22:15から。
その瞬間から景色が変わる。
今朝おにぎりを作れなかった満月さんがお風呂を洗ってくれた。結局食べるのが19時くらいになったからコンビニおにぎりのが都合良い。スープを作ってくれていたとしても、冷え冷えになっていた。
これを偶然と解釈するか必然と解釈するか。
僕は無宗教だけども後者派。
お仕事。
結構働いたのだが無成果だった。なのに、面白い。
人と出逢うってお仕事であれプライベートであれ一期一会(いちごいちえ)だし、成果にならない出逢いも修行対象。成果を得られなかったことに対して、店長は特に何も言わない。それどころか、方向性を示してくれるというVIP待遇(たいぐう)。
きっと話が通じるというか、できると信頼されているからの話。
僕が有能だからではなく、店長が良い人だという解釈になる。
人に恵まれるということを「運」とする解釈がある。
満月さんの実家界隈(かいわい)から、満月さんが良い人ばかりと出逢っていて、弟勇者はそういう人に出逢えてないから不遇(ふぐう)みたいな話が出てきて、満月さんがそうじゃないけどあんまり言語化できないみたいな感じになっていた。
これって、良い人と出逢うかどうかではなく、当人がその人の良い面と接する器を準備しているかどうかお話なのだろうなと。僕はあんまり良き悪きの面は無い。小躍りするか大人しくするかくらい(疑義(ぎぎ)は認める)。
気分良く接することができる時には人は開くし、この人話通じないなと思われたら閉じた面でしか接せられない。
このお仕事していて事例が増えて来ている。
開いた人と閉じてしまった人では僕への扱いが全然違う。
だからといって、それがその人の本質(ほんしつ)だとするのは浅はかに過ぎる。
単に縁が無かったなと捉えるだけ。
例えば公共でアウトな行為をする人(歩き煙草、暴走騒音行為、道端に唾を吐く)でも身内にはきっと優しだろうし。個人的にはこういうことをすることはアウトで、そんな人間関係は無くなった。
何故かは不明。
神様を根拠とするのがスピリチュアル界隈。間違ったことは言ってないような。
これを量子力学から解釈している話もある。
「死は存在しない」というタイトル本の解説を流していて、なるほどとなる。
きちんとした学者さんが言っているからというより、きちんと説得力があるなというお話。
説得力があるかどうかは、量子力学の前提知識が無いと難しいのだが、意識の解釈としてはスピリチュアルの多次元世界より好き。
ざっくり言うと、この視点だと空間も時間も無く、全部が含まれているポイントがあって、そこにアクセスした人が前世とか死後とかを観測するという感じ。アカシックレコードを科学的に洗練した感じ。
細かく書いても意味が分からなくなるに違いないから省略。
桜が満開。
そこに群(むら)がる(言い方悪い)人は、周期的な景色の移り変わりが好きなのであって、自分の景色は変わっていない。もちろん桜は好きなのだが、桜とオオイヌノフグリに価値の順列は無い。
景色の話。
「死は存在しない」を書いた科学者さんは大病を患ったみたいで、そこから事象を受け入れるというこをにしたら景色が変わるって言っている。
名刺交換すると苦労した人と苦労していない人が分かると言っていたけども、僕と交換したらどうなるのだろう。僕は苦労を修行だとも思っていないから、何も苦労していない人と峻別(しゅんべつ)されるに違いない。顔には笑いじわしか残ってないし、自信も貫禄(かんろく)も、観測した人には解釈されない。
景色が変わるという表現は面白い。
僕は主観的に、日常としてこれを観測している。
いや、あくまで誰にも適用できない経験則だが、僕は溝に落ちて、世界線が移動して景色が変わった。景色を変えるためには溝に落ちろよとは誰にも教育できない。
景色って客観的なものではなく、主観的なものでしかない。
知識とか解像度でいくらでも変わる。
そんなこと誰も教えてくれななくて、やっと自分で見つけて楽しいなぁとなっている。
景色が変わることは、神様を媒介するのも良いけれど、結局は自分の世界線が移動しているということ。
桜の解像度は、昔の恋人さんと見た景色よりピクセルが多い気がする。
これをお仕事に引き直すと、自分によってお客さんの景色を変える存在にならんと。
景色を変えるかどうかは成果とは連動していないのだが、どうせ一期一会ならそうでないとつまらない。
プライベートでも同じこと。
趣味が近い人と共有しないといけないという感覚はないもんで、読書しているから繋がるみたいなことは無いと思っていただいて問題無い。
単なる直感的な興味。
はい、ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。