なんとか

ジェットコースターのような時間軸。いや、絶叫系はとんと苦手だが。体感できないとしても重力によって自転に振り回されているのに、その上あえて乗りたくない。

本日は青椒肉絲ができあがっていく音を聞きながら書いている。
と、思ったらもうできた。いただきます。うまし。ピーマンとたけのこの細切りは諸事情により僕がやった。ピーマンは厚みが一定だから細切りは問題ないが、たけのこはてきとーになって見栄えがやや悪い。まぁ水煮してあるし、火の通りは気にしなくても良いか。

そして今は高菜の黄金チャーハンができあがっている模様。良い匂いがする。

さておき。

台風は何処に行ったのやら。来ずに去った一過の晴れ。外は蒸し焼き状態だが、休憩室で食べるよりは良い。キャラメルシロップを調達するつもりだったが、なんとなくやめた。ほんとに買うべきは帰り路のスーパーでのカルピス原液。たけのこの細切りを探すのに注意が行って、そっくり抜け落ちてしまっていた。

お仕事はやや忙しい。毎日が流れていかないように仕事生活を過ごすのはなかなか難しい。特にキャリアアップするようなものもないし、一定程度習得すれば後は自発的に成長するのは不要で、他発的なキャリアが積み重なるだけ。他発的なキャリアって、なんというか肉ではなく話題にしかならないような。

話題になる生活をできる時点で楽しんでいる層だとは思われる。僕の生活は読んでいたら分かる通り、話題にできるような代物ではない。別に普通に生きているから、話題にできるようなネタは別途話せるし、かといって、それを話すことで何か効用がある訳でもない。微妙なニュアンスだが、「話したい」ではなく、「話すことがある」というだけ。こういうストックは肉(存在)ではない。ぶくぶくしても良いと思うけど。

一瞬文章脳から離れたが、戻って来た。


やれやれ。


嬉し悲し、「砂の女」が終わってしまった。美味しかった。解説が何故か外国の人という不可思議も含めて。失踪宣告に始まり、これで終わるところが法律的に面白い。法の中の人の存在には、どこに住んでいるかという場所が大事。生身の存在が場所から動かない限り意識されないが、引っ越ししたら住民票を移動させるとかも、生身の場所と法律上の場所を一致させるための手続だったり。こういう意味では、マイナンバー制度は人の場所の移動を逐一届けなくても良いのであれば、自由に移動ができることになるのかも。

失踪宣告からの死亡認定も、届出されている居場所においてはその人は死亡したということになるだけ。そこで存在した権利義務は物理的に死亡したと同じように消滅というか相続されるが、他の場所で生きていたとしたら、そこの存在に対しては感知しない。

安部公房さんは生身と社会的な存在のずれを書こうしたのだろうか。

解説者が、ここにおける「砂」は時間だと解釈していた。たしかにこれで見てもおもろい。
周りの砂は流れているのに、登場人物には砂が滞留する。外では流れるのにうちでは積もる時間感覚って、人生劇場と一致しないか。

砂のメタファーってなんにでも転換する。
たしかに砂時計からして、時間だとするのは分かりやすい。僕は社会的な思想の滞留と見たが、これも「共通感覚論」でいうところの垂直な時間軸。

「共通感覚論」の時間感覚の解説は分かりやすい。時計時間を筆頭とした時間の流れは水平で、文化的なものは垂直に流れていて、素朴な感覚はこの軸の中で揺れ動いている(ここまでは書かれていない)。

時間がなんなのかというと、結局はその移ろいをどう解釈するかというだけのような。
僕は水平軸は外さないように生活している軸はありつつ、色んな軸に散策しているだけ。

そういえば、小説を読んだ方が良いのか、読まなくても良いのか問題。

僕は国語でやった、一意の解釈があるみたいな読み方だったら読まなくても良いし、あくまで嗜好品としてたしなまれるものだから、そんなに推せない。この読み方で読解力が上がることもないし。いや、表層ではあるのかもしれないが、本の虫みたいな人が説明書を読めないこともありそうだし。

小説(物語)の醍醐味は、自分に引き付けられない存在のことを認識することであって、自分にってという前置きなく読むことだと思われる。だから読書家っぽい人と馴染めない。本を量と捉えるのは、本をあんまり楽しめていないのではって。

読書も生活もこなすタスクではないとしないと面白くない。

はい、ここまで。

おやすみなさい。

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