次々

22:55から。

本日は満月さんのお友達も来ており、劇場版名探偵コナンの「世紀末の魔術師」を見ながらお構いなしで書き始める。

お仕事の話を書くとキモいらしいが、キモいと言っている人のキモいピックアップにはだいたい当たっているから、キモいながら読んでいるのだろうと思いながらここもお構いなし。

お仕事。

繁忙期が終わったにもかかわらず、なかなかの作業量。

したいしたいと思っている後処理とか次への営業が全然進まなかった。後処理を残業時間に回すとミスが増えるに違いないのだが、そこしか物理的時間が無いという。

仕事ができないから回わせていないという認識はそうだったら良いなと願うしかないところ。他人の認識は主観で操作できるものではないし。

認識の操作というか、誘導(ゆうどう)がお仕事でウィンウィンの関係にする醍醐味(だいごみ)。ここで大事なのは、自己都合ではなく、他人にできることなんて限られた領域(りょういき)しかないから、その境界線(きょうかいせん)を探すこと。

これを日常生活に引き直すと、自分が他人に施(ほどこ)されることだって有限(ゆうげん)であって、操作できるものではない。

これを言ったら怒られそうだが、満月さんはあくまで「創る人」だから、その先の片付けとかまで意識が向かわないのだろうなと思った。本日の晩御飯滅茶苦茶美味しかったし、試行錯誤(しこうさくご)している。ただ、洗い物は切り離されている。別にそうだったらこれを前提とするだけだから構わない。

最近あんまり仲良くないという認識があるように見受けられるのだが、僕が勝手に生活の調整のことを試行しているから。話し合ってどうとかではなく、お互いの行動としてどうかみたいなところ。

試金石として振るいにかけている訳ではないから、満月さんとは一生過ごすのだろうなとは思う。

上から目線みたいな文脈だが、僕と一生付き合っていける気概(きがい)がある人はもう顕われないと思っているもんで、あんまりそのニュアンスが通じていない気もする。

生活を人とするとき、情報としての発話では足りなくて、不文のニュアンスの方が圧倒的な情報量を占める訳で、そこが通じないと無理よなと。

少なくとも何かをしたから良いとか、何かをしなかったから悪いみたいな次元で生きていない。他人にバッテンを付けられるくらい○ばっかりの人生を生きてきていないし。

あくまで相対的な視界。

外から見ればきっと僕の方が遠慮して畏まらないといけなくなるのだが、だとすれば、僕は1人でも良いとなる。物を貰ったからおもねる感覚はないし。

満月さんの面白みは生活ではなく「創り手」の領域で発揮されるような気がしない。

当人今楽しんでいるということを発言するけども、ほんとに楽しいのかというのはちと気になる。

ちょっと思うのは、所々、この人、独りで生きているよなぁという視界。

改める必要があるのかはともかく。主観的に嫌なのは助手席が荷物置き場になっているところ。友人が乗って来るとしてインスタントで置き場にするのは分かるけども、ずっと置き場になっている。

いや、それと他人を気にする認識は違うのかというのは分かるのだが、車においては割とてきとーな扱いをされている。仮に、お父様が助手席に座るんだったら違う気がする。

お部屋のソファーも友人が来ないと片付かなかった。

もう2人で座ることができそう。

色々書いているけども、これって全く非でも不でもない。

僕が満月さんにとってどこら辺に居るのだろうなと言うお話。

僕が何かを言っている時にちょっとびくびくしているから、いままでの彼氏みたいな生活圏と同列とていうのはどうなのか問題。

はい。寝ます。

おやすみなさい。

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