退場論

22:38から。

詰まっているけど楽になっている。

お仕事から。

昨日書いたようなことが現実化するお客様の言い分で、なんとなく内心失笑してしまう。

世界が自分だけの人って、どれだけ尽くしても響かない。もちろんお仕事だからこちらが非にならないように先先懸念を潰していくゲームみたいなところはあるのだが、どれだけ潰しても権限外のことはできない。

領分の中できちんと動くのが雇われ仕事。

仮に僕の領分がもっと拡がって匙加減でなんとでもとなったと想定しても、このお客様とはあまり関わりたくなと思った。いや、これが普通のお客様とも言えるのかも。

おそらく今後はお客様は神様みたいな観念は無くなってきて、提供者の事情も鑑みられる相互の人が優遇されていくような気がする。

人間力の時代になった方が役割で制限されるより自由なような。

このお客様には色々言われた。

「仕事をだらだらするもんで」とか。

かつての僕なら割とダメージを受けていたに違いない。

今の僕は、それは貴方が足並みをそろえてくれる気が無いからであって、丸投げして良いくらいな関係性が無いからそうなっているだけだから、意も事務手続きも必要ですわということしか思わない。

このお客様を引っ張っても時間がかかるだけだから早々に切ってしまう。

僕が店長に怒られるかもなと思ったが、報告したら、「次」と言われた。

言わなくても察してくれるとか、よしなにやってくれると思い込める人生劇場観って、割と危険。そこに甘えて居たら、その対象が居なくなったときに伝える術が無くなる。楽に慣れていると、解釈が滞るというか、世界に参戦できなくなる。

どうでも良い話。

随分と図太くなっておる人生劇場。

あんまり連動を感じなくなったのは老化かもしれないけども、察してはいる。

例えば、本日の満月さんとのLINEで、牛タンが食べたいという発信に対して「ざくろか」と返したら「エスパー」なのかと返ってきた。

近所の焼肉屋さんのこと。

僕が人の「意」を察するのは、割と最初の家族関係が良くなかったから。

母親という台風的な存在が居たもんで、人が気分次第で言葉を変えるものだという認識だった。ここで生きてきたもんで、普通のメンヘラみたいな精神性は許容範囲。

許容範囲としながら連動して共依存的なところで生きてきた暗黒時代。

なんで連動しなくなくったのかは割と不明。

天職でも無いこのお仕事をしていることで、色んな人に接して人慣れしてきたという説はある。人慣れするほど、不謹慎に人生劇場で楽しんだ方が良いとなっている。

だもんで、僕に対する粗相は全然気にしない。

スキが無いからフォローしてくれている人が読んでくれて居ないみないこともない。おそらく読んでくれいているだろうなと楽観。

僕が嫌なのは、相手から既定値として自分の存在を決めつけられること。おそらく普通の関係は決めつけられるつつ決めつけることなのだろうけど、そういうのが割と駄目。僕がおそらく一生変わり続けるもんで。

この文脈で、姉と妹とのグループLINEの不可思議。

母親の人生劇場の呪縛がある気がする。おそらく直に逢って話せれば本音が見えるのだろうけど、気にしていることが理屈に合ってないからなんかあるのだろうなと。

僕はサイコパスなもんで、家関係の片付けについて何も思わない。

ちょっとお金かけてお墓から縁を切っても問題無い。常に心の中で個人をまつっているから、物体としてのお墓を必要としていない。こんなの信心ではないと言われても、図太いもんで堪えない。

社会人としては儀式には参与すべきだと思うけど、僕の中の故人像は、誰も自分の為に時間を使ってくれるより、貴方の時間を過ごした方が良いという人。もちろん、儀式って生きている人の為だから、したくてしょうがない人はしたら良い。参加しないと故人を悼んでいないと感じる人とは合わない。

そんなことは知ったこっちゃなく、イベント事無くても思い出しているし。

この辺り全然科学的な領域ではないのに気にしてるのはちょっと面白い。

ここを面白いとしているのは、不謹慎とかではなくて、退場した人はここに参与できないのに、退場した人を連動させている感じになっていること。

満月さんも、定期的に自己退場した友人を思い出しているぽいけど、それが悼みということ。

ほんとうは、そうなる前にガス抜きできた良かったけど、僕が父親にできなかったことと類似しているもんで、しょうがないとしかならない。

どこかの漫画で読んだフレーズ。

人の存在が無くなるのは忘れられたとき。

僕の病み的な側面では、僕が退場するときにはなるべく忘れて欲しい。

特に情報を片付けることも無い。デジタル機器を解析されると性癖がバレるかもしれないけど、退場した後の僕が恥ずかしがることもないし。

人に忘れられることがアイデンティティにとって傷になるということはまぁまぁ分かるのだが、僕はアイデンティティにおいて他己存在を自分の存在の基準に置いていないから忘れらてもどうでも良い。むしろ、僕のことなんて忘れて良い。宵顔さんこそせっせと忘れてくて良い。(たぶんもう読んでいないと思うけど)

この世界観って、なんとなく刹那的な感じだと読み取られそうだが、図太さを追加すると相互にメタ的な視界が無い人は忘れて良いだけで、メタ的な視界がある人とはいお友達になるかなと。

ハイ。

おやすみなさい。

良い夢を。

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