徳と関係

22:25から。

何やら9月からまた世界がズレたらしい(スピ界隈)。

界隈は知らないのだが、たしかに、僕も体の調子が変な感じになっている。

疲れているし、ビールがあんまり飲めない。

だいたい眠い。のだが、身体の感応が鈍くなっている訳でもない。

寝る時のちょっとしたエアコンの音とか、部屋の軋みの音とか、聞こえてくる。

これって、僕の歴史上、寝不足であんまり良くなかった時期と近い。

頭の中にある、うごうごした悩み事とか自己嫌悪を無理矢理アルコールでねじ伏せていた時代があったとき、アルコールが切れると、寝る時に自分の身体の音とか感覚でそりゃあまぁ寝付けない。色んな呼吸法とかやっていたのだが、あんまり意味が無かった。


そうして、もう「自分」って良いなと吹っ切れた。

ここまでの「自分」って、他己評価で埃を被りまくっていただけの、そのものではない。

まぁ、そもそも、「自分そのもの」という存在は存在しないという立場。

人間は1人だけは人格を形成できない、だって人「間」だから。

という感じで、楽しく過ごした時期を経て、また、ちょっと変な時期。
まぁ、そろそろ向き合っても耐えられるかなということなのかもしれない。

たしかに、当時よりは遥かに年輪は増えているし、接した人間数も増えてきたもんで、同じ事象でも、解釈は全然深刻にならない。もっとしんどい人が居るみたいな、薄っぺらい経験則では無くて、ちゃんと、自分のしんどさを誰かと比べるものではないと目を背けずに認識すること。

ここに目を背けることにより、外がより気になって、しんどくなる。

僕は、ここは大丈夫。

中がちゃんと工事できてきた前提で、そろそろ外に着工した方が良いかなと。

基本、僕は自分のことを後回しにしてきた人生。

というか、厳密には、それができるだけだった。

数年1人で過ごした時期があって、そりゃあまぁ楽だった。

自分で決めるしか無くなったら、僕は楽しさを選ぶのだが、その「場」に居る人数が増えるほど、自分を後回しにして、場を回すように振る舞う。

基本、ほんとは「自分はそうしたかった」みたいな自分が浮き上がってくることがない。

「場」において我がままをするほどの自分が居ないというより、僕の自分は、そこまで自己主張してまで「場」に居なくても良いよなという感じ。

これを踏まえて本日のお仕事。

「関係」と「徳」。

本日、スタッフの仕事をしないてんちょーのお仕事をしてあげた。

てんちょー、もう社内で浸透しているシステムのこと、なんも分かっていないから教えてくれと。

僕は、教えて欲しいんじゃなくてやって欲しいんだなと察したから、やってあげた。

もうちょっと厳密に言えば、教えるより自分がやった方が早いから。

普通は、こんなお仕事場はよろしくない。

仕事上の知識のヒエラルキーの最上位が、いちスタッフである僕ってどうなの?

って。

硯先生はなんでも知っているってよいしょされたけど、僕の自己肯定観は、全く向上しない。

なんで、経年で他人も見下している人達が、僕の開拓を横流しされているだけなの?

これ、精神衛生上ヨクナイから、「徳」とすることにした。

「徳」の定義は、損得勘定と無関係で垂れ流すこと。

当人からは返って来ないけど、何か良いことが起るだろうなという感じ。

これだと、具体的な人はどうでも良くなる、

「関係」というのは、こういう損得がどうでも良いくらい、カウントしなくて良い相手。

カウントを気にしなくても感謝は普通にある。

もうちょっと書きたいけど、眠いもんでここまで。

おやすみなさい。

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