交わり

23:02から。

明日休みだからといって夜更かしする気はないのにこんな時間から。

残業が長引いたのもあるし、諸々ある。

タスク、タスク、タスク。

キャパオーバーになっているのかと店長に聞かれて、「若干」と返す。

優先順位が分からないし、何が正解か分からないのに、タスクばかりを積まれたらそりゃあバグる。

個人的には情報が残り過ぎていて容量を取っている説もある。

処理できる量は時間単位でそう変わらないはずなのに、他の人達ができているかというと、マージンを残しているというか、自分の仕事の容量を弁(わきま)えてやっているからだろうなと。

新人あるあるなのだろうけども、店長はどれだけ負荷かけていけるのかということを試している感じがある。この負荷の内、どれだけ硯の中に経験が残るのかみたいな。

一瞬、全世界が僕の時間を奪っているというダークサイドに陥(おちい)りそうになるが、ダークサイドのことを書いても面白くないし、ようやっと切り替わってきた。

お酒は現実逃避の為ではなく、現実が楽しいことを前提にして美味しく飲むべき。

文章も面白いことだけを伝播(でんぱ)すべきとまでは言わない。鬱屈(うっくつ)したところから文学が産まれるのはたしかだし。

自分がしんどい経験をしたから下の世代もしんどさの中で習得していくべきだみたいな、ある意味体育会系の連鎖(れんさ)が好きではない。なんでそんな呪詛めいたものを連鎖するのかというと、自分がかけた時間とか舐(な)めた苦渋を抽出(ちゅうしゅつ)したノウハウをそもそも言語化して承継(しょうけい)できないということもあるだろうけども、もしかしたら、自分の位置に他人が時短して来るのが生理的に嫌悪なのかも。

自分の苦労は他人もして然るべきという精神性を持って生きている人ってもしかしたらいっぱい居るのかもしれない。この感覚が無くてシェアしていこうっていう人間性の人ばかりだったら、全世界これほど同じことを繰り返していないような。

別に個人が個人であると認める個人主義が悪い訳でもないけれど、この精神性って従来の価値観(かちかん)とそれほど変わって居ない気もする。社会的な正道が無くなりつつあるとは言え、一応なんとなくルートはある上か下かに、自分という正道があって他人はどうでも良いみたいなのって、お家制度とか、女は子供を産んでなんぼみたいな価値観の亜種だろうなとしか。

バリアフリーは共生だけど、自分の属性を認めて欲しいみたいな感覚は結局のところ頑固おやじが昔は良かったみたいなことを語ることと疑似(ぎじ)なような。

呼称問題とか思い付いたけども、スルーするか。

名称がアイデンティティであるというところは個人的にとてもどうでも良い。大事なのは内容であって、人からどう呼ばれるかは全然無関係。いやこの感覚は僕の下の名前を付けてくれた祖父がハイセンス過ぎてまずもって正しい名が呼ばれることがないという世界観から来ているのかもしれない説はある。別にキラキラネームではなく、なんなら雅(みやび)なのだが、あまりに一般的な呼び方ではないというだけ。

「悠」ってなんてフリガナ振る?

名前は大事だと思っているけども、それほど固執(こしつ)しないのはそういうこと。

苗字もありきたりだけども雅方面ではある。

社会的に呼ばれる名前が大事な訳ではないと思う質だから、この論争はどうでも良い。

パートナー関係は恋人でも彼氏彼女でもパートナーでも配偶者でもなんでも良いし、お父様に「義理の息子」と外向きに表現されたこともどうでも良い。

どうでも良いからといって気にしていないかは別問題なのだが、ニュアンスが微妙過ぎて言語化できないという意味でスルー。

名前で特定していないから、名前を覚えられない。

名前が無くとも、印象として残っておるし。

まぁ中学高校とか出席という毎日全員の名前が呼ばれる儀式があったから残っていけども。

やれやれ。

どうでも良いけれど、人生ってたかだか100年くらいしかないし、その中でできることって有限でしかないよなぁ。って考えていくと、今のあくせくに傾注(けいちゅう)しても仕方ないような気がしてくる。そんなことより、きちんと自分の世界を楽しくする方面で生きた方が良いよなって。

苦しいとしても、他責ではない感じ。

「流浪の月」の話。

物語が展開してきて楽しくなってきた。ただ、感想文を書くとなると暗がりに入って来る。

主人公の女の子のヒーローと対極で分かり易い恋人が出てくる。恋人もややこしい家庭環境で育ってきている人で、DV家庭で育ってきたのにDVしている人。暴力とか怒りで他人をコントロールできると思っている人は、他人のことは自分の世界の登場人物だとしか思っていない説。いや、やんわり他人という世界観もあるけれど、これは物理的ではないだけで精神的にDVしていると思う。

僕はどれだけ踏みにじられたとしても暴力とか怒号で相手をコントロールしたいとは思わなかった。これは母親がこの手法で失敗したことを反面教師したのかどうかは知らないけども、そもそも大音量が苦手だから、相手に自分の苦手を押し付けたくない。

ただ、淡々(たんたん)と相手を責めることはしている。

相手をコントロールしたい訳ではなく単なる自衛という認識だけど、精神の暴力が犯罪化されるような事態(じたい)になったら、僕は犯罪者になると思う。

ヤマアラシのジレンマ。

この意味では、満月さんはすげぇ耐性があるのだろうなという次第。

満月さん自体も割と人の精神を攻撃する質(無自覚)だけど、そういう世界で育ってきたタフさがあるような。

もう少し読書感想文を進めると、暴力を振るうDV彼氏と、安全地帯を作ってくれたヒーローって、主人公にとって割と同一脚本(きゃくほん)というか、同じ次元で比べられる人なんだろうなと。社会という視界からすればそれほど変わらないけども、自分が楽しく自由に過ごせる相手として天秤。

映画化して普通のルートで過ごしている人の感想は定かではない。

同情かもしれないし、共感かもしれない。普通って精確な三角形くらいに存在しないし。

他責思考の人って駄目になってしまったから、あまり没入できないんだろうな。

僕は別に慈愛に満ちた人でもないから、主人公の女の子の世界観は他責過ぎて胃もたれする。でも面白いから最後まで読むつもり。

この先、自責の世界観で生きている人じゃないとあんまりうまく関係を構築できないのだろうなと勝手に思っているが、自責過ぎると退場するしかないという結論になるから自責もほどほどが良いと思う。この結論は論理的。

夜更かしし過ぎた、

眠ります。

おやすみなさい。

良い夢を。

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