人それぞれ

22:34から。

やっと書ける。時間が押しているのか、僕の作業スピードが落ちているのかは知らない。

いや、まだもうちょっと書けないかも。あと2分くらい。

ふん。意識的に守ろうとしないと確保(かくほ)できない時間と空間であるこの漂流文。なんなら欲求でも義務でもないから主観の方からも容易(たやす)く削(けず)られてしまう。

欲求からすると漫画を読む方が強い。漫画は平日だと1時間も読んでいない。

朝は早起きして読みながらまったり満月さんとお話するのが楽しくはある。

何が言いたいかとというと、この場所よく成り立っているなぁという感じ。

何の動機も無く、必要に迫まれてもいないのに、気付けばnoteでも何本書いているのだろう。

本格的に漂流文に移行しようかとも折に触れて思う。2個のサイトに同じ分をコピペするのは非効率だし。ただ、読んでくれた人の記事を読みいくのが楽しいもんで、なかなか辞められない。そんなに更新していない人も多いけれど。

行動というか自分を現実に晒(さら)すときに何か心理的なエネルギーが要るというのは結構仮設(かせつ)的な世界観だと思う。エネルギーを気にするのは、為になるのかとか意味があるのかというお話であって、そこに意義(いぎ)を見いだせれば、どれだけ心理的エネルギーが枯渇(こかつ)たひたとしても身体が勝手にやる。

人は主観が自分を支配(しはい)していると思いたいから、自分の身体の動きを意志によって制御(せいぎょ)しているとしがち。個人的には主観で把握(はあく)できる情報も行動も割合2割くらいだという認識で、まっさらな脳には勝てないと思っている。

たしかにエネルギー的に億劫(おっくう)になることはあるが、これってほとんどが人間関係のこと。お仕事でも主観的にこの人を追っても意味無いだろうという感覚がブレーキを踏んでくるのだが、仕事なので追ってみないといけないとなると結構エネルギーを使う。

ついでに言えば、私的な人間関係でもエネルギー消費がない人を求めるのはおかしい。本気で人と接するのであれば、お互いエネルギーを使うのは当たり前。喧嘩(けんか)がエネルギーの発散(はっさん)かもしれないけれど、まぁまぁ滞留(たいりゅう)する。私的な方ではエネルギーが消費されたり滞留されたりしてもその人と一緒に居るのが楽しいのかというお話。楽しいから一緒に居ると言うフレーズでは伝わらないニュアンス。

例えば、人間関係以外での世界だと楽しいだけを実現できる。推し活、山活、パパ活、なんでも良いけれど、何も消費せずに楽しめる訳でもない。ただ、エネルギーを使った分が返ってきているという実感があるのかもしれない。

個人的な山活だと、別に時間と自分の足をかけて山に登った光景とか空気が対価という訳でもない。自然が好きだというのは確かだが、別に他の何かで使えるものを費やして行っている感覚はなく、ただ「そこ」楽しんでいる。キャンプに行って独りの時間を愉しみたいという訳でもない。満月さんと共同生活しながら日記時間ではまぁまぁ独りになれているし、外界と隔絶することなんて、日常でも普通にできる。もちろんこれは協力してくれるパートナーありきだが。

ちょっと今日のお仕事で接した人から考えたこと。

このお仕事でないとこういう認識は起こり得なかっただろうなという意味ではちょうど合っている。

変な話だが、同じことを言っても解釈が違うというのは良くあるけれど、これってもともと生きている世界が違うという認識で生きた方が楽なのかもしれない。

主語としての「私」には時間性があるというのが満月さんの提言(ていげん)で、これはこれで正しい認識だと思った。「私」と表現したときにはもうその私は過去であるのではというお話。こんなの厳密(げんみつ)に言葉(表現)を研究(けんきゅう)した人にしか在り得ない発想(はっそう)。

僕としては主語と言うか固有名詞だけだと時間が乱雑(らんざつ)だから、助動詞とか助詞とかで時制を決めているのだろうなと思った。別に文法として時間の流れが正しくなくても文脈(ぶんみゃく)としては時系列が通じるように書くことは可能。

