だけ増える、僕がブレーキ踏めば店舗の売上は減るけど、残業時間も減らない。

全力でアクセルと、全力でブレーキなんてやっていたら、普通の人間は耐えられない。

どちらにせよ終わっている。完残業した後に、生活時間でご飯を作る、ゴミ捨ての日にはせっせっと持って行って、やっと1人の時間がある。

いや、この生活で、僕が1人時間を創れているって、めちゃくちゃ凄くなかろうか。

これでも、満月さんは僕からの愛の供給が足りないと言うんだけど、お互いが生活時間に協力した上で、2人時間があるんじゃないのという説。愛を問題とするところまで来ていないような。

(また怒られそうだが、それで構わない、して欲しいことをしてくれる人、したくないことを片付けてくれる人ってパートナーじゃなくて、親だし)

ここから、やっと本の話。

報われの話も面白い。

ティックトック観る専の人は、承認欲求とは関係ないのに、何故見続けてしまうのかみたいな。

確かに、僕もショート動画結構見ている。

ここは、頭の鍋に入れて煮詰める領域。

小説って脳トレみたいなものなんだなと思った今日この頃。

たぶん、未來では脳トレの教材として、創作が扱われそう。

小説をエンタメとして読める脳を持っている人は、いまどきだと例外だと思うのだが、人口比率だとそんなこともないのか。エンタメの人が読む小説は、当人の語彙で再構築しているもんで、あんまり話が通じない。

小説の感想がSNSで共有できると思っている人って、他人に言語化できるレベルでしか読んで無いのかって思っちゃう。良いとか悪いとかの話では無く、単に当人の世界の範囲の話。

プレゼントの短編集の次は江國香織さんだった。

お久しぶり。すんげぇ楽しく書いている感じが読めて嬉しい、文学なんだけど、なんだか友達気分。

僕の人生劇場がバグっていることは認める。

ここはどうしようもない。もう一般的な価値観に矯正することは諦めた。

なんかどうも違うもんで。

ここまで。

おやすみなさい。

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