22:28から。
毎日お腹が減っている。成長期にも感じたことがない空腹感。成長期は乳糖不耐症(にゅうとうふたいしょう)だし、量を食べられる訳でもなかったから三食生活だとずっと満腹気味。
かといって、ひもじいという感じでもなく。ハイキュー!!で言うところのご飯を食べるようにプレーしているということか。知らんけど。
お仕事。
店長に遅い遅いと言われる。期待の表れだと思って、自分がほんとに遅いと思っていないから、遅いと言われないように振る舞う所作を考え中。調べながらもルーティンはこなしていくみたいなマルチタスクが必要っぽい。何か行動を途切れされることが起りうるということを想定しながら自分の行動を組み立てる。
でも、店長が言うほど合間時間多くないような、と思いながら、「硯さんもそろそろ1年経つからもう少し早く動かないと、あれ、まだ半年だっけ」とノリツッコミをする店長。僕の半年後はたしかにもっと早くなっていると思われる。この人がその時に店に居るかどうかは不明だけど。
ちょっと最近思っている作業効率というか生活効率というか人生効率(こうりつ)の話。
正確にすることよりも、速くすることを意識した方が、実は正しくできるようになるという説。早くできるということはゆっくりできるということでもある。早くしかできない人は雑になると思うが。
正確に理解できたとしも、一瞬でしかない可能性もある。
精確な記憶ってあんまり長く続かない。固有名詞は忘れていても人の印象が残っている方が正確なような。だもんで、僕は自分の名前を覚えてない人の方が割と好感を持てるかもしれない。僕の本名の下の名前の読み方が気になる人も面白い。
もっと粘れとか、洗脳しろみたいなことも言われるのだが、あんまりそこには寄らないと思う。寄らない方が個人的に成果出ているし、たぶん両立できないし。
本日の本題は、「僕は頑固(がんこ)なのか」という命題について。
頑固な人ほど僕のことを頑固だと評価する傾向にある気がする。そもそも頑固の定義はなんぞや。
頑なに固まっている部分があるのは人である以上当たり前。この部分がないと個人で生きる意味がない。僕が思うに、この頑(かたく)なな部分が見る人からして一般常識から外れていると、それは頑固で偏屈と評価される。
という意味で言うと、僕はある人から見れば頑固だし、或る人からみれば柔軟性があるとも言えそう。
例えば、きちんと意味があるなということに対しては結構譲(ゆず)る傾向(けいこう)があるし、日常の作業効率についてはまだまだ譲れるところがある。ポールハンガーもそうだし、そもそもここは頑なになるほど自分ルールがないということなのだが。
健康傾向について言えば、懐疑的だから一般的な見解(けんかい)でアルコールを減らせと言われても、健康診断でブラックにならない以上、譲る部分ではないなと思う。本当に駄目だったら健康診断に兆候(ちょうこう)が出てくるだろうし、自分の身体が受け付けなくなってまで飲む気はありません。
それで言ったら、ジャンキーな物を欲する方が健康的にはヤバイと思っている。時々なら良いけれど。
一般論というか、当人が思う常識的見解であれば頑なではなく、そこから外れていると頑固だと捉えられるのだとすれば、僕はもっと頑固として認識されるくらいで無いと、人生劇場を謳歌(おうか)できないのだろうなと。
基本的に無茶苦茶譲る余地があってそれをやっているつもりだが、そうじゃなくて、誰かは僕がその誰かの世界観に適(かな)わないと頑固認定される。
別に頑固と認定されたところで、難しい人物だと認識されては居ないだろうから、特には気にならない。
僕を頑固だと認定する人は自分が頑固だと自覚した方が良いし、その頑固さは誇るべきだとも自覚すれば良い。
もう少し書きたかったけども、本日書く時間が押されてここまで。
ここを確保したかったら、もっと諸々早くしないといけない。
おやすみなさい。
良い夢を。