23:08から。
冷やし中華を作り込み過ぎて日記時間がほとんどない(良い意味で)。
タレも自家製、豚しゃぶ、あげ茄子、ゆで卵、きゅうり、トマトと一皿で満足な出来。
美味しいご飯を食べたいではなく、美味しいご飯を食べさせたいという基準。
満月さんはジャンキーな外食もすげー好きなのだが、ここは満腹であって満足ではない気がする。
個人的に自分とか満月さんが作ったご飯が良いのは、変な調味料が入っていないこと。
防腐剤も保存食としは良いけれど、別に毎日保存食を食べたくないし。
基準が変わると世界が変わる。
割と鬱屈したことを書いていたと思う。満月さんにも辛辣だと言われた。
本日帰ってきて、朝満月さんが洗い物をしてくれていたのも分かりつつ、卵を茹でる鍋もあげ茄子を作るフライパンも、中華麺を茹でる鍋も洗われていないからからここからスタートだとなったのだが、料理が終わった時点で調味器具も洗い終わっているというのは割と難しいのも分かるもんで、洗い物を減らしてくれたありがたみの方が強い。
こういう感じを、個人的には程度問題としている。
直線上に、良いと悪い、するとしないみたいな両端があって、基準がそこにしかない世界。最近で言うと、某地震が起こりそうだから水を買い占めてしまうみたいな思想とも言える。これって歴史で習ったオイルショックと世界観が変わっていない。
たしかに、程度問題はここで生きている人にとって行動を左右するところだから、お仕事上気にしないといけない。満月さんも僕が程度問題で辛辣に書いたことに対して、諸々反論が起こると思う。例えば生活費は自分の方が出しているとか。硯ができていない共同生活上の何某をやっているとか。
という感じで、程度問題の基準って二元的だから、なんというか、衝突しかない。
二次元の世界だと、同じ糸の上で歩いている蟻はそのうちぶつかる。
人間が生きている世界は三次元だって言われるけれど、物理的には2、5次元くらいだと思う。人ってそんなに浮けないし。時々飛行機で浮けるくらい。
物理的なのはここまでにして。
人の内部の基準。
別に肉体に連動する必要は無い。
程度問題は肉体に任せて、精神はもう少し高次であっても良いかもしれない。
高次というは別にスピリチュアル的な意味では無く、現実を少し上空から捉えて、程度問題をどうでも良いとできる精神のこと。深刻な事態でもナカでは遊んで良い。
遊べないのは、程度問題に染まっているから。
お仕事では停滞期っぽいが、あんまり気にしなくなった。
変な話、リストラされたら次の仕事で良い世界だし、僕が気にしているのは場の程度問題でしかない。仕事場で小躍りできるようになったら、もはや自分の場所だけども。
質の話になってくるともう、8次元とかになって、誰かと衝突する空間が希少になっていくる。たまたま当たったくらいで、それぞれが自分で生きている世界。
僕は質的に生きている人が好きなもんで、友達ができるとすればこの界隈。
たまたま場が一緒だった知人を全部断捨離したらぼっちになったのだが、ぼっちになんの寂しさも感じないという。今後自発的にくっつける知人が現れるのかも不明だが、何せ今のところ空いた時間がないんだよな。日常も休日も、そんなに自分の時間が無い。誰かに逢いに行く時間が無い。やろうと思えばできるし、そのうちやりそうだが、休日の予定もだいたい埋まっている。
埋っているのが不自由だとは思わなくて、その中で自分がどう過ごすかというのが自由だと思っているから気にしない。
僕が個人的に逢いたい(飲みたい)人は何人か居るもんで、そのうち現実化する所存。
文字数少ないのは時間が少ないからで、すまんやで。
何も書いていない気がするけどもここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。