そんな世界はない

22:12から。

なかなかの胃もたれ。夜に食べ過ぎているから日中カロリーが足りていないと錯覚(さっかく)している説。夕方に糖分(とうぶん)が足りていない感じがする。

あと、お昼ご飯をゆっくり食べる時間がない。飲むようにおにぎりを食している。美味しさを感じる暇(いとま)がない。別に食事から幸福感(こうふくかん)をそこまで得る質ではないから精神上は問題無いのだが、体的に良くないに違いない。

どうでも良いけど、ふりがなをするシステムの効用(こうよう)。どちらでも読める漢字を当てるとき、絶対読み易い方で読まれているだろうなというのがなくなる。暇は(ひま)と読まれるのが普通だが、さっきの文脈(ぶんみゃく)だと(いとま)のリズムなんですわ。

という、自己満足(じこまんぞく)が可視化(かしか)できるのが良い。

まぁ本来は読み手が勝手に良いように読むのが筋だけれども。

お仕事。

繁忙期の洗礼を受けている。食べる時間を削(けず)ってもお仕事が盛りだくさんで、こなしたと思っても、店長の要求が高い。できることはやっているし、できなかったことをできるようにも日々積んでいるから、普通の感覚として理不尽(りふじん)だとは思っているのだが、この無茶振りは「愛」であって、パワハラとは感じない。

別にこなくそとかは思わないし、そのうち完璧(かんぺき)近くまでできるようになっちゃろ、というくらい。

店長がこの店、癖強(くせつよ)しか居ないと言っていた。もちろん硯さんもですよと。

バレている。仕方ない。

僕の癖が強いかどうかは「癖」をどう捉(とら)えるかによる。

文章だったら間違いなく癖があるし、もはや社会的(現実的)にも癖しかない人物になっている説が浮上してきた。どうしようもないのか。まぁ別にどう呼称(こしょう)されるか、呼称するのかはどうでも良いこと。

癖強で、店長にくちごたえするくらいになりそう。

そういえば「愛」。

これほど多義的な言葉も無い。

人に水をあげて育てるという行為(店長とかスーパー事務が僕にやっていること)を愛と呼ばない人も居る。この盆栽感覚は愛に含まれないとする人は多いかもしれない。

反文学論で柄本さんが、愛とは呼ばれないかもだけれど自然ではあるみたいなことを書いていた。原作を読んで居ないからなんともだが、なんとなく言いたいことは分かる。自然の感情ではなく、費(つい)やすのが愛みたいなところはあるよなって。

個人的には、費やす感情って、費やせる関係があるから行われるし、ちょっと胃もたれ気味な感じ。費やすということは、何か返ってくるべきという感情があるような。変な話、自分に返って来なくとも相手が健全であるために費やすこともそういう意味で対価ありきの行為であり行為。これを愛と呼ぶには狭義(きょうぎ)過ぎる。

こういうことを考えているのは「流浪の月」のせい。

良い意味で読み味がキモチワルイ小説。

映画化しているらしいが、この映画ってどこに共感が起こったのだろう。

ヒューマンドラマ的にはきっとありがちな話で、デジタルタトゥーというか犯罪被害者の刻印の話なのだが、主人公の語りがあんまり主観ではなくて、社会的な刻印を受けた人の通常の感情みたいな判を押した感じになっていて、いや、当事者がほんとうにそんな感情になるのかという疑いが起こる。

あくまではみ出さない定型的な感情めいていて、繋がり過ぎているのが文学的ではないというか。

ここにも愛みたいな話が出てくる。主人公が社会的に可哀そうだから、庇護(ひご)しようという彼氏の言い分。これは結構分かりみ。そういう人は居るだろうなと。で、主人公の理想の愛は居なくなった両親との関係性だったりするのだが、これって施されているだけの関係であって、相互ではない。無条件の施し

で、恋人関係でもそういう感じになっている。

あんまり細かく感想文を書くつもりもないのだが、この小説がヒューマンドラマとするなら、社会問題の人の類型化なのだろうなという感じ。

直木賞の領分(りょうぶん)?

癖は強くないけれど、大阪文学フリマで買った日記文学と読み味的には近い。

そういう読み物もあって良いし読むのだが、面白いのかというと社会問題を気にしながら読むことになって、物語に没入できないというのはある。

吉本ばななさんの「イルカ」にはこういう味はなかった気がするが、何が違うのだろう。

この主人公における愛の定義は、当人が心地良い環境を施してくれる人なのかなという印象。あくまで自分が主人公だと、施されるか奪われるかの2極しかない。

という歪(いびつ)さを作品として描いているのであれば面白くなってくるけども、どうなのだろう。

僕はきっと満月さんに愛されている。毎日おにぎりを施してもらっているが、特に対価が関係ない。おにぎりを作ろうが作らまいが関係は変わらない。どんどん上手く(美味く)なっているのだから仕方ない。

僕も愛しているのだが、ちょっと愛はずれているかもしれない。

そこまでいちゃいちゃしなくても良いし、なんというか、もっとあるよねという感じ。なくても良いけども、まだ何か潜伏(せんぷく)しているような。

僕が庇護しなくてはという感覚は薄らいできた。

最初にあったのかどうかは定かでもないが、そういう感じの人を好きになりがちというのはありそう。知らんけど。

人生の主人公はあくまで自分でしかないけれど、世界の主人公も自分であるとしている人とはもう世界線が交わらない気がする。

眠いとBGMが聞こえてきた。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

PAGE TOP