奇特(きとく)

21:55から。

僕が夜ご飯担当の時はだいたい3品くらい作りたい。僕が品目多いメニューが好きなのもある。メイン以外にも副菜が欲しい。もしそれだけ食べていたら全く健康でいられるという完全栄養食材があったとしたらそれだけで満腹になれば良いのだが、この世界はそんなに都合良くできていない。なるべくバリエーションを増やして偏らないようにするしかないとすると、独り暮らし時代に培った健康を満月さんにも提供したいという所作なのかもしれない。

もちろん、特に意識はしていない。

自分にとって都合が良い世界が誰かにとっても都合が良くなっているだけ。副菜スキルが上がっているもんで、満月さんがちょっとした野菜を原料とした副菜をぱくぱく食べてくれる。ご飯作るのって結構楽しい。

別に毎食バランスよくみたいな潔癖ではなく、1食をたまごかけご飯で賄うこともあるから、別に時々は偏っても良い。無意識的な常食のところにバリエーションを置けば。食べたい物ばかりを食べられる訳でもないし、ただの日常的なご飯のときにという意味。

満月さん印のおにぎりとスープはいつでも偏っていないのが凄い。

さて、前置き終わり。

(今のところフリガナ振らなくても大丈夫な漢字しか使っていませんよね?)

まずはお仕事。

今日も今日とていっぱいいっぱいだった。ただ、なんとなく余白ができていることに気付く。ここを言語化すると、「それほど深刻(しんこく)になる意味がない」ということになる。深刻になろうがならまいが、行動できることは変わらないし、重くなるのは気持ちだけ。この気持ちを大事にする感覚は分からなくもないが、深刻になったことによって深刻でない状態の行動ができなくなったとしたら目も当てられないのではなかろうかと。

いや、もちろん深刻にならないと他者(たしゃ)とか世界のことを気にすることができないのであれば深刻という概念(がいねん)は生活に必須(ひっす)になる。デフォルトで人のことを気にしている僕は、深刻という概念がむしろ重しになるという自己把握(じこはあく)。比重を深刻に置かなくても、他者理解はある。

同情とか共感だと、深刻に重しがあるとは思う。

自己開示(かいじ)というか表現(ひょうげん)の中に、どれだけ自己にとって深刻かということ語れた方が意味のある話として感受(かんじゅ)できるという意味。

仕事においては深刻にならずに遊べる部分がもっとありそうだなと思った。

致命的(ちめいてき)なところだけ避けて余白で自己判断をする。

続きを書く前に、どうでも良い話。

目覚めて通知をチェック眺めると、「今、このnoteが面白い」に追加されましたというのがあった。なんじゃこりゃ。

どうやら誰かのnoteで勝手に紹介されるというものらしい。まぁここは漂流文なので誰が拾い上げも問題ない。気持ちを表現すると「へぇ」になる。実際取り上げられるかどうかは審査員の人の選考(せんこう)であって、選考対象になっただけだなという認識(にんしき)。

選考基準に、「読み手が読みよみやすいように意識されて書かれている」とか、「単純に面白い」とか「発想が革新的(かくしんてき)・斬新(ざんしん)」とか、「文章を読むと書き手の人格がにじみ出ている」みたいな項目があるらしいのだが、個人的にはそういう選考基準では選ばれるべくもないようなという感じ。

たしかに、読む人が居るというメタ的な視点はあるけれど、読み手に読み易いことを配慮(はいりょ)しているのは形式面だけ。改行をやたらとしているのもそう。だって、電子文だと余白がない文章はうじゃうじゃして読みにくい。フリガナ形式はお母様のリクエスト。

ただ、内容面においては全く配慮していない。僕の文章をだいぶ読んでいるであるだろう同居人かつフィアンセかつこの文章ファンの満月さんですら内容については「意味分からないけど面白い」という評価。ただ、これがこの文章の正しい読み方なので問題ない。

文章を自己としての存在の表明だとする人は、自分の文章を自分が描いたように読まれることを欲すると想像する。僕もそういう形式の文章(論文試験のやつとか劇評とか)ならこの方向に寄せるのだが、ここはそういう風に書くつもりもない。

この文章で人格が透けて読めるのかというと、そうでもない。

緻密(ちみつ)に考えている人格に見えそうだが、実生活ではほとんど考えていない。いや、考えない人は存在しないのだが、言語で考えたことを行動に移していないという意味合い。言語は観察とかスケッチで自分の世界を描く道具としての扱いだから、人と話すときにそれほど語彙(ごい)がある訳でもなく、文章を読んで僕の人物像を形成している人は実際に会ったら失望するかもしれない(そんなことは今のところなかったけれど)。

