22:35から。
マーボー茄子は予定通り美味しくできました。主観的にはちょっと辛いけれどマーボー茄子が食べたい満月さんにとってはちょうど良いはず。あとは炊き込みご飯の具と追加の鶏肉を買ってきてもらっていて、あとは浸水して炊くだけ。炊くだけとは言え鍋だから結構塩梅(あんばい)が難しい。
ちょっと柔らかいかなと思ったけれど、味見したらちょうど良かった。鍋でお米を炊くときに一番難しいのは、水加減(かげん)。目分量でやるもんだから職人芸みたいになるだけであって、本当は分量を測れば良いだけなのだが、そういう料理の仕方はつまらない。ナビなく動けるようになった方が楽しい。ナビはそれ通りでやるもんではない。あくまで道筋であって、逸(それ)れたり立ち止まったり迷子になったりして良い。
お仕事。
僕の変人性がバレたのと、成長率のアンバランスなのか、もともとの人間性なのか、店長とスーパー事務に盛大(せいだい)に弄(いじ)られる。僕が居るから2人とも営業引退するかぁみたいな。これに対してはいやいや、まだやって下さいとは返せない。役柄として2人ともキャパオーバーのことをやっているから、僕が営業役で前線に立てるように成長した方が皆の役柄が既定に収まるし。
僕の時系列、そういえば弄られなかった時代がない。僕が弄りに反発しない大人しい(?)人格と見られていたからか、色んな方向から弄られてきた。別に呪詛(じゅそ)はもちろん無いが、この弄りって相当優しい。満月家でも結構弄られるのだが、これも優しいと思う。
弄られのエキスパートなのは、おそらく僕自身が完璧(かんぺき)な人格を人生上の目的としていないという内部もあるかもしれないが、その人格が健在化(けんざいか)した風貌(ふうぼう)として、こいつは何を言っても言い返さないだろうなと弱者(じゃくしゃ)に見られていた向きもある。
昔の弄られ方は、凹みとして槍玉(やりだま)に挙げられて、弄る話者を高めるための道具にされていた感がある。この人こういうのができないなんだよって話題に挙がる感じ。容姿(ようし)をディスるのの亜種(あしゅ)。要は場を盛り上げるための道具になっている。
こういう弄り方というかディスり方をする人は、傾向として何か自分の中にあるコンプレックスの投影(とうえい)だと思っているのだが如何(いかん)せん。
あと、男女関係というか、恋愛関係に上がるかどうかのところで、優しいとか良い人だけど俎上(そじょう)には上がらないみたいな弄り方をされたこともあるような。たぶんこれって僕の俎上に登ってきていないから、単なるそんな人と認証(にんしょう)されるように振る舞っていただけな気がする。
この文脈の振るまいはどうでも良い人(世界線が交わらなだろうなという人)みたいな他人に対してもできるし。
パートナー関係で競争したり競合するのはめんどい。
すげー引く手あまたな人を娶(めと)る意味はなく、そんなところで相手の価値は決まらんし。
要は人を品定めする界隈(かいわい)ではいまいちだと弄られていたというお話。
今となってはそんな場では居心地(いごこち)が悪いから、弄られるのに任せて自分を退場させていたのだろうなという説。こういう界隈の人に自分を営業したとしても、常に比べらながら生きないといけない。
こんなのは断捨離(だんりゃり)。
ここまで書いたらきっと分かると思う(分からなかったら僕の文章不足のせいだから気に病む必要はない)が、いま過ごしている世界線の弄りは凸の人に対するものだから、悪者にするではなくて、単に変な人だと弄り。こういう弄られ方は全然楽しい。
凸に対する弄られの世界線に移動したのかも。
変な話、凹の弄りの世界線は早々に移動した方が良い。
もちろん、自分の世界観も含む。足りないことに焦点を当てればそれこそ無限(むげん)にあるけれど、人生劇場長くても100年くらいしかないのだから足せることに眼が置ける関係の人となるべく過ごすべき。
ヒヤヒヤ顔色窺(うかが)わないといけない人と過ごすのはつまらない。
満月さんの顔色は窺っていない。血色(けっしょく)は観測(かんそく)しているけども。凹なことがあっても離れるつもりはないし。
あとなんだっけ。
のーとで相互の人が、自殺についての記事を書いていた。
良く調べていると表現すると上から目線だと満月さんに言われそう。
僕個人の考え方だと、自己で退場することはほぼ自己選択でやって良いことだと思っている。法律上どうかとか、その後のリスクとかも前後不覚で切羽詰まっている人にそれが悪いことだなんて言う聖人でもないし。
法律上どうかという話だと、専門的になってくるがもうこんな時間だから詳細(しょうさい)は書けない。ただ、法律上どうかという話の中に道徳観は全く含まれておらず、国民という人材が勝手に居なくなるのはよろしくないよということだと思っている。
法律はガイドだけど、別に個人の感覚を掬(すく)うようにはできていないし、このガイドを個人の世界観と一致しているようにしたところで特に利はない。
警察に捕まらないことが利だとすれば利だが、この世界観だと取り締まり界隈で不公平が生じる。
自己退場が悪いことなのかというと、色々理屈をつけたところで最終的には個体の自由だと思われる。これを法律がガイドするのはなかなか無理筋。だって、法律っていま生きている人の為のルールだし。
国家がすべきことは、若者については自己退場しなくてももっと楽しいよという世界線を提供することだと思うし、安楽死とか尊厳死とかの法制はもっと緩くした方が良い気がする。
僕もあと40年後くらいには特に苦痛無くしれっと退場していきたい。
別に、これって特に悲観的な話だとは思わないのだが、これを現実的に話したら暗がりの話になるのは分かる。から、現実的に発揮する場がない。
なんでだろうな。
はい寝ます。
おやすみなさい。
良い夢を。