人生は文学

23:12から。

夜はあとちょっと。

お仕事。

楽しんではいる。

ちょっとワーカーズハイみたいな感じで、時間を忘れる。人と関わっている感じが凄い。

人と関わっているというのは、なんというか、成長とかとは別の劇場。帰ってきたら勝手に変わっているという意味合い。

これを味わえるのは、他の器ではできないだろうなと思うと、独り占めしてすまんやでとなる。見てくれと達観と共感と気遣いの絶妙なブレンディなので、あんまり誰かに承継できるものでもない。一期一会の人でも友人以上に付き合える(いや、今のところ友人皆無だが)。

今更、得(徳?)を生誕ガチャで取って来たものだと思っている。

まぁ、発揮できるのは環境によるのだが。

ふと、どうでも良い話を挟む。

人間って、言葉に結構支配されているから人生劇場は文学的なのだろうなと。変な話、ビール腹の何が悪いかって、科学的に不健康とかではなく、太っている人は不健康であるという言葉の定義の方が強い。

言葉の語用を無茶苦茶気にする人って、広辞苑には詳しいのかもしれないけども、言葉は万華鏡みたいに見る角度で変わって来るし、喜怒哀楽も言葉で表現し切れるものではないと解釈できるかどうか。

シュールレアリスムにおけるデペイズマンだっけ。普通の語用にはありえない配置の世界が言葉を越えた人生劇場なような。

仕事上の同僚間の会話。

店長とか、かいがい女子とかスーパー事務に関しては、日常会話でも摩擦が無い。互いに潤滑油を流しているというか、適度に距離を置きつつ楽しい話をしている。

先輩お嬢と会話するときだけ、ん、という引っかかりがあるというか、摩擦を感じる。

そこで否定語が出てくる必要があるのかという語用をするから、会話が一瞬止まる。楽しい話をしていても、何故か自分の楽しい話をちょっとずれたところでぶっこんでくる。

悪い人ではないのだが、あんまり会話を振りたくはない。

業務上の潤滑油として会話を振るくらいの気遣いはあるのだが、返しの一言目がそれは違うみたいに否定されると、僕でも萎える。

文学劇場で生きているから、会話して言葉が痛い人とはあんまり関わりたくない。

(ここが敏感な人気質)

ということは、お客様にもそう想われている可能性はある訳で。

需要と一致することは大事だが、需要と一致するだけのお仕事はAIに代替されるしかない。

いや、もちろん、僕が勝手に先輩お嬢と相性が悪いだけ。他の同僚が頗る相性が良いもんで際立っているだけのこと。好き嫌いで仕事を変えるようなこともしない。

楽しくアクセル踏んでいるときに変にブレーキをしてくれる人材としては希少なのかもなという解釈。感情は解釈で変わる。

言葉劇場を踏まえて、ちょっと私生活。

硯家の姉と妹と家関係でグループラインをしている。

なんだか理屈がさっぱり分からない。

結構、相手の語彙を汲んで読むことをするのだが、語彙(言葉劇場)を踏まえても、何を言っているのか分からなくて困っている。

僕が家督という意味での「家」に全く思い入れが無いからであるに違いないけれど、思い入れがなんでこんなに過ぎているのだろうって。

細かい話をしないとこの違和感が伝わらないから言語化する。

曰く、硯家のことは硯家から嫁いだ叔母さん達がやっている。(母親はやっていない)

嫁いだ叔母さん達がやってくれることはごめんなさいしないといけない。

と、硯家から嫁いだ姉と妹が言っている。

いや、直系の僕が上手く家督を継げばこんな話にはならなかったのだが、僕はこの家における人間関係がどうも好きではなかったもんで、時代にかまけて何もしなかったし、家を気にするのであれば、僕に非難が集中してしかるべき。これだったら理屈が合う。

素朴な日本の宗教観に怒られそうだけど、なんでお墓参りとか先祖を祭ることをサボっている自己に申し訳なさを感じないといけないのか。

変な話、硯家のお祖母ちゃんが亡くなったことより、自分のことが気になっているからとかしか思えない。これも言葉劇場。

墓参りしなくてもお祖母ちゃんのことは覚えているし、それなりに悲しんでは居る、で十分祭っているような。退場者を悼むのは、退場者の為ではなく、まだ舞台に登っている人の為のもの。

という言葉を均したところで言うと、もう硯の苗字で無くなった姉と妹がここを気にする意味がよく分からない。あんまり理屈が繋がらない。

単に理屈が繋がらないだけの言葉の方が分かり易いけど、LINEの文面を読んでいて、何も読み取れない。

このミステリーちっくは進捗があればまた書くとして。

満月さんの物語も動いているから楽しい。

はい、時間切れ。

あとは寝るだけ。

良い夢を。

おやすみなさい。

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