時間感覚

22:11から。

人工物には目的があって、自然物には因果ある。

繁忙期の最後の日。

詰め詰めでパンクばかりのタスクが少し緩くなって、ちょっとだけ視界が拓(ひら)けた。この仕事の時間感覚が馴染(なじ)んできたというか。

先輩女子が半年前に就職した頃と同じことで本日も店長に詰められていた。

先輩女子は、この部分で時間が止まっている。僕も事務作業系では店長から頻繁に「何回も言っているけど」と言われるからここでは時間が止まっている。言い訳をするならそこを進捗させる「時間」が無かったということであって、やっと間ができてきたのでここの時間は動き出す。たぶんそこまで心配されていない。

お仕事上で動かさないといけない時間はお仕事毎にあるに違いない。

客観的な時計的な拘束時間とは別の話。

Kindle読み放題本で「時間は幻想である」ということを本質にした時間運用術を3日前くらいに読んだのだが、たしかにその通りだなぁと思いながら読んでいた。本は1冊ずつ読むのではなく同時に読むとか、自分のタスク処理を時間単位で早くしていくと時間が余っていって相対的に長生きなるとか、タスクを無意識に落とし込むとか。

感想文を長々書くつもりはない。

この「時間は幻想である」という発想を踏まえて踏み込む。

人生劇場に師匠みたいな人が現れる人が多い。勉強になることは人以外でもたくさんあるが、現実的に関係している人が、押し付けるでもなく応用できるように知見を提供してくれる幕(まく)。

僕もちょっと教える立場になったことがあるから分かるのだが、これっておそらく「自分の存在によって相手の時間が動いている」という実感があるからだと思われる。吸収してくれたらさらにその先の知識をとかだと矢印なだけだが、スクランブルに時間が動く人に対してしか話さない人も居て、そういう人の方が人をきちんと見ているというか。

僕はこれに対してお礼をしなきゃという感覚がないもんで、一般的にはすんげぇ薄情に見られることもある。価値交換の世界ではないところに価値あるプレゼントをしたい気持ちも分かるけれど、ちょっと苦手ではある。

ここは自分が天才でなくて良かったのとも繋がるのだが、誰にも共感はされない。

天才を羨ましいとはちっとも思わなくて、押し付けられて大変だなと見ている。

英語で言うとギフトとはよく言ったもので、このプレゼントは神様に突っ返すことができなくて、それを持ったまま人生劇場を過ごすことになる。

神様というか、生まれ落ちたときに押し付けらることはたくさんある。自分の容姿の見込みとか、体質とか、寿命はちょっと違うか。

個人的に押し付けられたもの中で一番良かったのは「顔」かな。

貰ったものは使うしかないからメンテナンスはしているけども、自分が培った物ではないから、自信という概念に入ってこない。「表情」は培ってきたら自慢(じまん)でも良いのかも。

「頭」はほとんど同じものしかもらっていないと思っていて、後天的にどうしたかだけとしている。努力できるかどうかは遺伝子の問題だとする説はあるけれど、努力せずに時間を動こかすことは全然できるし。少なくとも僕はもう努力を辞めている。

「ダイブ」の小説って、飛び込みの才能を貰ったことによって一般的な楽しみが得られなくなる葛藤(かっとう)が描(か)かれている。ほんとうに貰った人はそこで生きていくしかなくなるのだろうなと。

生来のギフトが重すぎて他に持てる物がほとんどないのが一握りの天才。

そんな重い荷物を持ちたくないという人が持っている人同士の競争を観測して楽しむのがオリンピックとかプロ野球とかだというと皮肉過ぎだけど、僕は何も盛り上がらないもんで、見なくなった。

見ている人を否定はしないけども、きっと同じ時間軸では生きていけないから世界線は交わらないと思う。

やれやれ。

最近の師匠というか同士。

諸々経験した一回り年上のジンギスカン屋の店長。顔付きは「頑固オヤジ」だが表情が柔らかいから、良い人生劇場を生きていると見受けられる。

僕はこういう自分の世界観を確立できている人が良い人だと評価するのだが、一般的には協調できないとあまり良くない人と認識されるのだろうな。懐深い人なのに、そこに入るまでのハードルが高い。

この人が「人生ギャンブル」ということを言っていて、僕もそう想う。

これって自分の持ち金とか持ち物をベットして何が返って来るかだったら、人生とギャンブルを等価に置かない。

ここで言っていることは、人生においてベットできるのは持ち金とか持ち物を取り去った自身であって、他に拠り所はないよという意味だとしている。

だから、自身を更新するために自己投資をする。

自己投資ってよく使われる言葉になっている気がするのだが、その自分で勝負するのが人生劇場。

他人を気にするのも相手のせいではなくて、自分のせいとしてみたり。

これは時間の話と繋がっているし、冷蔵庫の話にも繋がっている。

この前お客様と冷蔵庫の大きさの話をしていた。

実家はおおぐらいの男三人が居るもんで凄く大きいらしい。

冷蔵庫って、循環しないといけない野菜室とかメインの飲み物室とかがあって、そこは足が速い(時間の流れが早い)。ここに置きっぱなしにしたものは取り残されて捨てられることになる。冷凍庫は流れが遅いから、しばらく放っておいても良いのだが、放って置きすぎると食べられなくなるというラグがある。

みたいな話を即興でお客様にした。

そんな知見で生きていないのに、聞いていて勝手に発想したこの脳は使い勝手良い。

これって脳内格納庫(かくのうこ)でも同じことよな。

時間の流れが循環だけの層は貯蔵できない。つぶやき場とかテレビのニュースでインスタントに共有する。冷凍庫には歴史が積もっていて、眺めたり、冷凍のままで誰かに話したりすることはあるだろうけども、一緒に食べようかという話にはならないという。

なんだか3日書けなかったもんでぶり返しで意味が分からないことを書いている気がするが、僕の脳内は基本的にこんな感じで更新しております。

満月さん帰って来ないな。

そろそろ愛想を尽かされたのかと思ったが、そうでもなかった。

寝ます。

おやすみ。

良い夢を。

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