22:56から。
世界は自作自演の茶番。
お仕事6連勤目(休日ちょっと出勤を含めると、9連勤)、経年層が居なくてゆっくりちゃんと仕事できるかなと思っていたら、誰も求めていないのに、出勤してくるてんちょー。
てんちょーの劇場を観劇していると、自分のことを守る為に演劇しているのだなという読み味がある。自分がしんどいことをしているとか、部下に足を引っ張られているという「役」に没入しているけども、僕の視界からすると、仕事の進捗を滞らせることより自分の役柄が大事に見える。
要は、舞台が悲劇の主人公の英雄譚みたいなことになっている。
僕はこの人の舞台上では端役というかモブな訳で、どれだけ助かったとしても、当人の劇場の中では、たまたま天気が良かったなという景色にしかなっていない。
こんな風に読んでいるのは、冒頭の茶番というスピ界隈の話と、この人と上手く言語疎通できないなというところの組み合わせ。
スピ界隈の話は、別に科学的に確証がある訳でないのだが、どういう風に捉えたらこの残り時間を楽しく過ごせるかのメニューと考えると、選び放題。
ちなみに、スピリチュアルを小馬鹿にする人居るけれど、それを感じている「心」の存在自体、科学的に確証されたものではなかったような。
茶番の話はマジであると思った。
引き寄せとか世界の全てがとかまでは思わない。もっと具体的なこと。
例えば、外界の移ろいに対する解釈。
雨の日は憂鬱だとか、晴れの日はまぶし過ぎて嫌だとか、曇りがちょうど良いとか、暑いから、寒いからどうのって、そもそも誰が決めた? という話。
なんとなく、他人である先人の端役になったときにそれが当たり前なんだと、採り入れた当たり前という解釈でしない。このままの舞台で生きるって茶番でしか無くない?
と、気付いてしまえば、解釈を上塗りすれば、外界の環境への評価なんて自在じゃね?
となる。いや、ならないよ、でも別に良いと思う。
僕にとっては彼岸花って、外界の色合いの刺激になって楽しいのだが、満月さんのお母様は嫌いらしい。まぁ刺激になって良いでしょうみたいな布教をするつもりもない。自分の楽しさが誰かの楽しさと重なるのはたまたまであって、無理強いするもんでもない。
という文脈で、しんどいとか楽しいのほとんどは茶番というか、自己の舞台設定という解釈。
解釈を自在にできるようになれば、しんどいも楽しいし、楽しいもしんどい。
ともあれ。
てんちょーと本日コミュニケーションして思ったのが、文章の意味をそこに綴られた文字の「中」でしか読めない人が普通なのかなという疑問点。
引き継ぎの伝言板の意味が全く分からないと、口頭で問答していて思った。
「主語が無い」って僕、昔からずっと言われてきた。
僕の言語能力の不足なのかなと思っていたのだが、たぶんそうじゃないんだなと気付く。
言語能力が不足していたら、きっとこの文章は書けない。
いや、読んでいる人にきちんと通じているのかと言われると、そりゃあ読み手次第と答えるしかないし、特に主張したいことがある訳でもないので、僕の意図を読み取ってもらう場ではない。
文字(言葉)の「中」しか読めない人について。
いや、これ、個人的に大発見だと思っている。
主語がねぇとか言ってくる人、言葉を言葉として独立してしか読めない。
1から10までまるっと言語化しないと疎通できない。
これ、茶番という考え方を加えると、めっちゃ面白いなって。
てんちょーは、この軸だと言語を記号とか指示としか捉えないから、この引き継ぎから指示が読み取れないよと言ってくるのだが、僕としては、この引き継ぎを書いた時間とか、言語外の情報を組み合わせれば、自然と察せられる人だと思って書いている。
ここのずれの問答で、2分くらい仕事時間をロスした。
こいつ、話が通じない人なんだろうなと認定するしかない。
日本語って、たぶん英語で言うところのきっちりした「時制」というものは無いから、言語外の状況をお互いが察する言語。
報告文だったらもっと細かく書けるけど、仕事上の引き継ぎの意味分からんはイミワカラン。なんで察することができないのか。
馬鹿にしている訳では無くて、これも僕の自作自演なんだなと想う。
僕が無駄に察して、それぞれの舞台の人の自己観を増長させてしまうから、こんなロスだらけの世界になっている。
端役として、自己観を増長しちゃうような登場人物として演技して割を食うということ。
「できる」からやっているだけで、別に「したくはない」。
本気で自分の舞台にしたら、自己観で悲劇の主人公をしている人からすれば「イミワカラン」人となってしまう。
てんちょーの茶番舞台は、登場人物を消費するという意味で、物語として面白くないし、この人の舞台には登場したくない。
仕事の仕方が、昭和より遥かに酷い、甘えん坊。
自分がしていないことを部下に強いる、残業させる、それでも自分が一番しんどいと思っている茶番で生きている。
僕の人生劇場の舞台にはそもそも乗らない人。
僕は優しいもんで、お付き合いしてあげているだけ。
僕が優しいという「意味」は、このてんちょー、給料が減る方向に昇進させられて、出勤時間も長くなって、モチベーション上がらんよねという、状況察知なだけ。
だからといって、僕とかのスタッフの使い方が使い捨てにしか見えないから、世界の把握力にズレがある。僕がてんちょーの甘えを赦しているという舞台。
どれだけ助けているかは知らないが、いちいち助けていることをカウントしても面倒くさいからやってない。
だから、何を上司風に怒られても、僕が悪かったなとは思わない。
だって、この人、自分の仕事上の甘えを怒らないんだから、甘えん坊が何をぐずってんのって。
この感覚、マジでオカシイので、辞めた方が良い。
他人に全然怒れなくなる。まず、誰かに怒る自分を諫める自分が出てくるもんで。
怒ってなんとかなるって、僕の舞台だと、単なる子供。
まぁ舞台は人それぞれ。
後片付けがあるのでここまで。
おやすみなさい。