メンヘラ発見器

21:52から。

ここ2、3日、肌がやたらと荒れていた。お客様にも気付かれるレベル。というか満月さんを除いてこのお客様以外には指摘されていない。良く見ている。満月さん曰く寒冷アレルギーではないかとのこと。たしかに、寒さに慣れてきたのか、もうほとんど通常時になっている。

顔よりも顔付きの方が大事だから、肌荒れくらいはどうでも良いと思うが、もとに戻りそうで良かった。今さら顔でモテることなんてないと思うが、この顔は人に対してまぁまぁ無色なのだろうなという認識(にんしき)。時たまかっこいいと言われる時点で勝ち組かもしれないが、こういう水準の競争だと勝てる気がしない。

さておき。

お仕事。

店長と2人だったのだが、なかなか忙しかった。

店長の本音もちらほら。僕の第1印象だと新人さんは仕事面において遥(はる)かに有能(ゆうのう)だと見受けられたのだが、店長の印象(いんしょう)だと戦力になるまで時間がかかるよなってぼそっと。

いやいや、僕のポンコツ具合は初期において半端(はんぱ)無かった。運転もできない、ビジネストークの言い回しもない、営業未経験、さらに土地勘(とちかん)すらない、ゼロからのスタートのポンコツ。どれだけ経年したところでこのポンコツ感は一生モノなのだろうな。

唯一の強みは法令に耐性があるくらいだが、法律学と実務的な法令順守は意味合いが違う。法律学はセーフかアウトかを前提(ぜんてい)として、境界例(きょうかいれい)をどう判断するかというお話であって、実務はその判断を前提としてそれに従うという話。

どうでも良い迷子。

法律学ってどういうものだという知識ではなく思想の話で最初に読んでおいて良かったなという本がある。「内田貴」さんという今はもう学者ではなく政府機関に入っているのかな、の「民法Ⅰ」。

曰く、法律を解釈するところに2つのイメージがある。1つは円のであって、典型例は中心の円で、グレーゾーンは更に外の完全アウトな円の間にあるという見え方。記号的に法律を解釈している感じ。もう1つは、物語であるというイメージ。今まで培(つちか)ってきた法律判断は物語の前置きとしての筋であって、その筋から外れない範囲(はんい)で物語を続けるということ。

どっちが良いのかという話ではなく、あくまでどういう風に法を見るかというだけなのだが、個人的には後者の方がしっくりくるなぁと今想うと感動したのだと思われる。ごりごり法律学をお勉強する筋から離れたからこそ、こう感想できる。

どんなルールもそのルールが発生することには物語という筋があるという意味合い。

これはどんな私的なルールであってもそう。法律は対象が壮大だから個人からしたら従うしかないルールみたいに思えるが、法律が従うべきものだとできる思想には素朴な約束で自分に損が無いようにというのが前提にあるのだろうな。

僕は税金とか保険関係とか全然損した気分にならないのだが、ここで損をしている気分になる人は、そもそもそんな約束していないよねという感じなのだと思われる。たしかに、ここって契約みたいな合意が問題にならないところだから、何か勝手に徴収されている気がするのは否めない。意志を尊重されていないみたいな。この筋で意思表示する術(すべ)は選挙しかない。

この話今日の日記の筋的にどうでも良いな。

お仕事の話にちょっと戻って。

今日の営業がやたら面白くてハイになった。

人たらしとしては天職なのかもしらない。

別に自分にとっての成果であるという意味では全くなく、良き移動に参与(さんよ)できて良かったという市場価値とは無関係なところでエネルギーが循環(じゅんかん)された感じ。満足の瞬間に立ち会えるというか、満足の瞬間をお仕事時間に持ってくるという操作はあるにしろ、そうしないと立ち会えないというか。通り過ぎられる人物になるのがもったいないなというだけ。商品で言えばもっと安くやってくれるところは有ると思う。そこが損だと思う人は、なるべく人と関係せずに決めた方が安く済む。

昨日書いていた、人たらしの手法が違うということも、本日現実的に店長が言っていた。

やり方は違うけども、同じく人と関係性を作れる人だと評された。劇場観は違うけども結果的に同じようなことになっておるというお話。店長的には知識を補足するぐらいで良いんだろうと思われていると思われる。

関係性とはなんぞやというと、存在として他者の人生劇場に刻印(こくいん)されること。

生活空間だと自然に刻印されるけども、生活外だと他人はほとんど情報にしかならない。一期一会の数時間で存在として認識されるって難しい。

僕はなるべく人の刻印になりたくない質(たち)だったのだが、このお仕事をしていて、それもしょうがないなと思ってきた。残るのであれば、なるべくいい印象の人物として残るしかない。僕の素朴は一般的に見て全く良い人物ではないのだが、固有名詞として認識されるのは稀有(けう)かもなと。

これは僕が人のことを情報として見てないという鏡が解放されてきたのかもしれない。

人のことを文章界で語るのは難しいのだが、現実界でも印象で他人を決めつけることはしていないし。

第一印象を信仰しない。

文章界のお話。

それしか書けないのか、ルールに倣っているのかは知らないけども、なんだか自分が情報であるという枠の中で書いている人が多いような。

情報に徹(てっ)したらそりゃあ読み手が共感してくれてスキは増えると思う。

僕が共感のスキを断捨離(だんしゃり)しているのは、これって情報の交換でしかないから。

僕の日記は別に情報提供をしたい訳でもないし、共感を求めている訳でもない。

だもんで、定期的にスキを付けてくれる人の意味が分からない。

その世界軸では生きていませんよという人も少なからず。

1つ挙げると恋愛アドバイザーさんとか。

僕は恋愛で言えばメンヘラ発見器らしいもんで、成功例としても呈示できないに違いない。単に読み物として面白いなら、別にスキを付けなくてもいい。

読み物は情報だけど人間は関係。

当人が存命だったら直に逢ってみたいと思わせるのが関係的な文章であって、文章界だけで成り立っているであれば僕は存在できないかもしれないと思ってきた。

こういう発想が転換されるのが現実の醍醐味(だいごみ)。

はい、寝るか。

おやすみなさい。

良い夢を。

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