呼称

22:01から。

ちょっと調子が悪いような気がしないでもない。

変調しているだけという説もある。何かの節目なのかいな。

本日は休日。

仕事のことを考えたくないのに頭には常にあるもんで、インプットができない。

インプットする為には努力ではなく頭の中に余白が必要という自説。

とはいえ、洗濯機を2回転して、洗い物もしてちょっと部屋を片付けるくらいの余力はある模様。ついでに冷蔵庫の中の食材も少し片した。本当に調子が悪いと家のことは全くできないくらい動けないから、まだマシ。

「すること」は何の動機もなくするし、「すべきこと」は義務だったらする。「した方が良いこと」は気分による。「したいこと」はするまで自分にはならないから保留。

満月さんの方がより調子が悪い気がするけども、ここはそんなに調子のバロメーターでもないのかも。

僕に何の予定もない2連休を与えたら、もうちょっとこのお部屋綺麗にできる。

とくに「すること」でも「すべきこと」でも「したいこと」でもないけど、満月さんが綺麗な部屋を理想としてそうだから。

僕は部屋が汚くても割とどうでも良い。生ごみとか循環するごみはきちんと片付けるというか捨てるけど、他の雑多な汚さは気にしていない。満月さんは自身で片付けなきゃと思っているかもしれないが、おそらく「したいこと」の範疇。

前住んでいた僕の部屋はほんと誰も寄せ付けない(物理)ところだったのだが、それでもやってきた人が3,4人は居たという。今のQOL全開のダブルベッドではなく苦学生の万年床なのに。

ダブルベッドは、良い。

今、満月さんの同僚が仕事に使う資材を持って来てピンポンしてきたもんで、ちょっと話してきた。コミュ障はどこ行ったのだろう。コミュ障だと評されている場だと話せない説。

観測した事をそのまま言ったら悪く言われていると思うのは、何というか、被害妄想というか、自身の汚点を世界に転嫁していることの反射だと思われる。

僕は僕じゃなければ耐えられないような評価をいっぱいされている感じだった黒歴史。いちいち反応しなくなったら、知らない間に良い評価になってしまっているという。

いや、最近の「優しいドーベルマン」という犬評価もどうなのだろうな。どうでも良い。

それに対してアイデンティティが強化されている訳でもないというのがズレている。僕が嬉しいのは、僕が通じたみたいなところではない。

コミュ障と言語化。

あんまり文章を追っていないけれど、言語化が不自由な人を支援している事業をしているっぽい人からスキをされて、支援する人と思われたのかと穿ってう、となった。

言語化によって出口が無いナカについて特に不自由を感じてないし、むしろ、出口がないナニカがあると認識している人の方がなんというか余白がある。

あーびっくりした。

Bluetoothのキーボードの電池と僕の(ビール切れ)で、ついでに体温が上がっている満月さん(職場のエアコンが1基壊れているらしい)の為に近所のコンビニに行ったら、さっきの満月さんの同僚が居たらしく、声をかけられた。

変なビーバーのTシャツで分かりましたと。

このパジャマTシャツはお土産でお気に入りなのだが、変と言われるとは。

先に気付けなかったのはちょっと悔しい。

お酒を呑んだ時にきょろきょろするなという満月さんの訓示によって視界が狭めているのか、そもそも今の世界が狭窄しているのか。

割と後者説。

あんまりメタ的に楽しんでいないなぁと思っているここ何日か。

僕は仲介者ではなくて提唱者なのに、仲介者めいた役割を押し付けられている。

母親というか、家の話。

母親は僕に対して、「貴方は家のことをどうするか決めていない」と言うのだが、変な話、個人的には、ここに対して何もしようと思っていないしすべきとも思っていないからしていないだけであって、これって単なる内省なのではと思ってしまう。なんかあるのだったら僕を仲介させるのではなく自分でやれよって。

お墓の話も、僕は参るという行動によって故人を悼む証拠にはしていないし、結局のところそこに関係はないから、自分がそうしているということによる自己満足なのか、そうしないといけないかの義務だと思う。

お盆の時期しか故人を思い出さないみたいなことも無いし。

人が亡くなるというイベントによって、親族が集まる場ができる、みたいなことを普通に話していたお坊様が居たという話を聞いた(父親のとき)のだが、これを縁だと思うのか、不謹慎だと思うのかは微妙なところ。姉は不謹慎だと認定した模様。昔滅茶苦茶怒っていた。

いや、誰かと誰かの梯子になるのは仕事だったら良いのだが、プライベートでやっていたら身が持たない。可能だとしても、それをやっていたら自分の時間が創れない。時間というか世界観にいちいち影響されて戻って来れないというか。

そんなに時間が無いのかというと、無いんだよな。

と想っちゃうくらいには情が薄い。

ここから本日堪能していた藤田和日郎さん動画の話をしたかったのだが、言語化が追い付かない。パスタも茹でないといけないし。

この窮屈感、なんなのだろうな。

鏡っぽい感覚を捨て去る過程なのではないかとワンチャン思っており、停滞ではなく助走と考えいる節。

世界線がズレる時は準備期間として若干緩慢になる。

これを夏バテとは呼ばせない。

おやすみなさい。

良い夢を。

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