地獄

22:53から。

人間観察の方向を自分に向けると、僕は徳を積みまくっていると気付く。

お仕事の前。

満月さんが出発した後に、起床。

シンクを見たら、洗い物が残っていない。昨日寝る前に洗い物やっていた。

今日の自分が苦労しないように、昨日の自分が徳を積んでいる。

自分の時間を分断しないと、どちらにせよ洗い物するじゃんとなるのだが、僕は、意識は分断させていないけれど、時間は分断しているので、どこで「楽」をするのかを問題とする。

洗い物を残していたら、食器に汚れが付着して、明日の自分がその分苦労をする。
別に明日やっても良いのだが、トータルの労力としては、絶対後に残す方に時間がかかる。

これが「気持ち悪い」という表現もありうるのだが、僕の解釈だとこんな感じ。

場が整ってないとむずむずするという感覚とは無縁。カオスを楽しんじゃうし。


いや、無縁では無いのか。

なんか、我が家の部屋にむずむずはしてきている。どうにか、日常に掃除機時間を組み込めないかとか。帰ってきてからは料理時間と自分時間でかつかつなので、流石に難しいかと思いつつ、掃除機かけないと埃が降り積もるし、とか。

休みの日の方が、そんな時間は無い。
休日モードは、あんまり働かないし、なんかイベント事があることが多い。

念のため、別に掃除好きじゃないし、綺麗な空間よりカオスな空間の方が好きもあるのだが、僕1人の場所じゃないから、むずむずするのが普通なんだなという、まともな感覚になってきただけ。

生ごみを捨てなければ臭くなるし、片付けないと空間によく分からない物が溜まるし、洗い物をしないと次の料理ができない。

これが生活。

でも、生活感覚がまとも過ぎる人とは、きっと僕は相性が悪い。

生活感覚はまともになってきているけど、これは後付けの擬態みたいなもんだから。かといって、誰かがやってくれればそれで良いとは思わないから、まとも寄り、に、なって来たのか?

お仕事。

RPGゲームで言うと、本日は「おつかい」が多かった。
ゲームをあんまりしてきていない層に向けて説明すると、RPGゲームにおける「おつかい」とは、ゲームを進行するため、あるいは、良いアイテムを取得するために、NPCの困り事を解決すること。

犬型新人の案件で、当人が動けないから、おつかいをした。

これについては、この人、僕が当人の困り事をフォローするのが「当たり前」と思わないし、僕の案件も助けてくれるから、おつかい案件というよりは、当たり前のフォローでしかない。

これが、僕が想う、「普通のお仕事」。

もう一個、店長のおつかいがあった。
これについては、完全なRPGゲームの「おつかい」。

何が違うかって言うと、僕がこれをやったところで、てんちょーが、次に僕の同じようなことがあっても、絶対返してくれないこと。店長なんだから、もっと店舗のフォローしろよとは思うのだが、当人に余裕が無いもんで、ちゃんと相手に返すことができない。

どっちのおつかいも僕の中では「仕事のついで」の感覚だから、余裕があるだけのことなんだが、僕のこの余裕をどう扱うかの違い。

僕、てんちょーのことはNPCみたいに捉えるしかないなと解釈している。
あ、NPCとは、「ノンプレイヤーキャラクター」の略なんだが、要は、同じ水準の「人間」では無いという意味合い。

悪口じゃなくて、そういう風にしか生きられない人、というだけ。

要は、変化している風だけど、自分の本質まで辿り着いていない人。

こういう人は、結局使いようなので、こちらから調整するだけのこと。

犬型新人のアドバイスから、相談されたい人なんだなと、ちゃんと相談するようにしたら、なんとなく上手く回っている。

話し合いなんて無い。

単に、こちらが貴方の世界の基準の話を聞きますよってお伺いを立てているだけ。

この水準で聞けば、てんちょーの知見はまだまだ発見だから、使いようがある。

下から調整しないといけないのはどうしようも無いと思うのだが、別に嫌いではない。

そんなに嫌いな人居ないし。

なんかぼろくそ言っているみたいだけど、第一印象だけでは判断しない。

今後に期待も無いんだが、僕が面倒を見たら良いのかなって。

タイマンで飲み行きたいと思えない時点で僕の中では終わっているにしろ。

で、ちょっと面白い蛇足。

犬型新人の後輩の友人案件。

上層部、自分を犬型新人が後輩友人さんに「どう言われているのか」がやたらと気になっていた。なんか悪口言われてないかとかなんだろうけど、これが気になる人って、そもそも自己肯定観が低い。

僕も田舎産まれだから、自分のことが伝聞で諸々拡がる気持ち悪さを経験しているのだけど、何かちょっと違うような。

だって、犬型新人という若者が当人をどういう風に表現しているかなんて、本来どうでも良くないか。僕は、彼女が友人に対して、滅茶苦茶ちゃらんぽらんな先輩が居ると僕のことを表現されたとて、何にも思わない。

なぜなら、仕事に持っている自分は、自分の全部ではないし、その一部をどう評価されたとて、どうして自分にダメージを受けないといけないかがワカラナイ。

いや、もちろん、僕も通ってきたしんどさだから分かる。

でも、どんな他人も自分のことは全部は見えない訳で、外に出して居る自分って、そんなに守るべきものなのかなぁ。

なんか、この視界で見てしまうと、上層部のお二人が、可哀そうに思えてきてしまうという哀愁。そうとう内部がやばいのか、自己肯定観が未だに醸成されていないのか。きっと地獄の業火に焼かれながら生きているのだろうけど、こちらからすれば、そんな人生、しったこちゃない。

たぶん、こういう界隈は、僕の世界にはそのうち居なくなるから、最後に余韻として見ておこうという感じ。

ここまで。

おやすみなさい。

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