コラボ

21:37から。

あぁ大変と思いながら本日も休日出勤。

想定以上の時間はかかったのだが、タスクとしてはそれほど深刻ではないという説。

深刻だと思うほど相手は深刻だと思っていない。

別に自分の評価が下がるからやべぇなと思って仕事のタスクをこなしている訳では無いし、義務感でもないし、相手事を自分事としているだけなのでは。

1年未満の僕が無責任に休んだところでその穴は誰か埋めてくれるし、居場所を守るために稼働している訳でも無いし。

こういう姿勢は責任感と見受けられるかもしれないけれど、責任とは別の価値で動いている。その仕事場において誰でも良い窓口になっていないもんで、他の人が接すると曲解が生じるだろうなというだけ。

客観的な情報は共有できても、主観的なニュアンスは1次情報に触れた人しか持ちえないし。

色々とわちゃわちゃなことが起るのは魂レベルが高い人だという解釈があるのだが、なるほどとは思う。

別に信仰している世界ではないけれど、因果律とは別にそうなっている原因が呈示されるとそうかもなぁと思う、現象を説明できるだけでは神様になれないけども、自分が在る意味神様だと思っている人は多々いるかもしれない。

個人的にはスピリチュアル界で言われるところの意識が高次で肉体を持って苦労を経験する為に受肉したみたいな説が好き。

だって意識って肉体とそんなに一致していないという実感があるし。

もちろん、これは実証ではなくてあくまで解釈の話。

どうやって世界を捉えたらより楽しくなるかというだけ。

ここからもう少し掘り下げていく。

これが大変。

資本主義の話で、認識と経験の乖離という話が出て来た。

経験は人智と言い換えても良くて、人が至るべき認識とのこと。

ここで言う認識が面白くて仕方ないのだが、ちゃんと書ける気がしない。

とここでどうも満月です。

硯が、ハイボールソーダ割を飲みながら、我が家の縁側(窓辺)で満月を見ている

本日はフラワームーン。

外は金木犀の香りで満ちていて、空気が立体的。

ちなみに金木犀が周辺に見当たらないのに、存在として認識できるのは不思議。

単に知覚の問題なのだけれど、経験上これが金木犀だってわかってしまう不思議。

あれ、なんとなく硯のボヤキに近しいのかも。知らんけど(我が家の口癖)

これが金木犀だと知らなかったら、認識もできないはずだろうし、感性として世界は拡がらないし、(ここであぐらの限界)

バトンタッチの通常営業。

筆を任せても文体が違うからきっと問題ない。

この人が僕のパートナーです。

変な話をもうちょっと書きたい。

もう寝る時間だからピンポイントだけど、人って「無知」に耐えられない人が多い。

「自分が知るべきことを誰か知っている」という世界観だと、自分の世界を越えたことに忌避感が生じる。

人は一定の「知」を越えたところを欲さないというという話があって、これってあくまでどこかに正解があるという世界観。

自分が下だと思っていた人から窘められたら、自分が否定される気分になるかもしれないけれど、そうやって言ってくれる人が居る方がまとも。

知性は神様の領域で、科学は自分が正解を確証できないのに何故か神様みたいに信仰しているというのが面白い。科学はあくまで反証が無い限りの正解であって現実をだいたい説明できるかもしれないけれど、全然真理ではない。

真理=正解という価値観自体が発明品。

ここから外れている人が本を読めるという説。

酔っぱらいなもんで全部説明きる気がない。

ここまで。

おやすみなさい。

良い夢を。

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