日記も別に時系列の順番で書く必要もない。

で、世界が違うという話。

本日割と普通の時間軸ではないなというお客様と接していて気付く。

当人の世界認識って、生きてきた過去の情報から自分にとって有意(いみがある)ことを選り分けてできたものであって、全然客観的な情報では無いよなと。僕個人が客観情報を全然重く捉えないから意識されなかったのだが、人って客観的に自分が意味ある行動したと認識したいがために、割と世界を歪(ゆが)めている。

この歪みが個性だし、別に個性はウェルカムだけど、それが普通だろうという世界観が一般認識になっている人は結構ややこしいなと。僕が相場を気にするのは自分が市場に上がっているときだが、私的世界だと相場を全く気にしなくなった。一般のこの年代の男性の属性とか知ったことではないし、それで選ばれるかどうかなんて気にしないし、僕も別に一般的属性で人を選んでいる訳もない。

例えばこの一般的な認識が最低限の法律だという話なら問題ない。法律って主観はどうあれ従ってしかるべきものだし、六法くらいは最低限だろうなと。ただ、不倫が犯罪であるみたいな感覚はちょっとアレ。

道徳的な感覚とか、権威が言っていることが正しいのだという世界に生きている人は、きっと自分が権威になったら自分の世界観も無批判に従うべきとなる。自分が正しいのに何で相手は従ってくれないのだろうってやきもきしながら生きる世界。

喫緊(きっきん)でもなくいったん収まった某、禍(か)についても、個人的な世界だと全く気にしなかった。気にしさなさ過ぎて一回も打ってないし、別にこれが正しかったとも思っていないけれど、その当時、特に交友関係が無かったし、誰にも迷惑をかけることはないし、自分が打ちたいと思わなかったからしなかっただけ。

色んな事情で打った人も居るだろうけども、外から見れば結局プラシーボだろうなとは思う。別に満月さんが熱を出したときにも普通に看病(かんびょう)していたし。渦中でも特に気にならない。

僕が面白いと思った今日は、それぞれの人の世界認識ってなんとなく共通項(道徳・法律・感覚)によって自分の中で客観になっていると自認しているだけで、そんなに客観でもないという認知(にんち)。

良い悪いの話ではなく、その客観的だと思い込んでいる世界に割り込むのが営業なのだろうなということ。

この軸だとパートナー居ない時期に色々と割り込んでみた世界が流用(りゅうよう)できそうだなと。この時は選ばれるということをあんまり志向してなかった気がする。

個人的にはもう無くなってしまった感覚だけど、誰かと自分の感覚が繋がっているということに飢えているのが今の人なのかもしれないなという市場感覚。

市場で生きる世界観と個人的な世界観は乖離(かいり)している。個人的には基本的にだいたいのことがどうでも良い。満月さんが包丁とまな板を浸水できなくても良い。当人曰く時間がないからできないという話だが、時間があるときにも放っておかれていたから、きっと

タスクとして抜けているというか、そもそも洗い物と調理が別なのだろうなという観測。

発話でも記述でもそうだが、満月さんが抜けている部分を書くと苦言を呈されたと表現される。僕としては満月さんならできるだろうなという予測的な観測報告の意味合いであって、できなかったから怒るような感情は無い。ここは市場ではないのだから、元カレさんの呪縛(じゅばく)からは解き放たれも良いような。

いや、元カレさんが悪い人とも別に思っていない。

良い文章を書いているし、直に接したことはないから定かではないけれど、そんなに自分だけの世界で生きているとは限らない。満月さんの過去語りだけではこの人の人格を決定できないという立場。

これは信じているかどうかという話ではなく、言い分が一方的な世界は片落ちだよなというだけ。

視点も客観ではなく世界認識によるバイアスだし。

バイアスがないと世界を自分の劇場として認識できないという立場だから、別にバイアスが悪いという話でもない。

注釈(ちゅうしゃく)を書き過ぎて長くなった。

そのうち注釈なく書いてみようか。

おやすみなさい。

良い夢を。

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