22:02から。
休みの日だが少し出勤。
身体が重い気がするのは、出勤中に本屋に寄って宅建のテキストを買ったからというだけかもしれない。思った通り読み易い。ほんとうはもっと節約していかないといけない状況に違いないのだが、破綻(はたん)しているから全然気にしていない。少なくとも今回のは回収できるから散財(さんざい)ではない。
お仕事。
若者と話すのは楽しい。今の若い人って相当素直というか、賢い。
いや、僕もまだ人口比率的には若い方だと思うし、相対的な話ではなく、単に面白い話が聞けるなぁという感じ。たまたま今日のお客様がしっかりしていたということなのだろうけども、楽しそうな人生劇場で何よりだった。
僕がこの人の歳のときには爛(ただ)れていたなぁ。
何も見えない暗黒時代。今が楽しいし、その為にはこの期間も必要だったから後悔は無い。客観的状況としてはあんまり変わっていない気もする。変わったのは解釈(かいしゃく)。
解釈は経験(けいけん)とか経年(けいねん)だけだとなかなか変わらない。
だから芸術に存在意義(そんざいいぎ)がある。あと、人格傾向(けいこう)の名前の細分化もきっと貢献(こうけん)している。
なんだか書いた気もするが、書いてない気もするどうでも良いパート。
同じ通勤道(つうきんどう)でも時間帯が変わると様相(ようそう)が変わる。
通常のルートだと一頻(ひとしき)り出勤も通学も終わって、やや落ち着いた道すがら。通行量がやたらと少ない。この前少し早めに出勤したら、高校生の通学がやたらと多くて、本日昼過ぎに出勤するとスーパーの前で雑談する主婦っぽい人を見かける。
時間が変われば空間はモードを変える。
当たり前の話だが、個人的に感慨(かんがい)深い現象(げんしょう)。自然を愛でる人にとって空間は時間によって変わるのは当然か。
空間と時間の調律(ちょうりつ)みたいなことを考えた話って既に書いた気がするけど、どうだったっけ。
学校は教育内容はともかく、決まった時間にきちんとその場所に集合できるのかという社会性を培(つちか)う場所なのだろうなふと思った。きちんと自分の時間を社会の時間と調律できるかどうかを測る場。これで考えると、結構理に適(かな)っている気がする。無理なく調律できる人はそのまま正当なルートに乗れるし、そこからこぼれ落ちた人はそれなりに考えないといけない。
僕は調律可能な質(たち)だけども、無理なくやっている訳でもない。
自分が外れていると自覚がある人は、約束の時間は最低限守った方が良い。信用されなくなるから。その時間軸で自分が動いて居なくてしんどい動きだとしても、ここだけはきちんとしないと、自分がもっとしんどくなるから。
納期を守らなくて良いのは一部の天才だけ。
待ち合わせの時間を守らなくても済んでいるのは相手の善意(ぜんい)とか寛容(かんよう)であって、それがいつまでも続くとは限らない。
時間は守りたい質だから、僕は見限られる側ではなく見限る側だが、楽しいことの待ち合わせでもちょっとこわごわしているのはたしか。この感覚を「人の時間を奪う」と言語化していたのだが、今は「人の世界線と交わるのであれば最低限の敬意(けいい)を」という感じ。
ちゃらんぽらんだしアウトローだと自覚があるからこそ、最低限はきちんとしないと誰とも交われなくなる。
アウトローである自分を受け入れてくれる人だけで良いという世界観もありうるところではあるけれど、そういう人と接したら、僕はこの人の人生劇場において登場人物でしかないのだろうなと解釈する。例えば大学時代の知人が特に理由なく3時間くらい待ち合わせに遅れたのだが、僕個人の世界だとそれぐらいの待ち時間はどうでも良いとしても、この人と関わり続ける意味があるのかという話。
相手の時間を希少(きしょう)だと思えない人と関わる必要はない。時間が遅れるなら報告すべきというだけ。
割と当たり前のことしか書いていないような。
自分が変人だと自覚している人は、ここだけは意識しておいた方が良いという、単なる経験則の話。20代のほんとにうやばい時期に特に理由なく出勤時間に行けなかったということがあって、怒られつつ心配されたことがある。あの時は何の世界も無かったなぁ。
ともあれ。
もう少し現実に帰ってきて。
本日のリクエストは「チキンフリカッセ」。生クリームやらバターを使った原価がふんだんに高い料理。一回も食べたことがないからどれくらいの完成度にになっているか分からないけども、完成品は少なくとも僕の舌では美味しい。作りたての方が美味しかった気がするするが、いつ帰ってくるか分からないからその時間に合わせるのは難しい。
副菜とサラダをどうしようと考えて創ったのだが、結局和洋中になった。
チョレギサラダと、小松菜の白だしお浸し。食べ合わせとしてどうなのかは気になるところ。
やれやれ。
現在23:15。まだ満月さんは帰ってきていない。
心配も不安もないが、この人も時間を相手に合わす傾向がある。明日早いのに、きっと誰かの話を聞いて遅くなっている。お人好し。
変な話で最後。
個人的な人生劇場ってそれぞれ言語化できると思うのだが、時間軸というか時系列(じけいれつ)は割と錯綜(さくそう)している気がする。時系列で説明する自己紹介が多いけれど、ほんとうにそんな時間軸が内部にある人って少ないような。
外に説明するためには、調律しないと読み取られないからそういう言語になっているけれど、人間の調律しなくて良い時間軸って、それほど一方通行ではないような。
いや、こんなの普通に人と会話していていても出てこないし、仲良くなっても開示されない(というか開示できない)。ただ、時間って別に絶対ではないよなというだけ。絶対なことって守るとか従わないという選択肢がない。ただ在る自然。雨に対して抗うことがないように。
時間と記憶もかなり連動していると思っているのだが、これは別に脳科学の話でもない。
覚えていることが、記録力と無関係な意味って、あんまり解決されていないような。色々記憶の分類もあることは知っているけども、なんだかピンと来ない。
はい、まだ満月さんは帰って来ていないけども、ここで収め。
おやすみなさい。
良い夢を。