自信が無い人ほど、やたらと他人を否定する

22:53から。

自信とは。

お仕事の話はあんまりどうでも良いのだが、着地点なのでのちほど。

なんだか、寝る時間と出勤時間が遅くなっている。

これは仕方ない。お弁当を日常に組み込んだことによって、寝る前のご飯の跡片付けと、出勤前のお弁当箱への積み込み時間が増えた。

これは、別に自分が決めたことだから、やる。

やれない日があるのは、自分の都合では無く、世界の都合。例えば、満月さんの実家に遊びに行く休日とか。

自分の世界の行動において、やるとかやらないとかのお話しにならない。、

ちゃんと動くって分かっているから、意志を介入させなくても良い。

YouTubeで、1年後に自分が変わる為にはという動画があった。

自分は続けられる人だと自覚する為に、水を飲むとかの小さなことをとりあえず1年続けなさいとのこと。

なるほどなぁと思いつつ、僕、とっくにこれをやっていた。

誰にも指示されないし、特に読者も居ない(いや居たか)日記をかれこれ、10年以上。

場所はころころ変わったけども、何を言われても続けていた。

ハルキストみたいなことを書いているとコメントされたこともあったなぁ。

ともあれ、読者の視線とか価値観を感じつつ、1人生活の20代の中盤から30代の中盤まで、誰にも求めらていない日記を公開し続けるという狂気の継続性を観測しているもんで、続けらないんだったら、当人がしたくないことなんだなと。

これが、きっと自信。

僕の日記は承認欲求の為のものではなくて、自分の中に溜め込まないように垂れ流しているだけ。垂れ流しだとしても、形式は整えないといけないもんで、誤字脱字はともかく、文章としてはなりたっていると思われる。

語彙とか表現が増えただけで、僕の文体は、夏休みの読書感想文時代から全く変わってないと思われる。過去の自分を栄光にするにしろ、汚点にするにしろ、今と断絶している風に捉える人が多いと見受けられるのだが、全部繋がっていると思う。

この流れで、あの時期、やたらと金欠だったから、必要に迫られて、自炊するしかなかった。

ここに自炊の基礎がある。弁当の試行錯誤が楽しい。

買える食材で、どうやりくりするのかという生活をやっていた。

面白いのが、僕、金欠自炊時代でも、自分が作ったお弁当のおかずを同僚に振る舞う余裕があった。当時の同僚も今に劣らずポンコツだったけど、食いたいなら食えよって。

それで美味しいって言われても、補充されないのは、きっと関係が等価で無かったから。

垂れ流しの余裕の世界。

僕は別に料理の才能は無いんだが、だいたい毎日料理作っているし、ここについても余裕がある。自分が作った料理が相手に美味しくないと言われたところで、僕は全然がっかりしない。だったら次はどうやって改善しようかとなるだけ。

ごめんなさいじゃなくて、話し合って調整するところ。

自分が料理を作らない人は、セルフグルメで他人の料理を評価するんだが、個人的には、自分がやらないことでやたらと酷評する人は、人間として終わっていると思う。

世界のせいにする人とは付き合えないなって。

お仕事に戻ってきて。

てんちょー、部下である僕と犬型新人に苛烈な指示をする。

ローラーでお客様に電話しろ、みたいな。

業務指示としては良いと思うのだが、当人がそれをやらない世界観、どうなっているんだろう。僕は、てんちょーがほんとうに当人が言うところの「こだわり」があったら習うだけど、観測している限り、こだわっているところが「自分を守る」しかないもんで、色々言われても、その口で言うなやと思っちゃう。

結論として、他人に苛烈になれる人って、人生劇場において、自己肯定観を、受け身の義務でやってきたという実績でしか認識できないからでは。

こういう人生観、口ぶりで読める。

非常事態の時、自分の世界しか無くなるとか。

ここまで。

眠いし、まだ後片付けが残っているもんで。

やらなくても僕と生きられると思っているひとは、どうなんだろう。

おやすみなさい。

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