0:01から。
書き始めから夜更かし決定の時間。
明日はお休みなので一応大丈夫。
書かずに寝れば良いし、寝れば良いじゃんって満月さんに言われたが、継続は力とかではなく、寝る前のストレッチとかエクササイズみたいな意味でなるべくは書いておきたい。
あと、特に体調が悪くも無く他に何かをしていて物理的に時間が無い以外で自分ルールを覆すと、おそらく自己に対する不信感が無意識に蓄積(ちくせき)されて調子が悪くなる。調子が悪くなると誰かのせいにしたくなるし、逆に周りの悪いことが過剰(かじょう)に自分のせいだと思い込まれることになる。
昨日だったか、スーパー事務の人に強くなったねと言われた。メンタルの話なのか営業力の話なのかは定かではないが、我(が)が社会的な外によく出るようになったのは確かとしても、内部では自分のことを弱いとも強いとも認識(にんしき)していなかったなぁとということを思い出した。
もともと心身かなり強靭(きょうじん)に作られているとは思う。
なんだかんだこの年まで生き残っている時点で強いという認識はハードルが低すぎるのだが、統計(とうけい)の中の自分の位置を全然気にしていなかったし、なんなら今もそんなに気にしていないのはメンタルが相当強い。相対的(そうたいてき)になると弱そうに見えるのは、人目を気にする傾向だったからであって、中身は別のところで生きているような気がする。
身体に関してはこれだけの感染症流行も含めて、不摂生(ふせっせい)をしまくっているにも関わらずここ15年くらいで病院のお世話になったのが健康診断の時くらいしかない。ちゃんと歩くようにしているとか、食事はバランス良いのが美味しいというのは、意識しているのではなくそうしたいから。
お母様が病院に行くときは派手な色の服を着て悪いモノを貰わないようにしなさいとアドバイスをしてくれたのだが、ちょっと分かる。このアドバイスは今のところ発動(はつどう)しないけれど、病院には暗がりに寄って来る何かしらはきっとある。
衣食住の話を満月さんとちょっと雑談していて、重要度で言ったら食、住、衣であるよなと言ったら、お母様にそんなことを言ったら仲が悪くなるから絶対に言わないでと言われた。
これはお母様も読んでいるからもう言っていることになる。
怖いモノ知らず。
ただ、誤解(ごかい)されたくない。この重要度を言ったのは、生物として生きながらえる最低限のことであって、人間的な生活における重要度ではない。おそらくこの食とか住とかの観念(かんねん)って日本だと、好きな物を食べることとか、より良い家に住むみたいなイメージになると思うのだが、僕のイメージはもっと古代の狩猟(しゅりょう)時代の感じ。
お腹が空くから食べるではない、カロリーを取っておかないと餓死するし、外的から身を守るために住環境を調えないと捕食されるみたいな。この文脈だと衣服の重要度は寒さを凌(しの)いだり擦過傷(さっかしょう)を防ぐくらいであって重要度は低い。
「衣」の重要度が低いと言ったら、「でも人は裸(はだか)で外には出られないでしょう」って反論されるよと言われたのだが、ここの視点は社会的なところだとすると、腑(ふ)に落ちる、
日本社会においてはだいたい人が生命を保持する意味での衣食住の最低限は保証されている訳で、その先の社会的な衣食住だと、優先順位はそれぞれの好みの話になる。纏(まと)う装備で言えば、住と衣は拮抗(きっこう)しているし、むしろ食の方が娯楽(ごらく)になる可能性はある。
聖書みたいな話だが、社会性の始まりは裸に衣服をまとった感じだから、社会には最初に「衣」ありけりみたいな考え方は正論だと思う。服がなければ宇宙にも行けなかったろうし。
個人的には自分が纏う衣服については全然気にしていないのだが、仕事着のスーツって自分が外から見て記号化されるから随分楽。私服はそろそろ南国系のアロハシャツとかゆったりしたボトムとか着たら気楽だろうなと思いつつ、今のところ無難(ぶなん)な服しか着ていない。
お母様がオーダーメイドで繕ってくれたらきっと永く着ると思うが、まだ義理の息子でも何でもないから、そんな世界線は今のところない。
