肴(さかな)論

22:28から。

酒と本は人生の肴。

溺れるものではない。

昨日は諸々あって書かなかった。

眠気が勝るというか、何も身動き取れないなという事態(じたい)があったので。

日記的日記。2人して休み。電気工事で停電のお知らせがあったので準備しようとしたところ、想定より早く停電になってしまう。追い炊き途中のお湯に浸かる訳にもいかない。銭湯に行くことになる。休日は融通(ゆうずう)が利いていい。

色んな種類のお湯がある。ジェットバス、壷(つぼ)風呂、なんやらかんやら。

社会の衣(ころも)を剥(は)ぎ取って風量(ふうりょう)激(はげ)しくて寒暖差(かんだんさ)が凄い過疎(かそ)の露天(ろてん)風呂でぼーっとする。

風量が飛行能力を越えてしまったのかミツバチが湯船に落ちてくる。僕はそれほど慈悲深(じひぶか)い人物ではないのだが、こんな気分の良い時に虫でも溺(おぼれ)れ退場は見たくないなと、刺されないように葉っぱで自衛(じえい)しつつ掬(すく)い取って放り投げた。

良かった、また良い気分でまたぼーっとできると思っていたら、またミツバチが落ちてくる。同じ個体かどうかは判別できない。また落ちてくるかもしれないから今度は使い捨ての葉っぱではなくて、次も使えるように小枝(こえだ)を見つけてきて正の走光性(そうこうせい)で指に向かってくるミツバチに刺されないように解き放つ。

二度あることは三度あるというのがこの10分くらいのオチ。

ミツバチは水に溺れても退場しないという可能性もあるけれど。

メタ的に思ったのは、この個体と断定(だんてい)した前提で、僕がたまたま三度救(すく)ったけれど、僕が居なくなったら長生きできるようにはできてないなということ。ミツバチの教育法なんて知らないから、この個体が生き延びる術(すべ)を伝授(でんじゅ)することはできないし、人はミツバチを種としてしか捉(とら)えらないし、ずっと見守ることはできないから、目が届く限りで箱庭(はこにわ)みたいに安全と安心を提供したところで意味がない。

そういえば、お母様は僕の読者なのだが、長すぎて全部読み込めない模様(もよう)。僕も隅(すみ)から隅まで読んで欲しいという感じで創ってはいないから、それで全く問題ない。

弟勇者がそろそろ巣立ってくれないとという悩みがあるみたいだけど、僕は弟勇者に対して一般的な社会生活ができない人だとは思わないから、なんというか、お母様が安全と安心を提供し過ぎな気がしないでもない。あと、変な話だが、子供が居たことはないけれど子供で居る経験からすると、親って子供を「子供という種」で捉えた上での個だから、あんまり対等になれないよなとは思う。社会がそういう風にシステム化されているというのもある。子供は親権上の親が法律上の大人になるまで保護して教育すべきだという世界観。

この複雑(ふくざつ)な家庭問題は僕が弟勇者と話すみたいな流れになっているのだが、個人的には何の重圧(じゅうあつ)もない。アウトローだから、社会において生産的なことを継続(けいぞく)しないと社会劇場で動く価値が無いという感じでもないし。

本当はこの人生劇場で何をしたいんじゃろというのは聞いてみたい気はする。

美術(びじゅつ)関係はまったく分からないけれども、鉛筆画が秀逸(しゅういつ)だと思うし、才能の所作なのだろうなと。

僕は天才で無くて良かったなぁと思う。

天才ってギフトに振り回される人生だから、色んな視点から物事を読むことはできないし、人生劇場を才能に奉仕(ほうし)して生きなきゃならないのだろうなというイメージ。

英才教育も何も受けず、ちょっと勉強ができたことにも自尊心(じそんしん)なくまったりいま生きているのは何の才能も無いから。文才くらいはあったら良かったと思うが、文才が鋭(するど)すぎると尖って来る。

