考えていない

21:51から。

完全な休日。

満月さんは出勤で朝ごはんを食べると言うもんで、お米を吸水し、お風呂の追い炊きを押しつつ、ひき肉ともやしの中華風卵炒めとジャガイモと玉ねぎと椎茸の味噌汁をこさえた。

出発を見送り、昼過ぎまで名探偵コナンを読みながらごろごろ。

昼ご飯には冷蔵庫に残っていた食材で豚肉とキャベツの焼肉のタレ丼を食べた。

最近の料理テーマは、「冷蔵庫に残っていて動いていない食材を使ってスペースを空けること」。常にあって動いている食材は僕が使わなくても満月さんも減らして行ってくれるから問題ない。

問題は、何か作ろうとして買った食材で余った物が放置(ほうち)される傾向(けいこう)にあること。僕には特に勿体ないお化けは居ないのだが、満月さんは食材が悪くなるとちょっと凹んでいる。この辺りをフォローするというか、カバーしようかなと。

僕がもやし好きなもんで定期的に買うのだが、残しておいたら何かに使えるかなと思っていたのが、割と良くなかった。液状化したり、乾燥したりして使えなくなった食材として冷蔵庫の部分を占拠(せんきょ)することになって、循環(じゅんかん)が滞る。

もちろん、動きが早い物ばかりを保存するのではなく、動かない物も貯蔵(ちょぞう)できるのが冷蔵庫の機能だから、せっせと使えば良いとはしていない。それぞれの食材で時間が違うから管理していかないとなと。

冷凍庫なら時間はほぼ止まるけれど、冷蔵庫では外界よりちょっと遅くなっているだけ。

夜ご飯は海鮮系をリクエストされたもんで、お刺身とマグロのたたきを買ってきた。冷蔵庫で放置されていた長芋をすりおろし、色の劣化が防げるかどうかわからないけどもポッカレモンを垂らし、白だしを加えて味付けした。マグロのたたきはマヨネーズを少し加えて混ぜてある。

卵を割って黄味と白身で分けて、白身の方は豆苗とツナ缶のサラダのドレッシングに回した。オリーヴオイルとマヨネーズとごま油で塩味はツナ缶任せ。ついでにベーコンともやしとトマトをてきとーにいためた。

なんでご飯の話を書いているのだっけ。

そういえば、昼間に満月さんから電話がかかってきて、「クックマートに向かっているのか」と聞いたら、「なんで分かるの」と言われた。

ここの「なんで」の部分に僕は「名探偵コナンを読んでいる」と答えたけども、これって理由になっているかというと微妙(びみょう)なところ。

直感(ちょっかん)に理由なんてない。あるのは補足(ほそく)だけ。

満月さんが電話をしてきたということは休憩時間。声の後ろからチカチカと聞こえているから車でどこかに向かっている。朝おにぎりをこさえていないから昼ご飯を調達(ちょうたつ)しに行っているのだろうな。じゃあ何処に行っているのだろう。

くらいの観測はあるけれど、クックマート(スーパー)に向かっているかどうかは正解かどうかわからない。昼ご飯の選択肢はクックマートだけではない。唐揚げ屋さんと迷ったという答え合わせがあったが、昨日スペアリブが夕食だったからそれを避けるという判断があったのかもしれない。

料理のことを書いた冒頭、別にいちいち理由付けして動いている訳ではない。

直感でしか動いていない。それを俯瞰(ふかん)して理由付けみたいなことを書いているのは、そうしないと話が繋がらないから。

だから、日常で理由を聞かれるとちょっと困るんだよな。

理由とか目的を設定してから動くことは、個人的には遅いと感じている。理由とか目的はあくまで説明でしかなくて、人ってほんとはそんなところで動いていないような。

こういう世界観だもんで、理由とか目的の説明はどうでも良いとしている。

そうじゃなくて、実際に何が現実になっているかの方がよほど大事。もちろん、誰かと共同で動くときにはそういうものを設定して歩調を合わしていくのは大事。あと、自分の動きが社会的に理屈で説明付けらる水準なのかも地味に大事。自分の世界で生きることは大事(おおごと)だけど、それが周りに納得されないのであれば、その場で生きるのに合っていないということになる。

合わなければ移動すればいいだけだからカバーできる範疇(はんちゅう)。

で、理由とか目的の設定が遅いというか、そこを聞いてもしょうがないなというのは、これって論理的思考に違いないのだけど、繋がりの部分を聞いたところで、現実の動きは反対になることがあるし、それはそれできちんと繋がっているということ。

具体例で言うと、「好きだから」という理由には特に現実を方向付ける意味が無い。

好きだから心配して束縛(そくばく)するというルートもあるし、好きだから安心して放任(ほうにん)できるというルートもあって、論理的にはどちらも繋がっている。

たしかに、論理的な前提部分を聞くことによって何か共感できる部分は無いかとサーチするのはありうる。でも、理由って基本的にはしたことよりしなかったことの言い訳めいていることが多いから、あんまり現実として参考にならないような。

したことの理由はしたことによって現実化しているから、あとは補足でしかない。

人が語る「理由」とその人の本質はあんまり一致(いっち)していないなという、暫定的(ざんていてき)な観測。

これってあくまで自己観測からの反映なのだが。

自己観測といえば。

最近高次元のアッセッションみたいな話を良く見ていて、満月さんからなんでやと言われる。もちろんただの直感で、特に理由はない。

変な話、特に共感は無くて、僕が世界線を移動したと評していることを、そういう風に名前を付けているのだろうなという感じ。現象的にはまぁまぁ5次元世界と一致している。「笑顔が増えた」とか、「過去のトラウマやらインナーチャイルドがどうでも良くなった」とか、「某パンデミックから好影響を受けているとか」。

この情報を見て、このまま生きて良いとはならないのがほんとうの高次元だと思うけども、その辺が曖昧(あいまい)なのが一種の宗教チックではある。宗教が悪いとは言わないけども、個々人の時代なのに同じ感覚であるっているのはちと矛盾(むじゅん)なような。

シンクロニシティ的にそうなる人が増えているのは確かかもしれないけども、別にあえてまとめる必要も無い気がする。人が増えるとどうしても不協和音が起こるし。

自分の状態にそういう名前を付ける気が起こらない。

もうそろそろ高次元の話も卒業か。

やれやれ。

本日本屋に行ってきた。

何か波長(はちょう)が合ったら買う気はあって、できれば新しい知見があるのが良かったのだが、結局何も買わなかった。

学問分野で言うと物理学とかが未開だし、建築デザインとかも楽しいだろうなと前提していたのだが、あんまりそそらなかった。

物体の動きにあんまり興味が無いのだろうなという気分。

それよりも人の中身に興味があるから、法学やら文学やら小説やらを読んでいるということなのか。小説って主観的に当人の中身が物語を当人の頭の中で再現するもの。

この前買った、ちゃんとした心理学の本が面白い。心の理(ことわり)。パブロフの犬だけではなく、色んな実験をしていて、なるほどなと。

ただ、人間は心理だけで動くような単純な存在ではないから、ある側面でしかないのはたしか。心理学は、他人ではなく自分を見つめるために使うものだと思う。

はい、ここまで。

明日は満月さんが僕の職場の人達に逢うというイベントがあるもんで楽しみ。

おやすみなさい。

良い夢を。

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