この流れで、昨日も書いた気がするが、自己退場の話。
書いていることに寄せてくるのがAIの世界。いや、現実世界も自分の生き方によって同類が引き寄せられるのだろうなという感じだが。
個人的に自己退場を一般的目線で語るのであれば、法制はどうあれ自己判断ですれば良いという立場。そこまで構ってられないというか、関与できないところに憂いても仕方ないし。
もちろん、これは関与できるところにあったはずの自己退場の芽を摘(つ)めなかった自戒(じかい)の経験(けいけん)がある訳で、我ながら人に対して薄情(はくじょう)な訳でもないと思われる。
本日流れて来た記事で、「何故自己退場がいけないのか」みたいなタイトルがあった。
内容はともかく、ふと思ったのが、これも社会的な領域(りょういき)の観念だよなと。
実際生物としての物体が更新可能性を亡くすという意味では現実というか物理現象なのだが、自己保存とか種の存続の為に生きている生物にはありえない所作(しょさ)は、そうではない世界があるから在り得る。
ということは、そもそも自己退場の欲求が起こることが自然ではない訳で、その欲求を自然のモノだとする議論は何かがおかしい。潰すべきは自己退場ではなくて、自己退場を欲求しないといけない社会システムではなかろうかって。
自己退場のリスクを滔々(とうとう)と語ってもそれを欲求している当人には全然響かないと思うんだよな。たぶん、外から何か言われているわという騒音にしか聞こえないような。
そうやって外から距離を置かれるから余計に社会から退場したくなるし、現状社会から退場する為には肉体を放棄(ほうき)するしかないということになるのかもしれない。
違法か合法かなんて当事者からしたらどうでも良い話だと想像する。
一般的なルールに合わせる余裕がないからそんな事態(じたい)になるのだろうし。
正常ではないところに正常な世界観を持ってこられてもピンと来ないわなと。
正常異常も社会の枠から外れない限りは相対的でしかない。
だとすれば。
どうでも良い話だが、本日店長が新人さんとロープレをしていた。事務作業とルーティンに追われながら聞いていた。なんだか、あえて僕に聞かせるようにやっているような。いや、最初からそれを言ってくれたらという感じでもある。お客様の理想に完璧(かんぺき)に合った商品なんて存在しないから、妥協(だきょう)というか納得させるように誘導(ゆうどう)してあげることが営業の本質とのこと。
たしかに、最初の頃はそんな意識無かった。商品の知識が無いからなんとか理想に近い商品を探せるようにしなればって。今は自然と店長発言みたいなことになっている。お店の売上と、お客様の理想とのバランスを調整して誘導(ゆうどう)する方向。個人的に一生モノではない商品に悩む時間はお客様にとっても無駄というか、決めた後の時間の方が大事だと思うから、結果的に僕のお仕事時間も時短になってウィンウィン。
木曜日も休日出勤になったのだが、これは別に自分の売上になるからということでもなく、このお客様が困っていて、この日しかないから。自分の休みを譲ってしまうのも、そういう質であるからいたしかたない。どんな時間でも楽しめる。
人たらしのすすめ。僕は全く高圧的で無いのだが、相手の認識をズラしてしまう傾向がある。操縦するつもりがなくても誘導してしまうというか。でもこれって、特に相手の世界観を覆(くつがえ)すようなことではない。
単にちょっとしたガイドというか先生になること。
この人が言っていることは正しいかどうかは定かではないけども、言い分を聞いたら自分が楽しくなるなぁという感じを催(もよお)す。
人っていつ地雷を踏んでしまうか気になってしょうがなかったのは母親が僕の発言とは無関係に良く癇癪(かんしゃく)を起こしていたからなのだが、僕は儀礼を気にしない方が相手の地雷を踏まない可能性がある。ちゃんと相手を人として認識していると認識されれば結構なんとでもなりそう。
まだまだ面白い人生劇場。
やべ、もうこんな時間。
調子が良くて睡眠時間が減ってしまう。
おやすみなさい。
良い夢を。