あんまり読み込んで居ない読者であるお母様は鋭くて、僕の文章を読んでいる感じだと、現実ではほわわんしているけれど、人を刺して抉(えぐ)れそうだなと評した。

これは本質(ほんしつ)を突いていて、何も反論がない。

別に何か人を傷つけて快楽を得るみたいな性癖(せいへき)は無いのだが、頭の中をさらけ出すと誰かを傷つけるだろうなという感覚があって、一旦人間関係を一切断捨離(だんりゃり)して過ごしたとき、全然独りで不自由感じないとかもありつつ。

個別的にナイフを刺しているつもりは無いのに、自分にナイフが刺さっていると思ってしまう人は、noteの中にはきっと居ないと思うが、どうなのだろう。

僕は僕がそうであるから他人もそうであるべきみたいな世界観は一切ないし、この人生劇場は推奨(すいしょう)できないって注釈(ちゅうしゃく)はいくつも入れているようなきがする。

お仕事の話に繋げると、本日結構時間がかかってしまって休日出勤をすることになったお客様が居て、最終的にあんまり売り上げにはならなかったのだが、やろうとすれば売上が増えるように営業することもできたよなと思う。法的にも現実的にも必要なことではないけれど、人生劇場的には必要なことという認識に世界線をずらすことはできそうだった。

変な話、人と関わっているところで自分がお得になったか良いやっていう世界観はだいぶヤバイ。時間でも気持ちでも労力でもなんでも良いけれど、懇切(こんせつ)にしてもらったことに対してラッキーの世界観だと、自分が何かをしたときにもラッキーしか返ってこなるよって。

その意味で、もうちょっと厳密(げんみつ)に硯(すずり)の労力を説明した方が良かった気がする。こんな良い人が社会に居るって思われても今後社会劇場に不具合が生じる可能性がある。わたくしの給料に還元(かんげん)される項目はここですみたいな。

いや、普通は言わないのだが、本日の人は関係上やっても良かったなというだけ。

でも、休日出勤だとは言わなかった。そんなことを言うと罪悪感で操縦(そうじゅう)されてしまいそうだし、そんなことで売上増やしてもつまらない。

まぁ、ちゃんと住めるところが決まって良かったなというだけ。

このお客様としては、親切なおっちゃん営業マンがおったなという世界観でしかないだろうけども。

世界観といえば、面白いのが、満月さんとお母様のプレゼント観の違い。

僕は先輩女子にバレンタインデーで義理チョコを貰ったのに特に返す気が無い鬼畜(きちく)なプレゼント観なもんで、この論争には参与(さんよ)できない。物を貰ったから物を返さないといけない訳でもないし、もっとプライスが無いところで良いんじゃないと思うもんで。いや、物が気持ちだというのも分かるけど、だとしたら、イベント事にかこつける必要はないよなって。

僕が先輩女子にバレンタインチョコ以上のモノを返しているかは定かではないけれど、知識面ではないところで若干頼られている面はあり。

満月さんと、お母様の問答。

「誕生日プレゼントでケーキを予約しておいて、お金は払うから」、「食べたら無くなるプレゼントか、ふへへ」。

どちらが正しいかは知らないけども、お母様は食べ物よりも物体に重きを置いている。

プレゼントとは物体として存続するもの。これが衣服関係になっているのかも知らない。

食べ物は食べたら無くなるけども、その瞬間に楽しめる。

この意味で言うと、小説とか詩とか文章も通り過ぎる時に楽しめるから、結構同列なのかもしれない。

衣服は物体だから、その創り手とは無関係に存続する。

こういう世界観だから、一瞬で消費されるものを下に捉えているかもしれないお母様。

個人的には現実的に残るものも残らないものも等価であって、最終的にその人の中に残るかどうかのお話。

やべ、そろそろ寝る時間。

昨夜さん、僕のオマージュでフリガナ振ったり「良い夢を」を締め言葉にしていてめっちゃ面白かった。のーたーとしてのスキ集めでは上位なのに、何故僕の文体に倣(なら)うのか。そんなの僕しか分からないのに。

仲良し認定で良いのかなと勝手に思いつつ、寝る。

おやすみなさい。

良い夢を。

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