22:35から。
昨日は寝る時間を優先したもんで書かなかった。
仕事は若干停滞しているけれど、あんまり気にしていない。
そのうちたぶんもっと上手くいくようになるだろうし。なぜなら、今の自分で充分と思っていないし、上限とも思っていないから。
これを自己肯定感が無いと評されるとなんとも言えないのだが、肯定しているから変化できるとも言える。
さておき。
満月さんは月が満ちて調子が悪い模様。眠いって。
その中で、おにぎりをこさえてくれたのは素晴らしい。
休日なのに家のことができなかったと自責めいたことを言っていたけれど、晩御飯に生姜焼も作ってくれたし、洗濯もしてくれた。
別にやらなくてもなんとも思わないけれど、これ以上望むことはない。
僕が思うのは、やろうとしてやらなかったことを変に蓄積していくよなというだけ。
やることもやらないことも理由はどうでも良くて、やったこととやらなかったことの蓄積なだけなような。
これで言うと満月さんは家のことができなかったと言いながら結果的にこなしているし、むしろそこを見るべき。
別に僕は結果に対して納得を求める価値観ではないから、休みの日なのにできなかったでも、単に気分が乗らなくてできなかったでも、当人に因果があればそれでいいような気がする。あんまり続くと僕は登場人物では無いのだなという解釈になるが、少なくとも満月さんは当人の人生劇場の中に僕を参加させてくれている。
お仕事ではこういう意識では駄目。もっと期限を因果でこっちから相手に納得させるように誘導しないといけない。私生活以外の時間が勝手に自己都合で流れているという主観を持っている人は大人でもやたらと多い。お仕事というか社会生活全般でも良い。
お仕事と言えば。
本日は店長と2人きり。
会話はあるけど雑談がほとんど無くて、とても楽。たぶんお互いが自分の機嫌は自分で取れる人だから、おべっかを使わなくて済む。変に繕わなくても良い。
硯さんに「期待している」というのは、てきとーなことを言っているのでは無くて本心だから察して下さいと言われた。
これも分かる。放っておいても成果を出せるから、もっと自由に動いて成果を出して来いという意味合い。店長の手を煩わせないように売上作れる新人はだいぶやべぇ。
ただ、ここの因果、僕にも全然言語化できない。
言語化しようとすればお客様の事情が面白いなと聞いていたことが多くて、成果を出すための方法論なんてなくて、単に水を撒いていたら実が落ちてきたという肌感の方が強い。
肌感なもんで、ロープレが頗る弱い。
ロープレって、きっとまず自分の役柄を設定してやるものだけど、こういう手法でできる演者ではない。
対人で役柄を設定しないということは、自身に対しても特に設定していないということ。
自分を愛するってよく言うし、おそらくそういう時代になっているのだろうけども、僕は自分を肯定するみたいな迂回した価値観を持っていない。愛するとか受け入れるとか赦すは他者に向けるものであって、自分に向けるものではない。
そもそも自分という存在って物体として客観的なものでもないし。
社会的には免許証とか保険証とかで客観的に証明されるけども、そのIDがほんとの自分だと認識している人は居ない。
自分という存在は在るようで在らない。
Kindle読み放題で「社会学史」の本を見つけて読み進めているのだが、結構どきどきしている。
この著者の学者さんは他の本も読んだことがある。ここでその学者さんの名前を書いたら、自分は色んなことを知っているという知識マウントになるのか。
社会学とは「近代社会の自己意識の表現の1つ」という定義。
無茶苦茶好き。
この学問が浅いのは自己意識を承認するような社会がなかなか生まれなかったからとのこと。
マニアックな話になってくるのが分かっているから、ここの面白さを表現しようとすると大変。今日の日記はそういうテーマになっているのだが、読み取れないのであれば僕の文章力不足。
この社会学の定義から連想したのは、現代詩もそうだよなって。
自己であるという表現の中には自己を醸成した社会がある訳で、これが学の領域。
詩人は削っていくから大変。
無茶苦茶膨大な情報から絞っているのだろうないうのを読んでいる、
社会学が産まれる為には、社会が自明ではなくて偶有であるという意識が必要みたいなこと。何故そんな社会が可能なのかという思考に至れるかどうか。
こんなの某宗教とか人とはこうあるべきみたいな価値観がある社会では考えられない。
今はそこを考えても不謹慎だとは窘められなくなってきた。
まぁそれを聞けるような人はあんまり居ないけれど、こういう緩くなった世界に甘えようとしている自己表現をする人は、社会学していない。
しなくても良いけど、話すとそんなに楽しくないような気もする。
僕はメタメタなもんで、あるべき人間関係みたいな社会観がまぁまぁ無い。
満月さんにはよく「人間になれ」と言われるのだが、ここで言われているのは、満月さんの中で信仰されている人間像なのかどうかは知らない。
個人的にスキなのは、ある時代の知性が同じように憂鬱していたというフレーズ。
フロイトさんとかフロベールとか、なんか暗がりな表現が残っているのは、時代がそうだったという解釈。
ホッブスさんが社会学のパイオニアというところまで読んでいる。
万人の万人に対する闘争が人の自然であるという表現、なかなか好き。
僕はほんとうにそんな世界になったら真っ先に退場させられると思う。
日本だとほんとに極限状態になることなんてほとんど無いから、もうそこは越えていると思わせつつ、精神世界では結構闘争状態になっているような。
もっと続けたいのだが、睡眠時間を確保するのでここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。