過渡期


可能な可動域。

昼休憩。この暑さの中でも人は歩いているが、公園で留まる人はさすがに少ない。その代わりポッポーは相変わらずの群れ。公園の中にあるプチ森ゾーンのベンチに座ったら運が落ちてきて、見上げると烏が1,2,3羽。楽しく狙っているので逃げて反対側のベンチに行った。頭のもさもさを襲撃されたことがあるからちと苦手。ポッポーとは違って得体のしれない知性を感じる存在。神性を見出したのもなんとなく分かる。

あと数分で休憩というところで当たったのが、クレームが多いと評判の人。今回の案件もある意味いちゃもんだった。火を付けずに鎮火して気持ち良く通話を終えてもらう。感情に当てられるのはとても苦手だから、末端は痺れて冷えていた。公園の熱気と、とんとん。

重箱の隅をつつくように細かい文句ばかり行って来るという評判。たしかにそう。ただ、どうにかできると思ってもいない。休憩時に想ったのが、こういう性質って、一般的に女性脳と言われる、「解決なんて求めていない、まずは話を受け入れて」みたいな感覚なのだろうなと。僕も別に男性的と評されるような解決脳の人ではないし、ましてや共感脳でもない。こういうのって遺伝というより、環境要因の気がする。どういう風に生きてきて、何が成功してきたの適応。

この人も別に頭が悪い人ではなく、こちらの事情も分かっているのだが、それでも言わずにはいられないのは、きっと寂しいか甘やかされて生きてきたかどちらか。僕の方が遥かに立場が低いからヒヤヒヤなのだが、立場の優位性にかまけると、一生そのままだろうなぁって。

女性が一般的に共感脳なのも男性が解決脳なのも、性差ではなくて、性としてのグループがそんな感じであるという上からの承継でしかなさそう。あと、偏波なき観察で見たときに、女性はやや甘やかされるから、そこに甘んじている感(同期とか)。現代だとセクハラとかパワハラとかシビアだし。まぁ僕もなるべく性差なく尊重しているつもりだが、女性には女性特有の危険があるから、あんまり遅く出歩かない方が良いよなとは思ったりする。この感覚が蔑視だとか価値が高いとかに繋がるのも分かるが、個人的にはそういうことでもない。女性には女性のしんどさがあるだろうし、男性にも別の方向性でしんどさはあるだろうし、もっと言えば人それぞれ。

だからかもしれないが、あらゆることに食指が向かう僕でも、「フェミニズム」という括りは食べようと思わない。学問って、視点を狭めてある対象に集中するもののはずなのに、括っているようでその外が意識されているのが学っぽくない。政党だとすればしっくりくる。何か性を分断的に捉えることで利があるのかもしれない。

やっぱり、専門家でも自分が属するグルーピングの外を考えるのは難しいのだろうか。
いや、グルーピングを人一般にすれば良いような。

個人的には社会の上で一番弱いのは子供だと思う訳だが、社会的な子供そのものを考える学はないということが証左。権利条約はあるが、子女と括るのは乱暴過ぎるような。まぁ世界も色々だから、てこ入れ必要なのかもしれないが、法は人の素朴な価値観を規律する効力はない。ある程度の安全とちょこっとの安心。

何の話だっけ。

眼から鱗が落ちたとしても、それを自分の動きに組み込んでアレンジできなければ、ただの世界の外の認識の更新でしかなく、人生劇場にならない。

この話書いていてとても詰まらないな。
人は性の前に存在しているし、この視野は狭い。

認識の狭さの拡張の実践編。

昨日、通話している最中、連休があったら会いに行けるというのは固定観念なのではという発想が起こる。起こってから早くて、明日仕事が終わってから新幹線に飛び乗って向かって、一泊するプランを構築した。本日起きてからビジホを予約し、残業が終わってからすぐお風呂に入ってお泊りの準備をして、あとはこの日記を書き終えてノーパソを収納すれば準備は終わる。

この話は惚気と言えば惚気だが、それだけではなく、想いの言葉はできる限りすみやかにタイムラグなく現実化するものであって、言葉だけで留めるものではないということ。僕は恋人さんに奉仕するタイプではないのだが、何かしたいとなったらしたい。これは別に官能的な話でもなく、ただ存在に触れるだけも良いから行くだけ。言葉の世界だけでやきもきしたくない。

そもそも僕は言葉をやきもきする手段というか、自分の世界のコードとしていない。
言葉にできるようになった時点で、ほんとうの素朴からは距離感があるから。世界は言葉で構築されているという歴史上の哲学者達に怒られそうだが、僕のほんとにしんどかった時期は言葉で記述できるところにはないし、内省的な言葉はレンズというか解像度くらいの道具性でしかないような。

要は、言葉は現実の後にしかない。
これは人格も然りで、いちいち言葉を当てようとすると言葉が前にあるように思えてくるだけ。

言葉にできている時点で、自分事からは乖離している説。

要検証だが、どれだけ語彙を習得したところで自分の中に非言語領域があるのが普通の人なのでは。

はい。寝ます。

おやすみなさい。

良い言葉を。



PAGE TOP