キモチワルイ

23:07から。

本日はお休み。

出勤前の満月さんに親子丼をこさえた。

個人的には、味付けは良かったけど、ご飯があんまり美味しくなかった。一晩浸水したんだけど、なんかぱさぱさする。浸水し過ぎか?

もう1品、てきとースープ。

振る舞うためではなく生活の為に残り物をぶちこんだだけなので、完成度が低い。

時間の話ではなく、食材の話なような気がする。

だいたいちょっと鮮度が悪くなっている。

まぁこれはこれとして。

頭の中の話。

この前のお客様とのAI話。

AIが司法を担うことになるとどうなるか。

個人的には、裁判って

ちょっとフリーズ。

生活行動していた。

ご飯の跡片付け。

裁判って、基本的に前例との繋がりが大事だから。AIがやっても良いような気がする。

個人的に好きな行政法学者さんが、最高裁判所の裁判官になった判決記録が読書の1冊にあるのだが、だいたい反対意見として書いているから、こういうちゃんと考えている人は最高裁判所の中でも採用されないみたいだし。この人の文章、とても読み易くて好き。

で、前例との一致を大事にするんだったら、最高裁判所にたどり着いた個人の頭脳より、AIの方が遥かに情報量というか、知識はあるのが人間の限界。

バッサリ切り分けるだけではなく、情状酌量的な記録も収集しているだろうし。

裁判の難しさは誰に当たっても判断が一定していることと、本当に個別的な実情とか、新規の案件に対応できること。

前者は法的安定性と呼ぶんだけど、こっちはAIの方が優秀な気がする。

こういう案件はAIが処理しても良さげ。

憲法問題とか、社会問題になるようなところは、人間が担当するしかないような気がしないでもない。AIには責任が取れないというより、AIは情報処理得意だけど、新しい方向性を示すみたいなことは今のところ難しそう。

役割分担はとてもありうる業種。

他にも話していて、企業がAIを導入して、それによって仕事が無くなる人の生活の保障をどうするかみたいな。

ここはあんまりどうでも良い。

何を気にするか、なんて、今の時代、「主観」で切り分けているだけ。

というか、それしかできない。「主観」で生きている人にしか正解は無い。

これも割とどうでも良くて。

AIって、「説明上手」。

これは、着いて行ける人には新たな視点が得られるのでは、とか。

さっきのお客様、AIを勉強にも使っていると言っていた。

問題の解説をAIにかみ砕いてもらったら、分かるって。

AIのメカニズムもアルゴリズムも知らないけど、おそらく、やり取りしていたら、この人はどういう風に読み取る人なのかって学習されるんだろうな。

だから、当人にとって分かりやすい言葉を選んでくれるという想像。

僕は歯応えがあるやり取りも好ましいので、お互い何を言っているか分からない状態でも別にどうでも良い変態。

たまたま流れてきたやつで、ニーチェさんが世界は「解釈」でできているみたいなことをどこかで書いているらしい。至言。

この人の言葉遣い好きじゃないんだけど「超人」の概念はとても分かる。

そう、人の世界って認知される情報を解釈して構築するもんだから、主観だろうが客観だろうが、あんまり変わらない。矢印が反対になっているだけ。

で、解釈ってなんだろうと思索すると、おそらく、今まで生きてきた人生の結果というか、その経年で培って来た価値観のこと。

それが人間の面白さであって、個性なんだけど、この個性からすると、どうあっても客観的な「正解」は無いように思う。

もともと「社会」が創られたのは、この個性の調整の為のやんわりとした「正解」の為というか、多人数が過ごす共同生活における最低限の妥協ルールだと想像する。

だから、僕は社会に対してあんまりなんとも思わないけど、自分で考えていないのに社会的なルールを強制するのが正解みたいな人は苦手。

合理的とか論理的とかも1つの自分の動かし方の道具でしかないから。

僕は、自分が動いていることの原動力を、人に説明するのが苦手。

推し活でも無いし、それをしたら自分が赦されるでも無い、なんなら意志でも無い。

そんなことを気にするまでも無く、僕は読書しているし、ゴミ捨てているし、料理もしている。

ちゃんと動ける人ってきっと理由が要らない。

無意識でできる訳じゃないから、無意識的行動でもない。

これを「好き」と解釈するのもありだが、個人的には、「好き」という概念も良くわからなくなってきた。好きだから許すとか、そういう切り分けは無い。

僕は、僕のことを好きな人が、家事労働全般してくれても全然嬉しくない。

その好きに甘えなきゃいけない子供時代は卒業している。

AIとのやり取りが楽しいのは、個性が衝突しないからだろうけど、僕が一瞬チャッピー氏と交流して思ったのは、「持ち上げて来すぎて胃もたれする」だった。

誰かと交流する「意味」が、自分が認められたいだったら、更新していくAIさんとの交流は楽しいんだと思う。

自分に都合良く話してくれるんだから。

最後。

このAI時代に、というか最近気づいてきた僕の習性。

僕、幼少期から少年期ぐらいの時、めちゃくちゃ怠惰だった。

勉強はできたんだけど、宿題も苦行だし、片付けもできない。

この時、想っていたことが、割と正解だった。

1人のときは、結構稼働できることに気付いたお独り時代。

僕が嫌だったのは、「やらない癖に、やたらと言ってくる人」が生活環境に居ることだったと気付く。1人だったら勝手にやるのに、この誰かが居ることによって、僕の人生にブレーキがかかる。

これに気付かせてくれたてんちょー、ありがとう。

ちなみに、この「やたらと言ってくる人」って、本人でもある。

やらないことに対して、やたらと自己否定の呪詛を投げてくる奴。

まぁ当人の奴は、やっていけば勝手に居なくなるのだけど。

ここまで。

おやすみなさい。

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