枯れたり充たされたり

22:30から。

せっかく満月さんが晩御飯を作ってくれたのにちょっとぼーっとしてしまった。

夜の炭水化物は満腹になり過ぎる。というか血糖値が急上昇してなんやかんや。

お仕事の夕方に空腹過ぎてチョコかブドウ糖が食べたくなるのはきっと血糖値が低くなり過ぎている。

お仕事。

最近アウトローのお客様がモリモリやってくるバイオリズム。僕もアウトローなので波長が合う。真面目過ぎてメールが来たらすぐ返さないとという強迫的な人とか。これは爆発しない限り正道なのだが、あまりに真面目過ぎると調子が壊れて外れてしまう。

波長が合うのはおそらくお仕事の潜在的(せんざいてき)顧客数(こきゃくすう)が増えるから良いとしても、仕事のフローの正道からはどうしても外れるから、エネルギーがかかる。正道もそんなに把握できていない僕には荷が重いのではないかと思いながらやっている。休みが少ない繁忙期の頭があまり働かない時期にやるものではなくても、もっと余裕ができてからじっくり取り組ませてくれよと。

いや、待てよ。

余裕ができたらすると思っていることってきっと実際にやってきてもしない。物理的にできないことならありうるけれど、心理的にできないことに必要なのは物理的な時間ではなく、決断とかのお話。

あと、僕が思っている正道は単に周りの人達が良く使っているフローなだけであって、実は全部正道なのかもしれないと思って来た。おそらく先輩方はその中で自分が使いやすいフローをたくさん使うようにしているだけ。先輩女子が未経験のフロー立ち入っているところもある。

なるほど、だったらコンプライアンスの枠の中で我が道を行けばイイのか。

全然自由じゃん。

こういうなんとなく正道というかマニュアルがまず把握しようと思うのは、僕がそういう正しさを求めている訳ではなく、まずはその場の参加者にならないという必要に迫られてというだけ。

当時は特に思っていなかったけれど、まずもって変なところが独自の家族ルール。実家が最初の社会だったし、そこには参加しているのではなく、物心ついた時には参加していたという感じ。その外に社会があって、社会のことは大人になってから徐々(じょじょ)に知っているが、未だに全貌(ぜんぼう)が掴(つか)めていない。

もともと思っていた共通項(きょうつうこう)は、「それが何故(なぜ)駄目だか分からない」ことが多すぎること。合理的な理由ってほとんど無さげ。

別に縁起(えんぎ)とかの信仰(しんこう)系ならそれはそれでそこの理に適(かな)っているから分かる。5月に行くかもしれない結婚式において祝儀(しゅうぎ)は奇数万円にした方が良い、偶数だと別れを暗示していて縁起が悪いからというのは現実的には意味分からないけど、この場所はそのルールが適用(てきよう)されない場所だから、そんなことを言っても仕方ないし、儀式(ぎしき)には様式(ようしき)がつきもの。

結婚式で言えば、男性の靴下(くつした)に踝(くるぶし)ソックスがアウトなのは流石(さすが)に意味が分からない。何年か前に鳥取の結婚式に参加した時にちゃんとした靴下を忘れてしまって、ひやひやしながら酔っぱらった記録がある。ここは縁起ではなく一般的ルールなのだろうな。

こういうのって素朴(そぼく)な僕は全く気にしないのだが、そういう社会的な場においてそれを気にせず自己主張の方が大事な人はちょっと気になる。

自己主張を社会まで及ぼしたいという気持ちが無いもんで、髪を染めたりピアスをあけたりしたいとも思わない。別にしたけりゃすれば良いし、素朴な僕は全然気にしない。ピアスとかネイルって艶(なま)めかしいとさえ。ただ、この自己主張を社会的にも承認されるべきものだとするのはなんだか違うような気がする。

いや、これは自己の本質(ほんしつ)が外からどう見えるかではなく、内側でどうするかという立場だから誰にでも見える外向きの自分を社会からの認証(にんしょう)対象としていないだけなのか。

「行儀(ぎょうぎ)が悪い」の概念(がいねん)も特に分からない。もちろん外から見てあまりよろしくないということを教育する言葉なのだろうけども、僕が覚えているのは幼少期に結婚式で皿を舐めたら、母親とか親戚一同に行儀が悪かったねって笑われる対象になったこと。

別に反面教師にする訳でもないけれど、僕が親になったら、こういう社会の行儀から外れたことを嘲笑(ちょうしょう)するようなやり方は絶対しない。家ではやっても良いけど、外ではしないようにで良い。

これは別に親が子供の教育観を問われて非難されるからではなく、子供自身の自衛のためのこと。外れたことをすると、外れないことを正道だと思っている一般筋から非難されるから外向きでは擬態(ぎたい)しようねと。

満月さんも僕もまぁまぁお互い行儀が悪い。ついでに言えば、僕が満月さん一家に居る時もだいぶやばい。儀礼を無視(むし)しているし。娘さんを下さいと言う前にあげたと認定されている。(別になんの営業スキルも使っていない)

お気持ちとか頭の中身ってどれだけでも文字化できるし、なんなら儀式化できるけれど、結局はどれだけの中身があるかというお話な気がする。

ここで言う中身って最終的には行動としての現実化。

満月さんは前の恋人さんに罪悪的な行動をインストールされている模様。

僕が最長のパートナーではまだ無いから否めないけど、できなくてごめんなさいと言うことを半ば強制される関係性って歪(いびつ)な気がする。

僕はあんまり気にしないのだが、満月さんの罪悪感世界に参与していると結構ぷりぷりしてしまう傾向にある模様。嫉妬(しっと)ではなく何処にも動いていないよねという感じ。

本当にへりくだっているのか、言語表現上の儀礼なのかは定かではないけれど、現実上罪悪感が無いところではすげぇ動いてくれている。昼おにぎり生活はきっと罪悪感が原動力(げんどうりょく)な訳もない。

罪悪感によって行動(現実)を変えるというのは僕もやっていたけど、そんなことに特に意味は無いよなという気がしてきた今日この頃。

変な話、行儀は悪いのだろうけども、僕の行儀の悪さは誰かを利用しようとはしないし、利になる人を選ばない。

罪悪感は何の原動力にもならなくて、単に、自分の存在を否定するだけの概念。

そこから救われるよっていうのが宗教で、治そうかとなるのが精神科で、そんなことより自分の現実の動きに傾注(けいちゅう)すれば良いじゃんというというのが楽天家。

楽天家は自分の世界に入って来る人の礼儀を一切気にしない。

色々正道ルートの人だったら落ち込むようなことを言われるのだが、それはあくまで外からの話であって、自分が動いていたらどうでもいいなって。

ついでに返信もどうでも良い。仕事の時はやり取りしないと現実が進まないからしょうがないが、現実空間でないところで交信が頻繁でないと関係していないと思う人とはきっと繋がることはできない。LINEをほとんど断捨離したのはこういう時間性のお話。

このニュアンスってどれだけ通じるのだろう。

というのが漂流文の本質。

好きなタイミングで時間を調律すれば良いのがほんとうの交流(こうりゅう)。

そんなこんな、まだまだ楽しく生きていける。

はい、おやすみなさい。

良い夢を。

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