流れ

23:24から。

あんまり休み前に夜更かしするのもやばいのだが、本日は日記枠を取るために創られる時間がほとんど無かったので仕方ない。

お仕事。

雨具合で合羽を着るのか、バスで行くのか、強攻で行くのかに迷う。

結局合羽を着て行った。もうちょっといい合羽の下を用意しておかないと水漏れする。

まぁ、楽しんでいれば、それが波及するのかなという次第。

個人とか店舗の成果の爆裂はともかく、面白かったシーン。

ちょっとこの場に長居しているお客様が居て、僕は新参で即日この場から離脱するお客様の応対をしていてちょっと時間がズレた。店長の感想だと新参の人とは関係性を作ったから関与する必要が無いということだったが、個人的にはそれほど間関性をむりくり作った気は無くて、単に次の生活を後押ししただけという感覚。割と個人的な状況と近いけれど、同棲で新生活になるのが楽しくてたまらないという感じで、あまり語ることがなくほっこりしているだけ。

随所は営業トークをしているけども、こういう方向性の人はにやにやできる。

会話がお互いを尊重していてほっこりする。ほっこり具合だと我が家も負けてはいないのだが比べるものでもない。

時間がズレた人、繋ぐために入ってくれたスーパー事務の人が和気あいあいと話して居て、、戻ったのにあんまり発話する隙間がない。

その後に硯についてのトークがあった模様。

お客様は僕を20代だと思っていたらしい。それに対してスーパー事務は、「それは言い過ぎ」というトークをしていたとのこと。戻って来たら絶賛いじられて、硯の顔が赤くなっていると言われる。

まぁ、年齢弄りに関してはなんとも思わない。

若いという評価は瑞々しいという肯定もあるし、未熟だという否定もあるもんで。

別に若作りしたい訳でも無し。

それよりもこのお客様のポイントは、僕のことを呼ぶときにOOさんとちゃんと行ってくれるところ。単なる担当者の名前を覚えることにリソースを割いてくれているのって、なかなかないこと。

営業マンは名前を貰えてなんぼと店長が言っていたが、地でできている。

固有名詞って文学的にも哲学的にも空虚な感じ。精神的には自己認証なのかもしれないが、僕は名札みたいな意識。僕の名札をちゃんと読んでくれている人は、ちゃんと僕の劇場に居る人。

そういえば、人って、自分の年齢と社会的な一般的な指標を照らし合わせる傾向にある模様。

僕が若く見えるのは、動かせない経年を全然気にしていないからという説。

自分の正式な年齢を忘れがちな訳でも無く、主観的には若かった頃より頭の中はだいぶクリアになっている。

この話、誰にも通じるとは思わない。

人はだいたいライフステージで、年齢の10年区切りで自分を捉えがちだから。

生きやすくなるという意味では、ライフステージの一派論に乗る方が良い。

僕と萬月さんが結婚するのも、周りから見られる分には合理的な説明が付くかなという意味合い。満月さんも僕も子を成すことにライフステージのステップアップはなさそうなもんで、そんなことが起るのであれば、次の楽しさの余剰だろうな。

子供はあくまで保護すべき他人だし、自分ができなかったことを投影する像ではない。

たまたま知り合った人がどうやら誕生日だったらしい。

ここで言う知り合いはお互いが書いた文章を読み合ったという意味だから、一般的にはしりあいでもないのかも。僕の定義ではもう退場している小説家とか学者さんも知り合い案件だから、勝手に知り合ったと思われても仕方ない。

ここから現実に飛躍した最後の人が満月さん。

個人的な主観としては、誕生日を祝われたことで特に嬉しさは無い。

言葉ではなく行動(現実化)だったら、なんてこったと楽しくなる。

人をどう捉えるのかという定義として、言葉っていくらでも発話できるのだが、それが行動とズレたとき、どちらを信じるべきなのかということを考えている。

現実的な生活としては、言葉ってあくまでその人の自己精神であって、現実化できない中身はあんまり重視しなくて良いよなと言う見解。この世界では行動が全てだから、何かしたいという言葉に行動が一致していなければ、その人は信用してはいけない人になる。

現実はともかくとしれみれば、行動と一致しなくても、言葉とか行動に一致しない精神領域が当人の本質であるとう解釈もできる。

要は、人(自分)を完璧に把握することはできないということ。

僕は自分の不具合を他人に転嫁することはあんまりしない。ただ、満月さんのねびき二度寝ができなくて困るというのはある。寝ようとしたら振動がおこって揺り起こされるという。

だからといって、離れる理由にはならない。

把握できない分を悲観するか楽観するかは当人次第。

はい、夜更かしし過ぎ。

おやすみなさい。

良い夢を。

PAGE TOP