22:06から。
虚無の日。
虚無だからこそ見える世界の「おかしみ」もある。
もっと虚無だった時期でも、本は読めていたもんなぁ。
お仕事。
外向きの仕事が忙し過ぎて、ご飯もろくに食べられなかった。
で、帰って来たあと、てんちょーから仕事ができていないとぶちぶち言われる。
虚無過ぎて、いちいち聞いてられない。てんちょーの論理も意味が分からないし、僕の発言も意味が分かっていない。日本語圏でさえこういう境界線がある。
それは良いとして。僕は結構、人には合わせられる。
のだけれど、我が職場の上層部には合わせられない、何故なら、仕事振りが一定じゃないから、合わせようが無い。
すんげぇ一元的な価値観で生きている階層。
もはや面白がるしかない発言があった。
本日、僕は朝から夕方までお客様の応対をしていて、てんちょーは店舗で鎮座して帰りを待った後、「永田さん、新規の案件に全然向けていないよね、もっと朝早く出て来るとか工夫した方が良いよって」。まだ働かせたいらしい。
ここが凄いのは何かって、この人、意識できる「今」を普遍化して世界を捉えて居るところ。
記憶力が無いことはどうでも良いのだが、自分が見ている世界が全てだから、対等の話し合いができない。お互い欠けているところもあるから、調整できるのが対等な言語の場だけど、自分は欠けてないぜ、上司だぜって来られたら、もう話すこと無いよね。
「ガキじゃないんだから~」って納期に対して枕詞を良く使う。これって自分がオトナ認識でちゃんと宿題はできているっていうことなんだけど、未だに宿題さえできたら良いっていう感覚って、お子ちゃまじゃない?って思うんだけど、どうなんだろう。
要は、「先生に目を付けらない為」であって、仕事とはあんまり関係無いような。
てんちょーは部下に対する納期の設定もお子ちゃまだから、上司として尊敬できるかとか、経年としてとかと捉えたとき、全然尊重できない。
僕の中で、生き残って来た人への尊重は、人生を楽しんで来たことで産まれる余裕か、経験を経て、AIにも認識できない直感で人を気付けるか。
「ガキじゃないんだから」という枕詞へのカウンターとしては、「友達じゃないんだから、ちゃんと他人として尊重しろよ」という感じ。
気遣いの言葉も労いの言葉も全く無い上司に、人間味を感じることはできない。
ただ数年職場で一緒に過ごしているだけだから、仲良くねぇんだわって。
仲良くない部下には、もっと他人として振る舞わないといけないと思う。
きっと、本日僕がバックヤードで飯を食べてないことにも気付いていない。
本質的に部下のことどうでも良いんだから、自己の器を自覚した方が良い。
売上が悪いとかなんとかぶちぶち言っている時に、いつも思っているのが、
「貴方の器の問題ですよね」って。器が狭くて店舗全体を把握できないしフォローもできないから、スタッフの個人的な能力に凭れかかっているだけ。
ちょっと可哀そうかなと思うのが、こういう一元的な自分の価値が全てで生きている人って、未來には生きられなくて、過去が全てなんだよなって。
新しい価値を採り入れられないのは、過去の自己から、更新したら人格が無為になるという宗教観というか、自分が経年してきたことが無駄になるという損得勘定があるのかもしれない。
なんだろうな。僕は過去の自己とは和解したから、そのままで居なくても良いという自由を得た。拙さはしょうがないけど、自分の拙かった過去を、恥ずかしいとは思わない、みたいな。
だいだいの恥ずかしさって、無知だっただけ。でも、相手が無知だって否定しないといけない場って、あんまりいいところではなさそう。
過去の価値観って確かに、変わったら自分では無くなってしまうという揺らぎはあるかもしれない。
個人的には、価値観を揺らがせて、振るいにかけて残ったのが吾輩だと思う。
価値観って、環境によるから、そこじゃない。
もはや社会として一般的な「当たり前」って論理的に正しい前提が存在しているのと思えるのは「幻想」な気がする。
別に良いんだけど、自分が観測者みたいな人は、無理。
世界の不具合に対して、自分が原因だという視点が無いから。
ここの価値観、面白いと思うのだがちょっと省略。
お客様と、全然仕事と関係無い話で盛り上がった。
これはてんちょーの価値観では駄目。ちゃんと売上に繋がるような会話を構築しないといけないみたいな。
僕の価値観だと、コントロールできる人なんて、あんまり面白くない。
小説の話もしたい。
村上春樹さんの、「夏帆」読み終えた。
読み終わりが、過去の作品とも一緒。
小説として面白いのか、というと、なかなか微妙。
文字を追って、脳内で情景をモニタリングして、みたいな話ではない。
もっと抽象的な刺激。
ここまで。
家事とか仕事とか諸々あるもんで、日記だけには生きられない。
おやすみなさい。