越境

22:41から。

本日はお休み。

無気力。

お母様!、お父様!

やっと我が家のリビングの資源ごみがいったん無くなりました!

仕事日より早く目覚めて、ゴミ捨て場まで、3往復か4往復。

徒歩2分くらいの距離だけど、この労力って報われないから体感的な疲れは普通の身動きの数倍くらいかかってそう。僕は別に1人で居る分には、最低限の動線とキッチンで料理できればそれで良い奴。友人を招くために綺麗にしときたいみたいな外面も特に無い。

外面なんてそのうちバレるから、本当に動かせない反社会性があるのであれば、早めに開示した方が良いという説。

まぁ、僕は無気力でも余裕ができてきたもんで、部屋を綺麗に保つ方向でも人生時間を使おうかなという方向性もある。リビングが片付いて来たから、そろそろ物置にして死んでいるもう1つの洋室に取りかかろうかなって。満月さんのことはあんまり気にしていないのだが、自分が片付けない理由の1つに「パートナーである僕がやってない」というのがありそうだから、そこは潰しておこうかなって。潰したいからやる訳ではなくて、僕が自然に動けば勝手に潰れるだけ。

朝から動いたもんでお腹が空いた。

昨日作った蒸し野菜(ブロッコリー、アスパラ、ラディッシュ、茄子、人参)の残りをコンソメスープにアレンジして、納豆ご飯と食べた。満月さんは更にアレンジしてチーズリゾット風に再構築していた。

ご飯を食べたら眠い。

昨日の料理を冷蔵庫に片付けようとしたら、「もう腹いっぱいだわー」って嘔吐されて床に吐き出されたラディッシュの甘酢漬け液の被害にあった、この前片付けされたときに発掘されたキッチンマット等を洗濯した。

冷蔵庫にもメスを入れないといけない。
お腹ぱんぱんで流動できていない部分がほとんどだもんで。

そうして、ひと眠りしながら、考え事をしている。

昼過ぎにまたお腹が空いてきて、家にストックされていた手延べうどんでサラダうどんを作った。食材は昨日の残りの豆苗とシーチキンのサラダと、レタスとワカメとさらにミニトマトを加え、めんつゆ、マヨネーズ、すりごまのドレッシング。

手延べうどんって、洗っても塩味が強い。

午睡もしたのだが、ほんとに無気力だったら、料理とか洗濯はできないから、ちょっと違う波長なんだと思う。

僕の歴史の記録で言うと、動けるのに眠い状態は、別の世界線に動くためにエネルギーを蓄えているときだったような。次はどこに動くんだろうな。

ところで。

最近、なんとなく身動きが制限されている気がする。

連休明けのフルメンバーのお仕事場から帰ってきた昨日、ふと気付いた。

仕事の帰り道、めちゃくちゃ顔がこわばっているし、顎が疲れている。

これってなんだろうと遡ると、フルメンバーのときは対面のてんちょーが暇だから、この人の動きがいつも見えるし、上層部が作っている変な空気に合わさないといけないから、マスクの下で歯を食いしばっているし、表情筋をなるべく動かさないように力を入れているということ。

自然な言葉とか自然な表情が出ないように無理矢理制限していたら、そりゃあ成果も無いわ、と思うんだが、こんな中でも、いや、あるんだわ。

ほんとうに、我が職場の上層部は、人に教えるのが下手過ぎる。まぁ、社会ってあてがわれた環境にどれだけ適応できるかみたいなところもあるから。

でも、この身体的状態、僕が主観的に一番しんどかった時期と近い。

ほんとうに、もう良いかなと自分にも世界にも絶望した時。寝る時に歯を食いしばり過ぎて、舌に歯の後が付く。

満月さん曰く、今も歯ぎしりが凄いらしいから、近いところまで身体的なストレスがかかっているみたい。

まぁ、今の僕は、身体的なストレスとはあんまり連動していないので、なるほどこの場がしんどいのかという俯瞰的な視点もある。

この俯瞰的な視点から見たとき、僕はやらない理由があんまり無くて好ましい。

だいたいが、「場」が変な感じになるから、あえて制限かけるというくらい。ほんとはもっと場を動かしたいのに、別に無駄に評価はされたくないという意味合い。

眠くても本は読める。

プレゼントは読み終わった。

美味しかった。

考察の話とか、法律の話とか、言語がどこから生まれたかの話とか、統合失調症の症例を集めた「自我」とはなんぞやの話とか。

「報われ」の感覚は昨今蔓延っているSNSの表現に全て当てはまる。

お金になるのかどうか知らないが、承認欲求が原動力。

とか言いながら、僕もネット世界に文章を蒔き散らかしているのだが、承認欲求というよりは、発見(され)欲求。僕の文章を読んで面白いと思う人が居るとすれば、その人の文章を読みたいと思うだけ。

現代社会、文章を綴れるって、滅茶苦茶贅沢な時間の使い方だから。

だって、ネットの記事ライターとか、ラノベとか、テーマに縛られたことしか書けない。

テーマ無く書かれた文章なんて、需要が無い。

考察脳でいうところの「報い」がないから。僕の文章は書き手としても読み手としても正解は設定していないもんで、この人達からしたら、「時間の無駄」になる。

個人的に、人間に産まれ落ちた最高の贅沢は「無駄」を追求できることだと思っているのだが、なかなか同志が居ない。

凄く極論的な視点だけど、人がドラマとか演劇とかライブとかに集まるのって、自己の人生劇場に没入できないからじゃないかという説が浮かんでいる。

自分が居ない「場」の物語に没入することができるってことは、その視点を自己に向けることもできるというのが自然な訳で。

この捻じれが異世界転生モノの跋扈になったかもしれないけど、自分を俯瞰できていたら、他人に正義警察する暇がないと思われる。

だって、普通に自分の舞台でも、演技は当たり前の話。

ユングさんでいうところの「ペルソナ」。誰かの世界の登場人物として、演技している。

これに特化したのが「役者」だから、その演技とか、舞台に没入して、演技しきれない自分の人生劇場の慰撫をしているという説。

僕の演技は、ペルソナではなくて、場に合わせているだけ。

ペルソナを求めて来る人を程、登場人物としてペルソナに徹していないのはなんなんだろうな。

ここまで。

おやすみなさい。

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