あと選考基準に「文才を匂わせる書き回しがある」みたいなことがあったが、僕は今まで公に文才を認められたことがないし、才能はないという認識。才能があるとそれに振り回されて人生を捧げないといけなくなるし、そこまで文章に自己を捧げる程のギフテッドではない。

選考する人の文章で面白いなと思ったのは、「自分が面白いことを書いて、お金出したいと思う人だけが投資して、それで生活することを目指す」という目的。個人的には別に突拍子も無い発想だと思わないし、サブスクの亜種みたいでありえそう。お金をどこに回すかにも自由がある時代だから、全然あると思う。有名にならないと無理だという認識も正しそう。有名になったら何が語られるかよりも誰が語っているかという話になるだろうし。

ただ、そこを目指すとなると、文章の出来が関係無くなる気もするが、当人としてどうなのだろう。

どうでも良い話のもう1つだけども、と思ったが、雑談していると抜けた。

そのうち思い出すと思うから、先に今日考えたこと。

厳密(げんみつ)に言えば感じたことの言語化であって思考のスケッチではないのだが、結果的には同じことだから、どっちに読まれも問題ない。

自動車の運転にこなれてきて、まぁまぁ眠い時がある。

変な話、運転中って次元が低くなって判断できる要素がほとんどない。

自動車を運転する時、大事なものはほぼ決まっている。信号とか通行人とかの方が大事で道端に咲く花は運転中にはチラ見しかできない。もうちょっと高度だと同乗者に遠心力とか加速力を感じさせない運転とかあるが、きっとルール外の遊び。

ルールが決まっているとき、必要なのは知識であって判断ではない。この世界はきっと安心の範疇(はんちゅう)なのだが、個人的には次元が低いと思っている。「低い」という字面)じづら)だけで見下させれていると思う人も居るかもしれないが、そういう次元ではなく、判断する要素が減るということを表しているだけ。

外にあるルールを大事にするのはこの世界に生きることにおいてとても重い。

本日、1時間程早く出勤の為に出発したら、高校生をやたらと見かけた。

学校が社会にプレ参加できるかどうかの試金石である。意味(甲斐(かい)なく毎日に同じ時間に集合できるかどうか。僕はこの網をなんとか通り抜けたが、通り抜けなくても良いという世界認識があったらきっと不登校になっていた。空気を読んで通っていただけ。

行きたくないけども行かないといけなかった。何が嫌だったかって、自分で居られない場所だというところ。当時は特に自分が意識化されることもなかった。身体は強いから、どれだけ行きたくなかったとしも、ちゃんと行けるコンディション。

でも別にそれほど傷になっている訳でもない。他人と時間を同期する習慣を習得する場所だったのだろうなと思うだけで、ここが社会に生きるにおいて最低限だと思うだけ、

最低限ができない人をどう評価するか。

お仕事領域だとマジでやめてくれという感じになる。お仕事は自分だけで完結できないし、時間を守ってくれないと色んなところに不具合が生じるから。

私的なところではゆるゆる。

寝坊も予定を忘れることも許容範囲。ただ、だとすれば、僕がその人の人生劇場において重きを置かれていないのだろうなと思うだけ。

これは社会の話ではなく、個人的な関係の話。

あ。さっきのどうでも良い話のもう1つを思い出した。

他人って日常に観測されるけども、世界線というか人生劇場において交わることがない。

これをにちゃんねるの人は時空が一致していないと表現していたが、割と実感として分かりみ。

同じ時間と空間で過ごして居ないから、一致されるためにナンパとか文章空間を共有したりする。音楽もそんな世界観なのかな。

個人的にnoteで逢ってみたい人は居るのだが、実際に世界線が交わる気はしていない。

北海道にたまたま行ったときに逢えればという感じだし、アポを前もって取ってまで、という感覚でもない。あと、近場で燻っているらしい詩人。

直に交わらないからこそ文章世界で交流できるというSNSの世界観もありうるが、ほんとうに興味があるなら、実際現物と関わりたいと思うのが自然なような。

そこまでのものではないというより、ルールとして交流しないという世界観が共有させているだけというような。

でも、こんな変な話ばかり書いている変人と逢う勇気がある人って、きっとなかなか居ないのも分かる。

世界線が交わるって縁という意志だから、外的な環境外だとほとんど在り得ない。

環境も縁。

環境上の人間関係が幸せ過ぎる。

仕事場でも忙しいだけで人格否定する人が居ない。

まぁ、僕の文章は公に拡げるものではなく、たまたま見かけた人が面白いと思うことが本意であって、自己表現ではないという仕様(しよう)。

なんだか、やたらと意味が分からない仕上がりになったが、こういう文章が本(ほい)である。

(次元と解像度(かいぞうど)の話はもう少し掘り下げたかった)

はい、おやすみなさい。

良い夢を。

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