22:26から。
悩みとか苦しみに付けこむ手法ってもっと楽になりたいということなのか。
僕の楽しみとは定義が違うような。
面白いって、なんで面(つら)が白くなるのか。
既定の枠組みから離れると素朴な貌が出てきて、感情として社会に認識できなくなるからとか想像してみたり。
本日の晩御飯はいつも通りの鶏ハムを作ったのだが、ハーブソルトが足りなくて普通の塩コショウを足して見たら。なんだか食感が生っぽいぷりぷり。生だとお腹を壊すからレンチンで追加の火入れをした。あの柔らかさは火入れというより、調味料の塩梅だったのかもしれない。
あと、そろそろ満月さんが牛肉を食べたくなる頃かなと、特売の牛こま肉とごぼうとネギと椎茸でちょっとしたしぐれ煮めいたものも作った。これは単体ではなく牛丼にした方が良さげだろうとお米を研いで浸水している。
お料理では栄養が取れないという説もあるからもっと緑黄色野菜の彩を加えた方が良い気がするのだが、経口摂取の栄養ってほとんど排泄されているのではと訝っている。だからサプリメントという世界もあるみたいだけど、人体がほんとうに栄養だけを摂取しているとは思えない世界観。ほんとうにそうだったら調味料とか香辛料の発展はなかろうし。
ここもきっと楽しみの領域。
メニューを考えることは悩みだけど、ご飯を作ることは苦しくないから試行錯誤できる。
お互い機械ではない人間なもんで、味付けが気分による。満月さんはご飯を作る時間をこれまで日常に確保できるような余裕は無かったのに、あくせくおにぎりとスープをこさえてくれる。時々塩味が増し増しなことがあるけれど、文句はない。
僕が作るご飯も作ったことが無い分野だと作りが甘くて辛口に批判したいこともあると思うのだが、もうちょっとこうしたら美味しいねというアドバイスに変換してくれる。
(だいたい食べる速度でほんとうに美味しいと思っているかどうかは読み取れる)
安定が楽なのか、研究が楽しいのかという人間性の違い。
満月さんも僕も研究者気質だから相性がよろしい。
研究者気質って、正しいことを求めつつも、正しいことがほんとうに存在していると思っていないという解釈。
たしかに、社会的に正しい振る舞いってもちろんあるのだが、社会的に正しい振る舞いをしたから相手から好かれるとか嫌われるとか結果が決まっている訳ではない。
僕は喫煙者だけど歩き煙草をする人とか駄目だし、側溝に唾を吐く人も駄目。
社会を我が世界としている人とは付き合えない。ある意味で生粋の無神論者なのだろうなと。
社会という枠というか神様の視点めいたものが観測できないって大学生のおのぼりさんの世界で留まってないかって。人口層で多めだと思う。
自分の苦しみは他人に理解されて当然みたいな世界観とか。
誰かに理解される可能性があるとかでも良いかもしれない。
本日、スーパー事務と新人さんと僕の3人の雑談。
僕が虫に忌避感が無いという話の中で、もともとかなり山奥で住んで居たという話になった。幼稚園に徒歩1時間くらいかかるとか、コンビニまで車で30分とか都会人には全く理解できない世界を語るのだが、僕はこの世界をしんどいとして発話していないから、聞き手は想像して自分に置き換えてやばいところで生きてきたなという風になって、雑談が展開する。
野蛮人違うな、野生人という認識は植え付けられたかもしれない。
虫が出たら硯に言えば対処してくれるみたいな。
虫はもともと大丈夫で、大阪時代にはちょっと都会人っぽく虫を忌避する感覚になったが、今はもとに戻って毒が無い虫ならどうでも良いなという気分。ムカデとか蜂とは戦わないといけないが、カメムシは臭いだけだし、Gは社会的にキモチワルイと認定されているだけ。
大阪でも愛知でも、楽になったなぁという感覚はない。
もともとその枠組みで生きるなかで適応するから、枠がしんどいみたいなことにはならない。
大学で大阪に出て来て、知り合いが全く居ない状況が最初の楽しみだった。
知り合いが居ない不安が皆無。むしろ知り合いが居る方が相手からの僕像に囚われてその枠から動けなくなる。
これが社会性であると言えばそれまでなのだが、社会性だと認識していることって本当の主観ではなくて、誰かから観られた客観でしかない。
だから愚痴が起こる。
愚痴の概念がもはやない。だって、自分が生きている世界において誰かのせいという価値観は無いもんで。
そういえば、お母様がちょくちょく満月さんに対して苦言はないのかと探ってくるのだが、僕はなんも無いもんで、返す言葉がない。
ダイエットの話も、この人は本当に痩せたかったら勝手にやるという意味で信じているもんで、僕の世界観で痩せないとなんぞやみたいなことはない。いやちょっとあるかもしれないが、これは在っても無くても良いアダルトなところ。
ともあれ。
凄く面白い世界観が更新されてきている。
腑に落ちているのだが、僕の語彙ではちょっと表現できないかも。
ちょっとお散歩。
満月さん、私小説が面白くないと言っているのがちょっと分かった。
変な話、どれだけ文章力があっても、あくまで物語が自分の世界ベースなのだろうなと。
日記を文学表現したのが私小説だから、読む人はこの世界観に合わすしかない。
それが文学世界であるという枠組みは良いけれど、その世界観に参与できない人には読めないサロンみたいな。
もう少し散歩したい現在の世界観。
色んな診断でアウトロー形質なのだが、メジャーな人が安定しているのかということにも疑問がある。典型的な人がしんどくないというのは、典型的な人が存在しているというフィクション。個別に捉えたら人が類型で認識できるはずがない。
自分がしんどい人は他人のせいにして世界が悪くする。
僕は自分の世界が楽になる為に満月さんと共通項で過ごす世界を選んでいないっぽい。
愛想を尽かされて来た世界線。
枠組みから外れるもんで。
生活上とか奉仕上はこなせるのだが、精神性で合わなかったから離れていったのだろうなという解釈が健全。まったく悔しくない。
やれやれ。
キリスト教と資本主義の繋がりが面白いのだが、ここって、ここで書いても需要がないような。
要は、僕は何か社会的な利益があるから満月さんを選んだ訳でもないし、満月も然り。
僕はもうパートナーを競売にかけるような感覚は無いもんでここから一生過ごすんだろうなと思っているけれど、満月さんの世界がどうなっているかは不明。
言語表現されたところでそれが正直なのかは分からない。
僕と過ごすより楽しいのであれば、そっちに行っても良いと思う。
独占したいということが「好き」の定義であれば、僕はそこの枠組みでは生きていない。
神様が居るのかどうかは不明だとしても、神様という客観視点がある人はまとも。
外から見られているから、自分の現実は素朴とはずれている。
僕の世界はもっと素朴で良いのではという説が盛り上がってる。
何も他意が無くて、それで良かったじゃんって。
他意が無いと人と関係できないという枠組みがあったもんで、変なことになった説。
資本主義の話で、この感覚は終わりの永続だというのが面白い。
もうちょっと細かく書きたいところだけど、特に重要が無いだろうなという気分。
はい、こんな緩い感じでおしまい。
よい夢を。
おやすみなさい。