無用

21:39から。

時間は創るもの。

これから朝時間に3分ほど使って前髪を立てることにしようとした。

前髪を立てると満月さんに評判が良いからお客様にも評判が良くなるのではという使えるものはなんでも使う精神と、視界に髪の毛が入ってない方が世界が良く見えるということとと。

外から見える貌も良好に観られるかも。

顎が長くておでこが狭いのがなんとなくコンプレックスだったのだが、長いなら長いで前髪を立ててもっと長くして比率でバランスを取った方が良いのだろうなと。

日常に「面倒」があることが偉いという説の記事を読んだ。分かる。ただ、あんまりもう無い世界かもしれない。

別に面倒だからフライパンで作った焼きそばをそのまま器にして食べるのも良い。食の本質は味ではなく楽しんで食べられるかどうか。

この記事の慧眼は、面倒って正式(理想)と素朴の「差異」によって起こるということ。

僕が日常の家事を面倒だと思わないのは、正式なんて無いとしているから。

日常作業で考えていることは、自分がどれくらいの時間でそれをできるかという集計ともっと時短できないかということくらい。例えばアイロンがけは5分くらいで、洗い物は量にもよるが10分くらいあれば終わる。洗濯物を干すのも5分くらい。

この感覚は今の仕事に就いてから意識化されてきた。

ほんとうに、時間が無い中で無理矢理時間を創らないといけなくなってきて、時間の観念が随分変わってきてしまった。それだけ作ろうとしているにも関わらず本日は有給なのに普通に定時くらいまで働いてふらふらになる。

面倒は正式と素朴の差異だと書いたけれど、これが社会と個人の乖離なのだと思う。

なんというか、自分の日常の中に「社会的にこなさない行為」を置いている。やらないといけない行為って、「やらないといけない」と意識がアイドリングというか準備する時間も含まれる。この時間は全く行動していないにも関わらず、実際に行動した現実時間になっている。

ここが「面倒」の本質だという解釈。

もちろん疑義は認める。

この解釈だと、予定が苦手な因果も分かる。

現実にはなっていないけど現実として先取りされるのはまぁまぁ「面倒」という意味合い。

準備期間も含めた時間を共有しているからこそ、予定がまかり通る。

それほど予定まで現実として気にしない人が多い印象だが、これも学び。

これも今のお仕事で絶賛学習中。

予定が満載でかなり苦手だったことをやっている。ただ、時間軸が調律されている感じ。

そもそも外(社会)の時間に合わせられない人が、ちゃんと自分の時間で生きられるのか。

社会の時間軸が前提になっている以上は無理筋。

僕は学校とか集団時間に合わせないという義務感は無茶苦茶面倒だった。

それでも別に離脱はしなかった。離脱した人が悪いとかも思わない。満月さんも学校時間に合わなかった人っぽいし、その時間軸は分かるもんで、ちゃんと合わせた自分の方が偉いとはならない。

ここは、合わせる世界しか無かったというだけ。

過去の話なんてどうでも良い話。

やれやれ。

そろそろ鏡理論も卒業しようかなと思っている。

僕はそんなに因果的な世界で生きていないもんで、あんまり返って来る為に生きている感覚が無い。

緩めれば緩めるほど楽しく読まれそうだなという感じなもんで。

例えば、満月さんがこの生活圏に連れ出してくれたのは感謝。

快適でしかない、だからとて満月さんを甘やかすのも違うかなという感じ。

満月さんにもモードがあって、創作モードになる鍵は過去に置いてきているもんで、なかなか見つけられない。別に創作しなきゃ存在意義が無い訳でもないからどうでも良い。

ただ、この関係が鏡で無かったころは、僕は随分と甘やかしていた。

かつてのこの時代が良いと言うのだが、ほんとに相手との関係において甘やかされるのが良いのかというのは疑問ではある。

捨てられるかもしれないのは自分が捨てるかもしらないだし、誰かに対する怒りはだいたい自分に怒っている。

お客さんにクレーム入れられても、自分がやるべきことをやってふわふわしていたら、愚痴案件にはならない。

満月さんには滅茶苦茶クレーム入れられているし、僕も入れているのだが、あんまり因果が無いから放っている。ただのじゃれつき案件。

僕がどれだけ主観的な世界で生きているのかというのは、満月さんの助手席に乗った時、ほとんど必ず満月さんの荷物が僕の膝に置かれることになるところ。僕が車を買う事になったとして助手席に満月さんを乗せるとしたら、快適に乗っていただきたいから自分の荷物は後部座席とかトランクに載せるのに、どういう世界観なのだろうという意味合い。

僕がやって欲しくないという訳でなく、どういう価値観でそうしているのだろうと言うだけの話。手が短いから置けないという見解は聞いたけど、ほんとうにそうなのかは分からない。

割と愛情表現が不器用という説。

おにぎりとかスープのお弁当こさえには愛を感じるけど、車領域には愛があんまり無い。

自分が助手席になって荷物を膝に置かれても気にしないんだったらそれ当人の正当な世界観。

僕の中ではこの満月さん、まだまだ世界観をてきとーにしているだけではないかという説が満載。それしかできないとは思えない。まぁ車は自分の城だから好きなようにやっているという説なら分かる。

これも辛辣だと評されるかもしれないけど、僕は浮気に時間を使うことは無い。背徳感で煽情される浮いた感覚も無いし、まぐわいという目的に向かう本能のプロセスが面倒。

満月さんもそうしたいならすれば良いけども、本日は単に盛り上がっているからまだ帰って来ていない(23:23)。

おそらく終電には間に合ってこの近くまでは帰って来ているけれど、話が盛り上がっている。僕は研究的な話はできるけど、共感的な話はできないもんで、そこに飢えているのは分かる。

それでも一緒に居てくれる満月さんは凄い。

で。

僕は、もっと自分を緩めて書いた方が楽しいし、その楽しさに寄って来てくれる人も居るのかなと。なんで僕が読まれているのかという因果が不明。

同列で慰め合う関係は断捨離したし、自己語りをエンタメ化できる人の文章は面白い。

エンタメというか、読み物化か。

新聞記事みたいな文章は公式の記事で読めるから、当人が現象をどう解釈しているかという話。

こういうゆるゆると書きたいことがいっぱいあって、指が追い付かない。

真面目に書こうとすればそういう語彙で書ける。

そろそろ寝よう。

満月さんはまだ帰って来ない。

あくまで自立した人なので放っておく。

名古屋から乗り遅れたという心配ははあるけれど、心配って、冒頭辺りで書いた現実化されない準備期間でしかない。

僕には言えないことがいっぱいあって話が尽きないのだろうな。

おやすみなさい、

良い夢を。

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