22:26から。

どっと疲れが溢れてきたのだが、僕より疲れているはずの店長がリポビタミンでドーピングをしている姿を見て、自分はそこまででもないなとなる。

本日は店長と2人。

明日明後日と店舗が閉るもんで、なかなか忙しいと言えば忙しかった。

お仕事と言えば、ちょっと意識が変わったのか知識が増えたのか案件。

売上になればそりゃあそれで良いのだが、そんなことよりもプロとして仕事をする以上、調べたら分かるような情報を提供するだけだと、視界がお客様と同じよなと。

たしかに、業者でしかアクセスできないという情報がある訳で、たしかにここを調べて提供することも大事。ただ、ここは業者だったら誰でもできるから、あんまりプロっぽくない。

僕が思ったのは、ちゃんとこのお店に来た価値があったなと思えるような情報というか、場を提供すること。売上に繋がらなくても、本当の欲求が相手の中で明確化されればそれで良いのかなと。もちろんそれをやりながら成果への成功率が高いのが一流なのだろうが、僕はそこまできっとごりごりできない。

できないとか言いながら成果率はなんだかんだ高いから存在が何か非価値なものを提供していると言えなくもない。視界の土台が違うもんであまり誘導する気が無い。店長は生粋の営業だから誘導してなんぼと言うが、誘導ではなくて本当の要求(問題)に気付かせることがこのお仕事の醍醐味なのかもと思ってきている。

単に店員を小間使いにしようとする人は一昨日来やがれではないけれど、タイミングがほんとうに合った時にしないとお客様も時間も店員の時間も無駄遣いになる。僕は個人的に自分がしている業界のところで時間をかけるのは無駄だと思っているもんで、パンと決めてそこから先を考えていってほしい。

比較対象が無いと自分が決めた気分にならないというのはこの業界の定説らしいけども、これってマルクス社会学の集合的無意識の土台なような気がする今日この頃。

質は量に変換できないのに、量で比べられるという世界観になっている。

この話、たしかベルグソンさんも言っていたような。

もちろんお客様にこんな話はしない。

淡々と情報提供しつつ、自分が生活環境を移したい理由を理想ではなく現実として気付いてもらうように話を持って行くという感じ。とりあえず見たいという方向になりそうだったが、

たぶんカウンセラーさんも同じようなことをやっているのだと想像するのだが、

人の精神的問題をフロイトさんとか由来で正しい精神があるしてやっている人は、誰がやっても同じ仕事をしているのだと思われる。一回もかかったことないからなんとも言えないのだが、学校の先生も人間だよなという感覚と類似になりそうで、本当にヤバイ時期でも行かなくて済んだ。

ほんとにヤバイ時期というのは、このタオルを使ったら縛り方で退場できそうだなという想定に至るくらいの話。まぁここは今やどうでも良い。そのくらいの感覚の人の気分はちょっと経験していますよというくらい。

僕は店長のこと好きなのだが、店長の頭痛って、店長として店を取りまとめたいのではなく、もっと平社員として実務におりたいのではという感じがある。表に出たくないと言いながら結構社員の仕事を奪っているし。僕は奪われているという感覚はないのだが、先輩女子はそういう感じを愚痴っていた。母数を増やせば成果に至る確率が高まるというのは当たり前だが、せっかく人と接するお仕事なのに人を量的に観測している。

やれやれ。

このお仕事でさっき「プロ」の話をしたけれど、プロの矜持は量で評価できるものではないという認識に至って、若干ハードルが下がった。いや、上がったとも言える。非価値を提供しながら生存し続けるってこの資本主義社会ではとても難しい。

要は、金銭は結果であって、プロの条件でもないなということ。

有料noteの記事を読もうと思わないのは、それが量的に面白いと思わないからであって、そこに参加できないというだけ。Kindle読み放題の方が価値あるとなる。

変な話、冒頭文から続きは課金してっていう冒頭文に特に魅力がないということ。

何か色々と煽っているのだろうなと読むけれど、本当に冒頭文が面白かったら課金しても読むと思うけども、あんまり美味しいフレーズが無い。

ここで言いたいのは質の価値は量では換算できないということ。

ここから、社会学の話。

マルクスさんの「資本論」の1巻は読んだのだが、お金が世の中の諸々を量的に決めているという世界観を示しているという著者の評価が面白い。

使用価値と交換価値の話は、現在の日本の物権感覚にも流用されているから。そんなに古い話でもない。経年すると自分の市場価値が落ちるという価値観も量的な感覚。

要は、自分が量的に扱われるという感覚は、マルクスさんが考え抜いて解釈した世界の無意識と繋がっているだけなのかなと。

質になると自己判断が求められるから、あんまり考えたくない脳が量に向く。

僕の文章は滅裂なことを自覚しているもんで、読んで美味しいかどうかは不明だけど、これを読んで現実の僕に逢ってみたいとなったら面白い。

というだけ。

満月さんも遊んできていてまだ帰ってこないのだが、何の不安もない。

勝手に自分の世界で生きれば良いし、特に独占欲も無いし。

満月さんは文章体として世に出そうな人なので、そっちもやればと思うのだが、僕におにぎりをこさえてくれる時間は作れても、文章を書く時間は創れないらしい。

無ければ無いで良いんだが、数十年後に後悔しそうだからできそうになったときに早めにやっておけば老年になった時にあのときやっておけばという呪詛が起こらないのにって。

ちなみに、僕は過去に対する呪詛が一切無くなってしまっている。

今から見て、あの時もっとできればと思うことはあったとしても無茶振りだからいたしかないし、そこまで要求するのは自分に要求し過ぎ。

だもんで、人に全然要求しなくなったもんだ。

寝るのだが、まだ満月さんは帰って来ていない。

おやすみなさい。

良い夢を。

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