詰まりの楽しみ

22:19から。

暖かくなってきたからそろそろ桜の時期かな。

川縁(かわべり)も色とりどりになってきた。

自然を眺めるには良い季節だが、寒暖差(かんだんさ)が激しい期間でもあるから、人間には辛いかもしれない。

職場の人は結構しんどそう。

皆さん体調崩してないと良いけれど。

さておき。

昨日はお刺身とサラダを買ってきて、お風呂掃除のお膳立(ぜんだ)てがあった。本日のメインはごぼうと人参と鶏肉のほっこりうどん他3品を作り、お風呂も洗って洗濯もしてこの時間。15分しか変わらないじゃないと一瞬想ったが、この夜の時間の15分で随分と違う。この900秒で何文字書けるのか。

まぁ、自分がご飯を作れば胃もたれしないご飯を作れるというところと、満月さんの満足ご飯は何処にあるのかのバランスなので特にあんまり気にしていない。僕の精進料理みたいな晩御飯おつまみに付き合ってもらうのも貰い過ぎかもなとか。

ちなみに、本日はうどんが1玉しか残っていなかったからメインのほっこりうどんはちょっと味見しただけ。あとはおつとめ品だった40円のレンコンをレンチンしてお母様印の梅干しが使った梅酢(梅汁?)と鰹節と醤油を加えて和えたものと、レンチンもやしナムルと、ネギ塩チューブの冷奴。単価が低すぎて精進料理みたいになっている。

満腹になるためではなく、味わうためのレパートリー。

満月さんの評価だと、「美味いけど儚(はかな)い」と言われると思われる。

やはり、お腹に満足なのは脂質と炭水化物、もしくはスイーツ。

ここの下りを読んだ満月さんが、僕が苦言(くげん)を呈(てい)していると読むのか、美味いが違うよなと捉えるかは気分次第。感情か理解か。

お仕事。

店長に不謹慎(ふきんしん)に働いていることがバレてしまう。

いや、たしかにキャパオーバー気味だし、定時どこ行ったくらいの早出勤、遅退勤になっているのは確かだが、仕事としてやっていて成果が返ってくるから楽しいのではなく、単に自分の試行錯誤を楽しんでいる。

この疲れは当たり前の現象であって、別にそれに何かが返って来るかどうかはどうでも良い。

「硯さん、いま楽しいでしょう?」

「はい。(人生劇場楽しくてしょうがない)」

とか考えていたら、YouTubeのショート動画で「バカの壁」の発言が流れて来て、「やらなきゃならないことは好きになるしかない」とのこと。笑ってしまう。

たしかに、楽しむしかないし、楽しんでいるから今の陽気さが顕在化(けんざいか)している。

どんなこともやらされている訳ではないし、やらなきゃいけないことがあったとしてもそれは自分がその場所を選んでいるから自分事。ただ、誰かの労力を省くだけに使われることは甘えでしかないから辞めた方が良いし、そこでは楽しめない。

本日のお仕事だと、先輩女子の仕事上の調子が悪くて、店長がなかなかのアドバイスをしていたのだが、おそらく当人は上司がたまたま何か言っているわって聞き流していると思う。だから同じ轍(てつ)を踏む。

個人的にはここまで深くアドバイスできる上司は居ないと思っているから、てきとーに気分で言っているとは思わないのだが、そう捉えている説は無くもない。

僕がキャリア半年で暫定的に到達した結論としては、楽しんで居ない人にはあんまり任せたくないと思うのだろうなというお話。この領域だと誰が店員さんだとしても変わらない。

成果が無くて落ち込んでいる自分を同僚に見せるのも良くないような。

要は、人生劇場をやらされているか、やらされるものだから好き(楽しむ)か。

そうして、楽しんで生きている人にしか明るい人は集まって来ない。

いや、別に社会的な暗がりとか底辺(ていへん)でも良いのだけど、お互い影響できない人とは個人的に接する必要がないような。もちろん、社会的には接したらいい。

ここで言う明るみはちゃんと相手に対して目が開いているかどうか。

昨夜さんが僕の文章の形式をオマージュしてくれたのもそう。

ちゃんと価値をもって読んでくれているのが読める。

惚気(のろけ)で言えば、満月さんは明日のおにぎりのバリエーションを変えてくれるらしい。この辺で試行錯誤できるのが本来の関係性だと思う。

別に僕が今までのおにぎりに飽きた言っている訳でもないのに、当人のセルフでやってくれるという。僕のセルフでもやっているから、永久機関。

単に好かれているだけで良いとはならなくなった人生観。

だから楽しいし、楽しんでいるから疲れるで良い。

この楽しめることを提供してくれたのは、なんだかんだ満月さんなのだろうな。

僕が楽しんでいると、自分の劇場でしか生きていない人は、不謹慎だとするし、なんとなく自分の劇場に操縦(そうじゅう)したくなる。形状記憶合金(けいじょうきおくごうきん)みたいに、最終的には自分の劇場とは違うから、離れるかみたいなことになる。

これだけ自由に楽しんでいるのに、世界線が離脱する悲観的(ひかんてき)観測が無いのが凄い。人はそんなに怖くないの原初。恋だったら離れることはあるけれど、そうじゃないから、逆に夜の何某(なにがし)がほとんど無いのかも。

人があんまり怖くないという感覚はこのお仕事に入っていっぱい人に接するようになったからというのもあるが、そもそも僕の生き方は人を怖がるやましいことはない。

いや、社会的にはあるけれど、今はそんなにない。

楽しくてしょうがない人は、往々(おうおう)にして、自分の劇場に参加しようみたいなジョインみたいな傾向があるけれど、僕の世界観に参与して楽しめる人はあんまり居ないし

、そこまで修行僧みたいなことはしなくて良い。

誰でもできる劇場ではないのは、価値の話ではなく、固有(こゆう)なだけ。

もう寝る時間。

休みの時間にいっぱい書く時間も無いもんで毎日何も書いていないようなことを書いているけども、読みたいなら読んでくだされ。

おやすみなさい。

良い夢を。

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