違和

挨拶も終えたところで通常営業。

ちょっと書きにくいような、ごつごつした書き味。見やすいようには調整していくつもり。なるべく単純な読みものへ。人となりは読んだら分かるやろとというスタンスでいく。

手足のびのびしつつ、メタ成分多め。


光合成も命がけ。昼休憩、30分くらいしか外に居ないのにやや危険を感じる。
牛丼風のおかずときのこのマリネと目玉焼きの日の丸弁当を食べつつ、あと何度高くなったら公園に人気がなくなるのだろうとか。

仕事がやたらと眠くてしんどい理由がちょっと判明。怠けるから疲れるのだろうなと。ほんとに忙しくなったらスイッチが入ってアドレナリンが分泌されてよく動くし時間もすぐ去る。寝不足気味ではありそうだが、楽しい寝不足だから無問題。

何か余白が少なくなっている気がしなくもない。夜ご飯のおかずに欠かさない卵を買い忘れて、夜ご飯を作るムーブにぶれが起こる。急遽きゅうりの浅漬けすりごま入りを作った。緑のシリコン容器に入れてしまったのは彩的に悪手。メインは豚肉とピーマンともやしのピリ辛炒め。豆板醤が利いている。きのこの副菜がなくなったし、きゅうりは夜ご飯とお弁当でなくなったから明日はまた副菜を1品作らないといけない。ピーマンともやしのレンチン胡麻和えにしようかな。明日はもっと帰ってから次の仕事に起きるまでの時間が短い予定。

さておき。

日々日記の需要があるのは知っていた。でなければ無為な文章を読み続けるような変人は居ない。思索パートに対する需要はあるかないか知らないが、これも日々に含まれる。イベントパートも日々の一部として書いているから、全部ひっくるめたのが僕の日々日記調。

個人的に日記的な文章にはあんまりそそられないのだが、おそらく変に良いことばかり書こうとしているというか、記録してなんぼみたいなところがありそうだから。何か良いことはないかと日々生きるのは日記を書くために生活しているようで堅苦しい。僕の需要は、日々の記録だとしてもそこから零れ落ちる(溢れ出す)人の中身だから、中身が見えない文体は楽しくない。自分の中身が読めてないから書けないのかもしれない。そんなことは分からない。

自分の文体に辿りつくのは、何をしたらいいんだろうな。
文体論というか、発話形式の文章について。

「アンダーグラウンド」を読んでいて、モノローグなのになんでこんなに他人事的なのだろうという感じがある。もちろん村上さんの文体によって文学化されているという節もある。でもこの感じ、インタビューした言葉を演劇作品に昇華した作品の原文にもあった。

これって伝聞形式で整理されたからではなく、文字(言葉)に起こすことによって「そのもの」とは乖離というか分裂してしまうということなのだろうな。自分のことだとしても、言葉に変換することによって、他人事になってしまう。良いとか悪いとかではなくそういうものだというだけ。記録的な日記がモノローグになりがちなのはそういうことなのかと気付く。

自己紹介が胡散臭いのもそういうことか。
自分とは言葉で語られるものではない。もちろん、描写はできる。

普通の文章って、自分が自明の視点として捉えた描写になっている。そういう作法でもあるのか、それともそれしかほんとに見えていないのか。人間の想像力は他者の視点まで及ぼせるはずで、だから宗教が創造された訳だし。

こんなの別に壮大な話ではないのだけど、のびのびし過ぎか?
語られる主体が、読まれる客体と連動してないはずがない。あまりに自明過ぎて意識されないだけなのか?

ちょっとまだここに馴染んでいないからメタが過ぎる。

読むことと書くことの話の続き。
某所で読むことと書くことが好きだというプロフィールを見つけて、わくわくして行ったらなんだか全然違った。読まれることと書かれる自分が好きなのだろうなって。まぁ別に良いけども。

読むことは関係だから、対象を自分の都合によって読むことはできない。
自分外のこと。それで死角に気付くのは良いけど、その死角が結局自分事なのがなんとも。

別に槍玉にあげるつもりはないのだが、「愛するということ」(フロムさんではない模様)、という本を読んで、「自分が」パートナーに対して器が狭かったことに気付くという文章。これって個人的になかなか酷いように想うのだがどうだろう。

愛の深淵は知らないけど、基本型は受容ではなくて、相手に対して何ができるか、何をしたいかのところじゃない? 自分主体で捉える世界にはきっと愛は無い。

もちろん恋は盲目のバースト効果を越えた後の話。僕の原初の家族関係では夫婦間でそういうやり取りが観測されたことがなかった。供給され続けることが愛の証明ってなにやらおかしい。

自分を蔑ろにしてまで動いてくれることに愛を感じるのは当人が足りていないのだと思われる。そんな人とは関係できない。

愛をもたらせらるものか、もたらすものかという価値観なだけ。

おやすみなさい。

愛をお裾分けできるようになりますように。

ついでに良い夢も。













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