22:04から。
お仕事がなかなか終わらない。これはもちろん良いことなのだが、おそらく気質(きしつ)的には在っていない。本当はこなすべきことがこなしたいタイミングでスパンスパンと終わるお仕事の方が良いのだが、社会には時間というものがあって、人が関われば関わるほどタイムラグが出る。
対策としてはタイミングを合わせてすれば良くて、その未来のタイミングにすることにあまり注意しても仕方ないと諦(あきら)めること。とはいえ、なかなか気詰まりになるのはたしか。いくら楽しくたってその気質は変わらない。
気質は変えられなくても行動は変えられるから、全体的にはあんまり気にしていない。やきもきしている自分もそのままで良いし。
即戦力だと満月さんに言っといてと店長に言われた。
満月さんは僕がこっちに来る前にお客さんとして店長と関わっているもんで、時々そういう話になる。
さておき。
本日の夜ご飯当番は僕。牛丼がご所望(しょもう)。吉野家の牛丼の再現レシピを作る準備はできている。なにせダシダを買ったから。ただ、再現レシピでは白ワインも必須(ひっす)だった。白ワインが無いから、甘いウイスキーで代用。結果、再現はできていないかもしれないが、家庭で食べた中で一番美味しいという評価をいただいた。
要改善(かいぜん)の項目(こうもく)はたくさんある。もうちょっと甘味を付けた方がチェーン店ぽくなるよなとか。でも甘味とか濃さってがつんと人の舌を刺激(しげき)するいわば娯楽(ごらく)の領域(りょういき)だから、あんまり砂糖って使いたくないんだよな。
甘味は玉ねぎが十分出している。
そういえば、お仕事の話に戻って。
店長と2人勤務だったのだが、心理学的手法を僕もやっているらしい。見様見真似でやっている感もあるのだが、もしかしたら生来やって無意識でやっていたことなのかもしれない。専門用語だとプレクローズと言うらしい。おそらく、決断の方向性を絞(しぼ)る、いや、厳密(げんみつ)には、受け手にとって明らかにするということだと思われる。
これって、下手したら人を操作することになる訳で、あんまりしたくないことと言えなくもない。自分にとって都合が良い世界に相手を連れてくることになる。まぁ、僕にとっての都合の良さは、より相手がまったりして生き生きするところにあるから、言葉によって操作する必要はない。
ただ、店長の手法は仕事のスキルとしていっぱい収集して良い。
個人的に、このタイミングで逢って良かったと思っている。このタイミングで無いと、仕事の成果を追求しているだけの人にしか見えなかった。
そもそもなるべく節約をする美徳(びとく)というか価値観(かちかん)は、他に使える可能性というか余力を残しておきたいというところにある。
お金に対する価値観が更新されているところと仕事がマッチしている。
要は、他の可能性よりも今の満足が対価になって後悔しないようになれば、うぃんうぃんよねと。お金じゃない価値の方が重要であって、その為にお金を使うことは人に影を残さない。
変な話、どれだけ節約しようと思っても個人の知識で完璧(かんぺき)に出費を最低限にすることはできないのが今のご時勢だと思う。目に見えない出費の方が多い。例えば年金とか保険とか。
その成果を自分に留めずに、回していくのが僕の世界観なのかなと思う。
不安を煽(あお)れよと店長が言うのも営業スキルとしてはアリだろうけども、僕は安心を煽りたい。いや、こんなの表裏(ひょうり)だけども。
そもそも、何も交換されない世界って薄くないか。誰もが自分が心地良いだけ。
バーチャル世界への移住もはや非現実ではない気もする。
僕は与えたい派だから、バーチャルで貰うばかりの世界はおそらく物足りない。
やれやれ。
話はうってかわって。
文学系の本がお風呂読書に増えて来て、文学ってなんじゃろなという思索項目ができた。
学問は目的がある。例えば法学とか経済学だとより今を分析して良いルールを見出すとか。
自然科学だって、物理法則を分析して応用することが目的だと思っている。
文学で、谷崎潤一郎をやっているとか、太宰治をやっているとかフランス文学をやっているとか、それはいったい何を目的にしているのだろうって。おそらくより良い文学作品の在り方みたいなところではないし、その人の文学作品を明らかにすることによって何が得られるのか。
個人的に無為はウェルカムだから、明らかにするだけの試みはお好み。
文学理論の話で面白かったのが、シェイクスピアの分析。
「子宮」という意味の言葉が使われていたらしいのだが、文体論の分析者は、これが時代的に意味が変わってきていた言葉であって、男性にも使われるようになってきたことを知っている。これを前提に分析しているけども、だとすれば、その解釈はそれを知っているひとにしか通じないよねという反論。文体論の甲斐とは。
統計的に文体を分析するのは人よりAIの方が賢いと思う。
僕の文章データもいっぱいあるから、分析して僕のような文体で書けるはず。まぁ、だとしても僕にはなれないと思うくらいの気概(きがい)はある。毎日今までの自分からさらに散歩しているし。
かんぺきな文章は存在しない。ただ、文章の天才は居る。
満月さんは自分のことを天才だと思っていると言っている。詩では実績があるみたいだが、小説は手慰みくらいしか書いていない。にも拘(かか)わらず、僕はその言をきっとそうだなと思える。
インプットが少なくてもアウトプットができるのが天才だろうし、天才は気まぐれ。
満月さんの天才性は、世の中にこれから出てくるのか、それとも出ないのかはある意味僕次第かもしれない。でも、別にお母様みたいに満月さんの作品が世に評価されたら良いみたいな世界観ではないから、好きにすればいいよでしかない。
僕にはそういう意味の才能はなくて、アウトプットの前にはインプットが要るという感じ。ちゃらんぽらんだし変人だが、可動域が拡がらないとそこでアウトプットできない。だから世の中未だに何も分かっていないし、分かっていないから読書ができる。
本を読むことは趣味ではなく生活。
なんならSNSで誰かの文章を読むことも生活領域。
生活と非生活の切り分けが無いのか。
例えばお酒は生活から非生活への逃避の為に飲んでいない。
まだまだ面白くなるなぁ。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。