23:18から。
本日もゴロゴロしながら家事していた。
家にある物でご飯を作り、循環に徹する。
基本的に形而上のことを考えているのが多いのだが、もちろん形而下も大事にしている。
形而上というのは、五感では捉えらない概念で、形而下というのは体感とか実生活で捉えてくれると良い。
漫画やらなんやらごろごろ。
西周さんの本が気になるところなのだが、たぶん、近所のブックオフとか書店には置いてない。AIさんに聞いても全文のテキストは教えてくれないと思う。著作権というより、論文における原典の引用に準拠してそう。知らんけど。
ごろごろしながら垂れ流している、スピというか都市伝説系のチャンネルで、2012年に1回世界が終わっているという動画があった。
単に眉唾だと拒否しても良いのだが、内容が面白くて、ほーほーとなる。
マンデラエフェクトと名付けられている心理現象なのだが、記憶と記録がズレているという違和感のこと。もちろん、現象なので、個人的な記憶違いではなくて、史実的な記録と異なる記憶を持っている人が一定数以上居るという話。
日本で言うと、ピカチュウのしっぽが何色かとか、天空の城ラピュタのエンディングで公式とは違うシーンを記憶している人が居るとか。
なんとなく普遍的無意識味がありつつ、面白いのが、AIによって過去の記録が改ざんされたとしても、人には気付けないよねという問題提起。
確かに、普通の人は、記憶より証拠としての記録が優先されるから、記憶が間違っていたんだなと書き換えると思う。僕はあんまり書き換えないんだが、これは変人なだけ。
たしかに、昔の記憶と今を比べると、色々と体感として違和感がある。
気温の変化とか、時間の流れとか。
時間の流れはほんと、経年があるにしても、色々おかしいような。
この「ような」が大事らしい。
これで、僕が溝に落ちて世界線がズレたのが2012年だったらめっちゃ面白い。
10年以上前のことではないという記憶だから、後追いでズレた説。
当時の日記残っているかな。
偏屈な読者さんがアーカイブ化しているかもしれないが、たぶん当時書いていたSNSは消えていると思われる。
ちなみに、僕は別に2012年に世界が終わっていたとしても、別にそれで良い気がする。
余生とか言い出したのが重なっていたらまた面白い。
で、ちょっと真面目な面白さ。
「AIが記録を書き換える」って聞いたとき、これって、ここの期間が短いだけで、当たり前に人間が行ってきた史実上の「営み」だよなって。
記録を焼失させた某図書館とか、歴史がどうだったみたいな改ざんとか、そんな話は、人間の歴史でいくらでもある。
正直、何を今さらと想った。
人間って、「歴史に学べない種」じゃん。学べているんだったらとっくにもっと生活が良くなっている。なんでそうなっているのかはよく分らないが、想像するに、個人が強すぎるようにデザインされてしまったから、自分が割を食うことを受け入れられないみたい。
僕はテレビとかネットニュースが垂れ流されるような環境でないもんで、世情に疎い。
疎くて仲間外れになるのは学校のクラスくらいだと思っているのだが、成人してもそういう環境で皆さん生きているのかな。僕はお客様の専門性を聞けるので、ゴシップみたいなことを話す必要が無い。
やれやれ。
そうして、科学と神様の本。
これもまた面白い。
欧米の学者さんだもんで、キリスト教圏の中でよくこんな本書けたなーって。
科学者が何らかを信仰しているかってアンケートを取ったら、半々くらいだったらしい。
一般だと95%とかになるみたいで、流石の欧米。
日本人は信仰しているという感覚無く超自然を信じているから、アンケートを取ったら、カルト系を信仰している人しか信じているとか言わない気がする。
科学と宗教って、大昔は対立していたけど、研究が進んでいくと、もはや聖書には現代化学の本質に近い知見があるということになっているらしい。
科学者さんではないと思われる、「聖書をテキストとしてしか解釈しない層」が、いちいち記述がオカシイと分析しているみたい。
この分析のおかしさを著者さんがさらに分析しているんだが、これがまた面白い。
記述がオカシイ層曰く、聖書における「神様が世界を7日で創った」というのは、科学的に検証された数億年と違うと。
これに対して著者は、そもそも、書かれた当時に憶という概念無かったよねと反証した。
たしかに。
日、とかdayの概念って、今生きている人には決まっているけど、歴史上で見ればころころ変わっている。
次の日の概念がありうるとすれば、微調整を加えて、一日は24時間とちょっと微差を毎日すること。これだとうるう年が無くなる。
当時の言葉としての「日」と、今の「日」が違うのに、言語警察みたいに聖書を検証するのはおかしい。当人がこのおかしさに気付けないのは面白い。
僕が聖書の7日を想像するとすれば、この当時の概念だと何かの「区切り」をそう表現しただけだと思った。
それだけ壮大な時間感覚を捉えていたかどうかは分からないけど、人間の可能性は無限大だから、そういう感覚を持っていた人が居ないとは決めつけられない。
テキストだけを解釈して、決めつけられる人って、そうとう貧しい人生を過ごして居るのだろうな。
僕はもう豊かになってしまっている。
ここまで。
おやすみなさい。